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Ex:森羅万象の魔女   作者: 長月
一ノ鍵 アキガワの称号
2/3

一ノ錠 アキガワは猛省していた

3月上旬? になったので始めます。

三日に一度更新です。感想どしどし募集中。

では、宜しくお願いします。

 アキガワは猛省していた。黒錠士としてのプライドがあったからといえ、弟子を学舎から追い出すのは師としても人としても道理を逸した行為であったことを重々承知していたからである。

 それでも、やはりしょうがないと言えるだろう。生まれて三年もしないまともな言葉を覚えるよりも前に錠を解くための訓練を受け続け、二十歳になってもただ錠のみに向かい合い文字通り生涯をかけて唯一無二の技術を得ようとしたのだ。そして六十を越えた今日も弟子を育てながら、結婚さえせず自らも技術の向上を望みこうして錠を解いている。その努力の甲斐あって、今では世界でも一桁の黒錠士の中で一、二位を争う腕を持った。

 それが、たった三年の努力で追い抜かされた。

 何の変哲もない、探せばそこら辺にいそうなちょっとだけ正義感の強い青年だ。田舎育ちといった青年は子供はコウノトリに運ばれて来ると教えて信じるような誠実さを持っていて、何事にも直向きに取り組む姿は他の愛弟子達にも良い刺激となっていた。ただ、青年は刺激では終わらなかった。普通なら三年はかかる『|時計錠<<タイムロック>>』と呼ばれる基礎の全てが集約された錠を僅か半年で解錠し、一年経った頃には弟子たちの中でも上位に君臨する技術を修めていた。ただ、一番恐ろしかったのはーー

 青年は、努力を至高と捉えていたのだ。

 朝起きたら錠、歯磨きをしながら錠、一日の練習が終わっても誰よりも遅くまで残って錠、帰る道中でも錠、帰ってからも錠。一度アキガワが青年を泊まり込みで修業させたときには、飯を食いながら錠を解いていて怒られた程だ。終いには寝言を呟きながら錠を解くという芸当まで覚え、笑うことさえ憚られるその身も震えるような底無しの向上心と執着心は、果てなき畏怖を弟子たちに覚えさせた。鬼才と努力が微小な誤差なく嵌まった結果である。ーーそして二年後、とうとう青年は師を越えた。他の弟子たちは最早違う生物として青年を見ていて、張り合うことなど諦めていた。その成長ぶりに心が折れ故郷に帰るものもいた。師ですら、強烈な嫉妬と劣等感を覚えたいた……そんな時だった。アキガワは、ずっと気になっていた疑問をぶつけた。

「ヒルフェ、何故お前は錠を解くのだ。そも、どうして黒錠士になりたいのだ」

 青年の名を、実はこの時初めて師は呼んだ。弟子とてではなく、一人の人間として問うたからである。一瞬戸惑う仕草を見せながらも、ヒルフェは考え始めた。

 この三年間、一時も身から離さず錠を解き続けていた確固たる原動力を知りたかったのか、それともヒルフェという青年が何なのか知りたかったのかーー恐らく、その両方であろう。アキガワがそれなりの覚悟を放った言葉は、しかし、アキガワはその覚悟の甘さを悔いることになる。

「僕は……二つ、あります」奇妙な切り出しであった。青年は考えながら言葉を繋いで、自らの義を語った。

「一つは、解錠とは錠を作った者とそれを解くものの、純粋な真剣勝負だと思うからです。これは、アキガワさんから教わったことです」

 青年の言う通り、これはアキガワが弟子たちに口酸っぱく言っていた言葉である。錠を黒だとすると、それを解く者はその錠の上により黒い鍵を作り解かなければいけないーーそれが解錠士なのだと。そこが男のロマンであると、そこに拘り競い会うのが解錠士の一番の|醍醐味<<だいごみ>>であると、アキガワは何度も教えてきたのだ。

 これには、アキガワも素直に受け止めることが出来た。ヒルフェには負けず嫌いな面があり、負けたくないと思う気持ちが発火材になったのだと。

「では、二つ目は?」アキガワの問いに、青年は恐る恐る口を開いた。

「……あの、非常に馬鹿馬鹿しい話なのですが」

「構わない、話してくれ」

 この言葉を、アキガワは八年間の間に何時も後悔することになる。

「……解錠とは、誰かを救うことだと僕は考えています」

 

 

 

 

 先程よりも、奇妙な切り出しであった。

「錠とは本来、大切な何かを守るためにあります。ですが、それはとても悲しいことだと思うんです」

「悲しいこと?」師の疑問に、青年は頭を掻いた。

「はい。だって、自分の大切な人……例えば恋人を、錠をかけて閉じ込める人はいないじゃないですか。それと同じです。錠をかけられて閉じ込められている物が、可哀想じゃないですか。折角大切にされているのに」

