テンプレの法則
ある重大な法則を見つけた。対象者の数が増えるほどワンパターンな作品が減る。なろう、ラノベ、深夜アニメ、その他のメジャー作品。ただ、これ深夜アニメとその他のメジャー作品とはまた違った形になる。
ここはとても難しい。その他のメジャー作品はある意味ワンパターン。ただバラエティー豊かだと言うのが全く違う。これは深夜アニメの金の稼ぎ方になる。これからどうなるか?分からないがBDの販売に頼っているため。この手の娯楽創作としてはかなり高額。映画が売れるじゃないか?って批判があるだろう。映画と深夜アニメじゃまるで違う。同じアニメならもっと分かり易い。映画に費やされてる費用が格段に違う。それで回収できるのは数と映画自体の視聴料金で回収するからで、BDはおまけなんだ。映画の映像の質はそれほど重要ではないが、BDとして保存したくなる価値は確かにあげている。
そこにプラス、映画は1枚こっきりで良い点だ。長時間楽しめるからTVアニメの方が優秀じゃないか?だが、その分枚数必要で高額に成るほどの価値があるか?を考えた人がいるだろうか?根本的に深夜アニメの購買層は一般的な経済観念とずれた人の価値に売りつけていて、そこをまともに考えられるのが映画が売れる秘訣になる。おそらく映画好きも、アニメの1クールそろえるより、同じ枚数別の映画をそろえたほうが得だと思うだろう。この点からワンパターン傾向が見えると見てる。
それでも深夜アニメとその他のメジャー作品は違う。ある意味その他のメジャー作品はなろうに近くなる面がある。金額の大小が関わっているから。一般人が物語りに費やす金銭感覚と深夜アニメはずれてる。リーズナルブルなお値段じゃない。そこを無視すれば、ワンパターン傾向は対象者の数が増えるほど減ってくる法則が成り立つ。
高額商品はワンパターンを阻害する方向性を同時に持つ。これが複雑にしてる原因。これを取りあえず無視してこの法則の根幹に迫りたい。
これはおそらく好みだと思う。より対象者が減るほど、ある特定の好みに強い刺激を持つものが増える。だからワンパターンが通用するとなる。これがなろうファンタジーの真相だろうと見てる。これは当たり前じゃないか?と思う。メジャーな作品はいろんな人が見る。これにシンプルに突き詰められる。なろうはそうじゃないとなる。
じゃ何故問題が複雑化してしまうのか?に取りあえず無視したお金が関わってくるから。創作をメジャーに引き上げるのは大体お金。お金が関わるものの関係で決まってしまう。だからメジャー作品が衰退傾向にある中で金払いが良いオタクターゲットが伸びてしまった。これが、深夜アニメを頂点とするゆがみになってる。
根本的な商売のスタイルが違う。メジャーな顕著な例がディズニーになるだろう。メジャーな作品を基準に語れていたサブカル系の作品論が徐々に変質し始めている。深夜アニメとメジャー作品には商売上から生じた断絶があると見てる。
この法則から言えばメジャー作品を最高点とすれば作品はより多くの人に受けて、好みに偏らないほうが良いとなる。だがならない。そこに商売上の断絶があるから。ただそれを無視するなら今の現象は、この4つのケースが対象者の数を上げるほどワンパターンが解消されるって点で大体紐解ける。より特定の人の好みに訴えないほうがワンパターンは解消される。逆に言えばより特定の人の好みに訴えない刺激を作れるほうが数は稼げるとなる。
この点なろうと言うのは、矛盾した2つの価値が混同した複雑なものを生み出してる。それは無料だからが大きい。深夜アニメは無料視聴者の声なんてさっぱり聞いてない。だから粗製乱造と悪口を言われる売れ線をずっと作り続ける傾向がある。深夜アニメの煮え切らない中途半端さはここにある。実際はなろうより少ない人がアニメの先行きを決定してるかもしれないのだ。その実体はなろうより分かり易いものじゃないけど。
何故なろうがこんな事になってるのか?批判から入る人は基本好みと面白さが密接に絡み合ってないだけ。その人も多分なろうの多数の読者には理解できない偏った好みを面白さだとしているはずだ。それに対して批判できないだけ。これは聞く価値の無い意味の無い言及だ。
じゃなろうはこのままで良いのか?私が良い例で、深夜アニメの萌えキャラブームの話しをしたいと思う。かなり早い時期から似たような作品ばかりだと批判が出てきた。約5年だやっと衰退し始めた。煩い連中は大体好みじゃないだけ、自分は別の好みを持ってるのを隠してるだけ。意図的に隠してるわけじゃない、多分面白さについて深い追求がなされてない。偏った好みもまた面白さの一つで、それはメジャーな観点から否定されるものじゃない。
対象者の数を上げるだけが面白さなのか?そういった根源的な問題と向き合うもので、問答無用で切り捨てられるようなものじゃない。むしろすべての作品はなんらかの偏った作者の好みで作られてる。どんなメジャー作品でも。そういったトゲが無い作家が成功するパターンを見た事が無い。多くのメジャー作家は個人的好みのごり押しの様な作品からのし上がってきた人が多いのだ。
偏った好みを物語の面白さと分けるのは間違ってる。物語の面白さは他人に紹介するためのものじゃない、自分を楽しませるものだ。
さて例としたものは結局悲惨な事になって、なろうの台頭と深く関わってる。ハレームが何気なく重視されてるが、実際は要素のひとつでしか無い。女の子のキャラさえ可愛ければ後はどうでも良いと言う作品は衰退してきたのだ。いつかは今支えているファンも飽きる。その時のための事は考えておいた方が良い。
ただそもそも好みが薄い馬鹿の意見は聞く必要は無い。良くあるパターンで飽きたを強調する批判がある。そんな事はどうでも良い。飽きるのが早すぎるって点が実は問題なんだ。価値のある言及はいつ皆が飽きるか?を正確に言い当てる事にある。どんな流行でもピークは凡庸な人間でも当てられる。問題はそれが何時終結が始まるか?を当てる予想屋は居ないんだ。
リーマンショックもこれはバブルだと指摘した人はいくらでもいたが、Xデーを当てるのは無理だとしっかり言ってくれた人は私は1人しか発見できなかった。皆預言者になろうとノアがわんさか溢れたが、大事なのは時期を当てる事だと分かってた人はごく少数しか居ないんだ。なろうのテンプレ批判がゴミばかりなのは凡庸が知的ぶって馬鹿な意見を撒き散らすからだ。あんなの真に受けるってアホだと思う。時期を言わない奴のいう事は聞くな。
私は無理だと書く。受けたいと思う作者はいつか崩壊すると分かりきってる流行に追従するしかない悲しい生き物なのだ。だから私は少しでも毛色の違うものを書くための方法をこれまでのエッセイにちらほら書いてる。Xデーを言い当てるのが不可能なのだから、別の道を模索したほうが良い。
ちなみに書いておくと次の流行の刺激がなろうと言う微弱なものだったから、アニメ業界は全くBDが売れない時代に突入した。その中でそこそこ売れるものに相変わらずキャラ可愛いの作品となる。それらが衰退したからと言って他が伸びるわけじゃないんだ。分かってる?って話し。ノータリンな書き手の批判エッセイに騙されて単純に動くなよ?ってアドバイスを書いて締めておきたい。