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母親の葬儀の最中、少年は今後の身の振り方を考えていた。父親は物心ついた時にはいなかったし、どこかにはいるのかもしれない祖父母のことは全くわからない。天涯孤独とはまさにこのことである。

問題はこれからの生活だ。この春地元の高校に進学する予定であったが、生活費を稼ぐためにはバイトしなければならないだろうし、そもそも今住んでいる家の家賃を払い続けることはできるのかーー。

とりとめもなく考えながら、少ない参列者を眺めていると、今しがた焼香を終えたスーツの人が少年に近づいてきた。

(何この不審者……)

顔のほとんどを隠すほど大きなマスクに輪をかけ、分厚い眼鏡をかけているため、顔は全く窺えない。髪は長いようで、一つにまとめている。

「久遠勇士くん」

「……はい?」

どこからどう見ても怪しい人物に名前を呼ばれ、思わず胡乱げな声を上げてしまう。

不審な男は慌てて腕を振る。何とか誤解を解こうとでも言うように。

「そんな警戒しないで、怪しい者じゃないよ」

「…………」

「あぁ、冷たい目……。でも僕めげない!」

「俺に何の用ですか?」

さっさと話を終わらせたくて、早口で問う。

マスクの奥で、くぐもった笑い声が聞こえた。

「この状況か落ち着けないし、式の後で時間を取ってもらえないかな?」

(こんなのと関わってもろくな事がなさそう……適当に誤魔化すか)

「すみません、色々と忙しいのでーー」

「君のこれからの生活に関わる話なんだ」


「あ、勇士くーん。こっちだよ〜」

葬儀が終わり、式場を出た勇士の耳に、あの篭った声が届いた。見渡すが、あのマスクの男は見当たらない。あるのは舗装された道路や寂れた店、電柱やそこから覗くゴミ袋ーー。

「ん?」

その袋は宙に浮いていた。風に吹き上げられたわけではなく、一定の場所に留まっている。

そのゴミ袋と思われたものには、目と鼻と口のあたりに穴が空いていた。そしてその下には、スーツを着た人間の胴体が。

「遅いからヒヤヒヤしたよ〜。散歩中の犬には吠えられるし、近所の人たちがひそひそしながらこっちを見てくるし!いつ職質されるかと!」

「変質者だーーー!?」

「やめて! 叫ばないで!110番されちゃう!

その袋男は慌てて勇士の口を押さえる。

勇士はしばらくもがいたが、やっと落ち着くと、それはほっと手を離した。

「ごめんね、驚かせちゃったみたいで」

「いえ、取り乱してすみません」

お互いに謝ると、男はもっと落ち着いて話せるところに行こうと歩き始めた。

「で、話って何ですか?」

「うん、それなんだけどね。君はこの先どうするか決めてる?」

「……いえ、でもとりあえず学校に通わずに働こうかと」

本当は、高校くらいは卒業した方がいいのはわかっている。しかし、奨学金を借りたところで返せる目処が立つかもわからないのに、そんなリスクは背負いたくなかった。

「そっか。偉いねぇ」

ぽつぽつと進学をしない理由を語ると、男は勇士の頭を優しく撫でた。そんなこと、母親以外にされたことがなくて、戸惑いつつも、どこか懐かしさを感じた。しかし顔を上げれば、そこにあるのは穴の空いた袋で、懐かしさは一瞬にして吹き飛んだ。

勇士の冷え切った雰囲気は意にも介さず、男は衝撃の発言をした。

「僕は、君の叔父なんだ」

「え……」

思考が止まる。

「君のお母さん……華さんは、腹違いの妹で、僕もつい最近このことを知ったんだ」

叔父だと名乗る男の声は、膜が張ったように少し遠く聞こえた。まるで自分が世界から切り離されたようだった。

「一度、君が学校に行ってる間に、病床の華さんに会ったよ。治療費を払うと申し出ても拒否されてしまった。それより、君のことを頼むって」

頭を撫でていた手が止まった。

「だから僕は君の将来を背負う義務があるんだ」

「そ、うなんですか」

言いたいことはたくさんあるのに、口から出たのはそれがやっとだった。自分はもう一人で生きていかなければいけないと思っていたけれどーー。

(俺は……一人じゃないのか? この人を頼ってもーー)