 ーー何を言ってるんだ、こいつ。

 アキガワはそう思わずにはいられなかった。例えは分かるし、言っていることも理解できる。ただ、恋人と物はどう考えても違うだろう。それは自国の大切な秘宝に錠を掛けたり、身近に言えば家に錠を掛けることを……解錠士の仕事を、真っ向から否定している。そんな師の顔を見て察したのか、慌てて青年は付け足した。

「ーーいえいえ、解錠士の仕事を否定している訳ではありません。誰かに奪われないようにとか、守るためにとか、そういうことは大事だと思っています。錠を付けることを否定しているのではないんです。ただ……」

「ただ?」

 青年は間を置いて、口を開いた。

「……物の気持ちにも、なってほしいんです」

 場に、沈黙が訪れた。アキガワにはあるはずもなかった、新たな|辺鄙<<へんぴ>>な考え方であった。

 ーー物の気持ちになる。

 東方に伝わる『九十九神』という伝承がある。何でも、愛着を持って使い古しているものには神が宿るという普通に考えて馬鹿馬鹿しい話だ。しかし、前にもこの青年は夢中で『九十九神』の話をアキガワにしたことがあった。自分の村にはこの伝承が信じられてきたのだと。この伝承はとても素晴らしいものだと。

「だから僕は、解錠士として黒錠士を目指しているんです。錠によって閉じ込められた物を、救いたいんです。特に、陽の光も浴びることの出来ない難錠に掛けられた物には」

 抱いていた嫉妬や劣等感が消し飛んだ。あまりに考え方が異なりすぎた。物事の捉え方、価値観、焦点全てが考えたこともないものだった。

 ーーそれが、悔しかったのだ。

 自分の今まで積み上げてきたもの全てを否定されたような気がしたのだ。青年の方が腕として上な以上、それを受け止めることしか出来なかったのだ。青年の誠実さが、逆にアキガワにとって苦しかった。それでも、認めたくはなかった。認めてしまったら、終わりだと思った。

 後日、師は一人の弟子を『旅に出て腕をあげてこい』という名目の下追い出した。

 

 

 

 

 『鍵によって閉じ込められた物を、救いたいんです』。

 アキガワは考えていた。ヒルフェという弟子を追い出した|明日<<みょうにち>>、実はアキガワは師を辞めたのだ。自分なりに青年の考えを読み取ろうとして、そのために八年間を自分のためだけに使おうとした故の結果だった。意外と、これを弟子たちに伝えたところ誰一人として反対することなくすんなりと受け止めてくれた。彼らも解錠士として、アキガワの心境を理解できたからである。

「さて……」

 自分なりに考えた八年間だった。明日、ここアブエルンに帰ってくるらしい青年に自分なりの考えをぶつけようとアキガワは決めていた。

 そしてーー。

 一人の黒錠士は、窓から夜空に浮かぶ無数の星々を眺め感慨に|耽る<<ふける>>。追い求めていた一等星には、辿りつけなった。しかし、自分なりの区切りはついた。満足だ。心残りは一つもない。ただ、純粋な星の輝きのように光る一人の弟子をこれからも見守りたいという願望はあった。

「ありがとな、ヒルフェ」

 一人の青年に、一人の弟子に考え方を教えてもらった。素直に、感謝の言葉を呟いた。ただ、青年の前だと恥ずかしくて言えなそうな自分の苦笑いして、アキガワは溜め息をついた。

「結婚、しないとなぁ……」

 レーラー・アキガワ。御年六十を迎え、人生初の婚活に臨む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  郷土、ではないものの帰って来たという実感はなんとも感慨深く、空に広がる広大な青い海を見上げ息を漏らす。活気のある繁華街の喧騒が鼓膜を震わせ、心までもが高揚してくる。

「あ」

 不意に落ちてしまった鮮やかな橙の羽を付けたチロリアンハットを拾い上げ叩くと埃が舞い、ずれた渋い茶の革の鞄を整える。落ち着こうとゆっくり息を吸い、吐き終わった頃には今度はより広いアブエルンの王都が目前に展開された。

 思わず、口の端が上がってしまう。

 技術振興都市は伊達ではなく、今まで見てきたどの街よりもやはり建築物のレベルが高い。それでいて景色を損なわず奥まで見渡せる建物の配置、計算し尽くされた路面の整備と馬車の屋形の快適さを追求した構造の緻密さ、何より向こうのアブエルン王宮! 五年間見てきた美しい芸術品は、八年の時を経ても姿一つ変わらず我が物顔で聳え立っていた。

 自分の解錠士としての原点。

 アキガワ師匠と出会い、師事した場所。

 謂わば、第二の故郷。

 視線を落とせば、体中に鳥肌が立っていた。風が、空気が、景色が、幾年の時を超えて里帰りを歓迎してくれている。あの日から失くした大切なものが、心の中を満たしている。込み上げてくる様々な想いが思わず目尻に涙を浮かばせ、ここで迎える新たな生活が頭に溢れてくる。

