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アルカ  作者: よる
2/3

氷結の大地

 司祭の巡礼の旅も残す所後二か所の神殿を巡れば、最後の地、アルカへと辿り着く。最初の神殿を出てから既に三年と一か月経っていた。


「さすがに寒くなったな」

「そうですね。それでも、今の時期はまだ暖かい方なんですよ」

「これでか?リフィなんて寒すぎて口も効けねえ位なのに」


 ガチガチと鳴る歯の音がベールの向こうからずっと聞こえていて、震えながらも一歩一歩踏みしめるように歩いている。神殿のある町まではまだ遠く、ベルナルドは一旦休憩を取る事にした。

 焚き火を作れば、リフィは火の前から動かなくなった。

 中から温める為にスープを作り香辛料を入れたが、入れすぎると辛くて飲めなくなる。


「うん……、まあ、大丈夫だと思う」


 そう言いながらジェットとリフィにスープを渡し、辛めのスープを皆で飲んだ。ついでに酒でも入れてやろうかと思ったが、ジェットはともかくリフィは確実に飲んだ事がねえだろうと思ったので止めておいた。


「バ、バービー、辛いけど美味しい」

「そうか」


 震えながらそう言ったリフィに笑んで、頭を撫でた。

 すっかりバービーで定着しちまったなあと、笑ってしまう。


「ちゃんと飲んで身体の中から温めておけよ?」

「うん」


 スープを三杯飲んだリフィは、「あったかくなったー!」と言って元気に歩いている。リフィが本物の聖女だってんなら、歩かせたりせずに馬車でも用意してやればいいのにと思わなくもない。

 偽物の方は、とても目立つ馬車に乗って移動しているのだ。

 しかし、そのお蔭でこっちには盗賊も山賊も海賊もやって来ない、ベルナルドの出番が一度もない平和な旅だった。


 偽物御一行は歩いているこっちに合せているのか、馬車の割りに随分ゆっくり進んでくれるので、賊達に襲われ放題のようだ。貴族のボンボン達が日を追うごとに疲弊して行くのを横目に見ながら、ベルナルドは心の中で労っている。


 やっと町に着き、いつも通りに裏通りの宿屋に入る。

 話題はこれからやって来る聖女御一行の事ばかりで、司祭と女祭が同行しているからかその話を振られるが、自分達は別口だと言うとそのまま放置される。

 護衛のベルナルドにとって、これ程楽な仕事は無い。

 偽物サマサマだなと、神殿のこの采配に感謝する。


「次の神殿は北の大地に一番近いんだろ?」

「はい。大陸の北端であり、アルカの入り口になっている町です」

「そんな寒い所に人が住んでるってのが驚きだぜ」

「あの町の住人は、元々アルカに住んでいた人達なんです」

「氷の大地にか?」

「ええ、そうです。住めなくなったので、せめて故郷が見える所で暮らしたいと言って、あの町が出来たのです」

「ふうん……」


 ジェットの話しは肝心な事をぼかしているって解っているが、それを教える気はないと言う事も良く理解出来た。

 翌日、いつも通りに聖女の祈りに隠れてジェットとリフィが祈りを捧げた後、町に出て食堂に入る。最近では宿屋で食事をせず、こうして外で食べるのが当たり前になっているが、聖女のお蔭で警戒せずに気軽に出歩けるのがありがたい。


「バービー、これ美味しい」

「これは唐揚げだ、リフィ」

「からあげ?」

「ああ。肉に味付けした小麦粉を絡めて油で揚げるんだ」

「味付けした小麦粉?」

「ああ、色んな調味料を混ぜるんだ。だから作る人によって味が違うから、食べ比べると面白いかもな」


 そう教えると目をキラキラと光らせながら自分を見るリフィに、野宿で唐揚げは無理だと伝えるとガックリと肩を落としていた。


「アルカから帰る時にでも作ってやるよ」

「え……、本当に?」

「ああ。宿屋で調理場借りれば作れるぜ?」

「バービーってすごいね!」

「あのな、唐揚げってのは神都じゃ家庭料理だぞ」


 声を潜めて伝えれば、リフィは家庭料理に首を傾げていた。

 神殿の奥の奥で育てられると、どうしても世間に疎くなるらしい。


「店で金出して食うようなもんじゃねえって事」

「で、でも、美味しいよ?」

「うん、美味いな」

「バービーのも美味しい?」

「美味すぎてリフィの頬っぺたが落ちるかもな」


 コソコソとそんな話をしたら、リフィが自分の頬を抑えて笑う。

 その様が何だか可愛くて、また頭を撫でた。


 町を出る前にジェットとリフィのコートをくれないかと神殿で交渉すると、司祭用のコートしかないと言われて諦めた。しかし、また寒い中歩いて行く事を考えると、ジェットはともかくリフィが風邪をひくかもしれない。


「なあ、提案なんだが」


 そうして俺の提案をリフィの為に飲んだジェットは、町で服を買い込み、毛皮のブーツやら毛皮の帽子まで買い込んだ。ベルナルドも聖騎士の服ではなく、同じように買い込んだ暖かい格好で剣をぶら下げ、三人共普通の旅人の格好となる。


「ああ、これは暖かいですね」

「だろう?リフィはどうだ?」

「あったかいよ。ありがとう、バービー」


 フワフワの雪兎の毛皮で作られた帽子を撫でれば、嬉しそうに笑うリフィに笑み返し、大陸最北端の町へと辿り着いた。神服を脱いだ旅路は順調で、ここで祈りを捧げれば後はアルカに渡るだけだ。