潤む目をごまかすように擦り、叔父とちゃんと向かい合おうと目を向ければ、そこにあるのはやはり袋で、熱いものはすぐに引っ込んだ。悲しいかな、感動の場面には到底なりそうにない。

「あの……一度素顔見せてくれません? 信用したいのは山々なんですけど、ちょっと顔も知らない人について行くのは……」

叔父は見るからにうろたえた。髪があると思しきところを指で掻く。

「そ、そうだよね。あの、僕、実は人に顔見られるの苦手で。葬儀の時も頑張った方なんだよ? でもやっぱ全部隠さないと落ち着かないというか……」

「そんなに嫌なら無理しなくていいです」

「見せる! 勇士くんならまだ大丈夫!」

ため息を吐くと、叔父は急いで袋に手をかけた。勇士は思わずごくりと息を呑む。

「あ〜、緊張するなぁ。人に顔見せるなんていつぶりだろう」

そうぼやきながら現れた顔に、勇士は目を見張った。

ひょうきんな言動からは想像もつかないほどの美貌は、海の向こうの大陸に細々と生きているというエルフを思わせる。そしてそれには確かに、勇士の母の面影があった。

薄い唇が笑みを浮かべた。

「改めまして、僕は本村遥希と言います。いくらでも頼ってくれていいからね」

「本村さんですか」

「そんな他人行儀な呼び方やめてよ〜、叔父さんでいいから! あとあんま見ないで恥ずかしい!」

じっと見つめていると、顔を赤らめた叔父はあっという間に不審な袋男に戻ってしまった。あんなに美形なのになんて残念なのだろう。

「その顔を隠すのはもったいないと思いますけど」

「恥ずかしいのは恥ずかしいの!」

「でもまぁ、見せてくれてありがとうございます」

はにかみ顔の勇士を見て、何故だが叔父のテンションは上がる。

「かわいい〜‼︎ もう、そんな顔されたら叔父さんなんでも言うこと聞いてあげたくなっちゃう!」

勇士はついその勢いに引いてしまい、そのことに気づいたのか、叔父は大きく咳払いをした。

「えー、まぁ。そういうわけだから、勇士くんも色々荷物とか整理しておいてね、一週間後に迎えに行くから」

「分かりました」

絶望的な状況に差した一筋の光に、勇士は感謝するしかなかった。


約束の一週間後、荷物をまとめ終わり、勇士は玄関の前で正座をしていた。ただ今の時刻は八時。実は一時間前からここで待機しているのだ。

黒いTシャツの上に水色のシャツを羽織るというラフな出で立ちではあるが、その表情は何とも重苦しかった。

(あー、緊張してきた。……実はあれは全部俺の願望が見せた夢で、叔父さんが来なかったら……いやでも妄想であんな袋を被った叔父さん出ないよね)