「ただいま、アブエルン」

 青年はそう呟いて、懐かしき故郷の街へと歩き出した。


 ーー五分後。

「ここは、どこだ……」

 八年間も旅していたのだから当然と言えば当然かもしれないが、やはり青年の方に問題があるのだろう。

 忘れたのだ。師の家を。

 では何故王宮は覚えていたのかというと、あれはあれで芸術品として深い印象が刻まれており強力な接着剤でくっついたかのように記憶から剥がれないのに対し、師の家はただの家である。愛着と似たようなものはあるとはいえ、青年のメモリの優先順位は技術関係のことが最優先であり故郷の風景や師の家は二の次であったのだ。故に青年は目的地の西地区八番街とは真反対の、東地区五番街で右往左往していた。東地区五番街は住宅街で仕事場となる場所が少ないので昼間は人気がなく、かといって王都騎士団の本部があるので治安も悪くない。だからか通行人が先程から一人二人しかおらずそれ以外は毛をくつろいでいた親子の猫だけが佇んでいた。

 これでは人にも訊けない。しょうがないから、取り敢えずあの王宮まで向かおうと青年が溜め息をついたその時だった。

 底が全く見えないほどの、禍々しい魔力ーー。身体中を極寒の冷気が襲い、恐怖という鎖が、体をがんじがらめに縛り付けてくる。まるで恨みのある者を、何としてでも封じ込めるような狂気の執着と、常闇の広がる深淵に突き落とされたような、凄惨の絶望。この世の事象全てを壊して、溶かして、蒸発させて消す意志をもった黒の化け物が如く溢れだす気障に、青年は息すら容易に出来ない。

 八年間の間に似たような魔力には出会ったことはあるが、明らかに桁が違う。殺意の矛先がこちらに向いてないのにこの惨状、もし突き付けられればーー最善でも”死ぬ”。

 青年はなんとか鎖から免れ、魔力の発生源に体を向ける。

 荒い息と生命の危機を訴える心拍だけが聞こえる中、そこには廃墟と思わしき館と、それに食らい付くよう絡みつく深緑の蔦ーーいや、これは。

「……封印。それも、無数の」

 黒錠士を目指して十一年間、錠のことだけを胸中に置いて生きてきた青年の目には蔦一つ一つが全て錠のように見えたのだ。しかも一本に懸けられた魔力の重なりと繊細な構成には口を開けるしかなく、それが無数に館はおろか門までその身を伸ばしているのだから、恐怖の中にいたはずの青年が突き動かされたように蔦に手を触れたのも無理はない。

 しかし、その代償は高くついた。

 瞬きする間もなく、館を縛っていたはずの蔦が姿を変える。蔦が絡まり纏まってできた集合体は「龍」そのものであり、カエルを睨む蛇のごとく今すぐにでもヒルフェに噛みつき骨の髄ごと砕いてやろうかとうねりをあげていた。冷汗がとどめなくあふれ出す。思わず後退し、バランスを崩して尻もちをつく。突然の死地に思考は停止し、本能が生きるための最適な行動を模索し始める。久方の里帰りを歓迎した無理難題な錠にヒルフェは恐怖しーー同時に、高揚していた。

「すごい」つぶやいた言葉に嘘偽りがあるはずがない。錠だらけの人生を歩んできたヒルフェにとっても数珍しき難錠。恐怖のどん底に叩き込まれ心臓に龍の牙が突き付けられていても、一つしかないはずの命に危機が及んでも、この解錠士は恐れこと味わおうが錠に対する興味、関心が先行してしまっていた。文字通りの、命知らずというやつである。

 青年は止まらない武者震いに身を委ね、鞄の中に手を入れた。取り出したのは一見何の変哲もないそれぞれ赤、青、黄、そしてあまり見かけることのない黒のチョーク。青のチョークを右手の親指と人差し指と中指でしかと支え、赤のチョークを同じように左手に持つ。残りは全て腰の直方体のケースに入れてゆっくりと息を吸った。

 蔦に化けている錠の形状は主に八種類。これ事態は封印の規模に比べれば非常に少ないのだが、そこからツリー状に派生される魔力の構造が厄介極まりない。全てが最低でも十二重であり、さらに一つ一つの陣が極小の字で埋められたノートのようで蔦が少し浅黒いのはそのせいだろう。見れば見るほど息がこぼれ、武者震いが大きくなる。

 青年は空を見上げた。急流に乗せられた雲を追いかける渡り鳥。コンクリート越しに大地の広さを感じる。溢れんばかりの魔力が館から流れているのに、皮肉にも住宅街は閑静で平和の真っただ中にいるようだ。

「いい手土産ができたな」

 いままでに見たこともない難錠。これほどのものを解けたと師匠に見せれば、黒錠士に一歩近づいたと言ってもらえるだろう。それに、こんな錠にこの先逢えるかどうか分からないし、いい経験になる。青年はそう考えたあとゆっくりと伸びをして、手を下ろした頃には目の前の玩具に全神経を済ませていた。

 登山家にもいるように、解錠士にもたまに出てくるのだ。

 

 「なぜ解錠するのか」と聞いたところ

 「そこに錠があるから」と答えるような阿呆が。 

ありがとうございました。

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