この一週間の間、ずっとこんな埒のあかないことを考えて堂々巡りをしているのだ。

一分一秒が耐えがたいほど長く感じられた。聞こえるのは不安で荒くなった自分の息ばかりという静寂を、呼び鈴が打ち破る。

「!」

今か今かと待ち構えていたにもかかわらず、勇士は飛び上がるほど驚いた。すぐさまドアを開けると、そこには一週間前に見たままの叔父の姿があった。

袋がかさっと音を立てて動く。

「迎えに来たよ。勇士くん」


黒塗りの車の助手席に恐る恐る乗り込む。それはいかにもな高級車だった。

「……叔父さん、結構なお金持ち?」

「いやいやまさか! 薄給もいいとこだよ。これは学校から貸してもらったやつ」

「学校?」

「そうそう、僕が図書教諭として勤めてるとこでーーぎゃふっ!」

「叔父さん、俺の顔は見ようとしなくていいから前見て!前!」

ただでさえ、袋で視界が悪いだろうに、甥の顔を見ていようとする叔父に、全力で注意する。こっちの命にも関わるのだ。

自分でも命の危機を感じたのか、叔父は前を向いて安全運転を心掛け始めた。

「えーと、何だっけ。あぁ、学校か。僕が偉い人に頼み込んで、君を春から入学させてもらえるようにしたんだ」

「え、俺入試とか受けてないけどいいんですか?」

普通に考えるとダメだろう。まさかの裏口入学なのか。そんな人様に顔向けできないことはしたくない。

叔父は笑って否定した。

「違う違う。その学校、ちょっと特殊でねーー君はちゃんとした基準で選ばれたから大丈夫だよ」

「基準ってーー」

「行ったら分かるよ」

そう言ったきり、叔父は学校の話をやめて、鼻歌交じりに世間話を始める。

勇士は不安を募らせながらもそれに付き合う。

(それにしても、大分街中から外れたところなんだな)

進むほどに高層ビルどころか民家も減り、寂れた雰囲気を感じる。

終いには山の中を走り始めた。

「ずいぶん人里離れたとこですね」

「全寮制の、かなり閉鎖的な学校なんだ。でもすごく敷地が広くて、緑もいっぱいでいい場所だよ〜」

「お金とか、かなりかかるんじゃないですか?叔父さん薄給って言ってたのに大丈夫……?」

「大丈夫、蓄えはあるし、ここなら僕の目が届くから安心!」

胸を張って自信満々に言っているので、信じることにしよう。

しばらくして、堅牢な門扉が見えた。車が止まる。

「着いたよ!ここが君の通う学校だ」

叔父がすたすたと先を行くので、置いて行かれないように荷物を抱えてついて行く。

叔父は慣れた手つきで鍵を開けると、勇士の方を振り返る。

「ようこそ、我がーーひょえっ!」

「うわっ⁉︎」

叔父の大事な袋の横側が、すぱっと切れていた。それもそのはず、恐ろしく鋭利な刃物が門の向こうから飛んできたからだ。

あまりのことに固まる勇士と叔父の耳に、軽い笑い声が聞こえた。

「あれ? 司書のセンセイじゃん、怪我してない?」

「……っ! もう! 真神くん!門の近くでナイフ投げちゃダメって言ってるでしょ!」

その言い方は前科があるのか。

ゆっくりと真神と呼ばれた男を見た。整った顔立ちもだが、何より目を引くのは陽の光を受けて輝く金の髪だ。

「ごめんごめん、でもセンセイも入ってくるなら言ってくれよ」

「ナイフを投げてるなんて普通思わないでしょ!」

「それもそうか……って、誰か連れて来たのかーー」

叔父の後ろで凍りついていたようになっていた勇士を覗き見ると、眼光の鋭い目が驚きで見開かれた。

「………」

「………」

しばし膠着状態が続く。勇士はと言えば、いかにもガラの悪そうな青年に見つめられ、まさに蛇に睨まれた蛙になっていた。

「……やっと来たか」

謎の言葉を呟くと、真神は勇士の手首を掴み、どこかへ引きずって行こうとする。

抵抗しようとはしたが、恐ろしいほどの力で押さえ込まれ、叶わない。

助けを乞うように叔父を見ると、彼は笑い声を上げてひらひらと手を振っていた。

「こいつ、寮に連れて行けばいいだろ?」

「ちょ、え!? 叔父さん!」

「そうだね、案内してあげて。勇士くーん、叔父さん基本図書館にいるから、また会いに来てね〜」

(裏切られた!)

叔父の無情な言葉を受け、勇士はがっくりと肩を落とし引きずられるがままになった。

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