「あれが、アルカ……」


 岩に叩き付けられる波の音を聞きながら、三人でアルカを眺める。

 氷結の大地と呼ばれるそこは、遠目から見ても凍て付いた大地が眼前に広がっているだけで、何故あれが最後の地なのかベルナルドにはさっぱり理解出来なかった。


 アルカから移住して来た人を保護する為に出来たと言う神殿へと赴き、いつものように二人が祈りを捧げるのを番犬よろしくドアの前に立って、祈りの時間が終わるのを待っていた。

 偽物にくっ付いている同僚達は、ベルナルドを遠巻きに眺めるだけで何も言って来ない。自分達がエサにされたのだと理解したのか、随分と大人しくなったもんだと苦笑する。

 わざわざ仲違いをしたい訳でもないので、ベルナルドもよらず触らずで過ごしていた。


「疲れたよ、バービー……」

「お疲れ、リフィ。大丈夫か?」

「駄目、抱っこして」

「調子乗んな阿呆」


 そう言いつつふら付くリフィを支えるように腰を抱き、何とか歩けるように体裁を保つ。その間にさっさと神殿を出るのがいつもの事だった。

 コソコソと神殿を出て宿屋に戻っている最中、リフィの体調も回復する。

 宿の部屋でさっさと着替えを済ませ、町中へと出てフラフラと買い物をしたり、買い食いをしてから食堂へと行くのがいつもの事だった。


「リフィ、お前随分胃袋デカくなったんじゃねえか?」

「え、デカくなった?」

「ああ、いや、大きくなったんじゃないかって」

「大きく?なるの?」

「最初の頃より随分食う量が増えたなと思ってな」


 じっとお腹を見下ろしてそっと撫でるリフィの頭を撫でた。何だろう、リフィにはつい、手が伸びて頭を撫でてしまう。自分でも良く解らない衝動だが、嬉しそうに笑うリフィを見ると、まあいいかと思ってしまう。


「んで、どうやって渡るんだ?」

「船です。と言っても、私達は小さな船なので心配なのですけれど」

「仕方ねえよな、そこは。小さくても渡る事は出来んだろ?」

「それは勿論です。ここからアルカへ行く方は多いんですよ」

「なんでだ?」

「多くは……、墓参りです」

「ああ、そう言う事か」

「はい。ですので個人的に渡る方も多く、大丈夫だとは聞いております」

「わかった」


 旅の間中、ずっと護衛として出る幕は無かったベルナルドではあるが、警戒を怠った事は無かった。ただ、自分達より目立つ存在と、そっちの方がどう見ても金を持っていると解る為、襲われる事が無かっただけだ。


「信用できるんだろ?」

「それは、はい、確実に」

「ならいい。船上で襲われたら逃げ場がないからな」


 小さな船と言っても一人二人が乗れるような物ではなく、一応船室がある船だろう事は直ぐに解る。ジェットがリフィをそんな船に乗せるとは思えないからだ。


「おいリフィ、まだ寝るな」

「うん、判ってる……」


 この町は寒い地方独特の物が売られていた為か、目に入る物全部が初めて目にする物ばかりで、随分とリフィははしゃいでいた。そのせいか、暖かい食堂で温かい食事をして眠くなったようで、フラフラと上半身が揺れている。

 半ば抱きかかえるようにして食堂を後にし、慌てて宿屋に戻ってリフィの部屋へと入った。


「……バービー」

「うん?」

「あのね……、バービーの唐揚げ食べさせて」

「まだ食うのかよ」

「食べたいの」

「はいはい。アルカから帰って来たら作ってやるよ」

「今!今食べたいの!」

「あのなあ、」

「今すぐ!お願い、バービー」


 本気かよ……。

 

「眠かったんじゃねえのか?」

「待ってるから」


 何でここまで言い張るのかわからないが、仕方なく了承すればリフィが嬉しそうに笑った。


「ちゃんと起きて待ってるから」

「はいはい」


 リフィの部屋を出てジェットに唐揚げを作る事になったと伝えると、ジェットは困ったように笑いながら、自分も食べたいと申し出て来た。


「お前もかよ」

「是非」

「はー。わかった、ちょっと待ってろよ?」


 宿屋の女将に伝えると、竈が一つ空いてるから使ってもいいとすぐに許可をくれた。食材は宿屋にある物を買い取り、それで唐揚げを作る。

 小麦粉に自分がベストだと思った調味料を入れて行き、良く混ぜてから肉を絡め、油に落とす。一つ寄越せと言う料理人に、揚げたての唐揚げを渡したら、良い味だと褒められた。

 たぶんこの辺りは、小麦粉も調味料も、恐らく肉でさえ貴重な食料だろう。

 それを分けてくれた礼だと思えば、安いもんだ。


「おら、食ったら寝ろよ?」

「わあああ、美味しそう!ありがとう、バービー!」

「味わって食え」

「うん!」


 どうせ長ったらしい祈りを捧げてから食べるのだろうと思っていたら、リフィは祈りもせずに口にするから驚いた。


「ばっかお前、熱いだろ」

「あ、あつ」


 はふっ、はふっ、と息を吐きながらそれでも吐き出す事はせずに、何とか噛んで飲み込んだ。


「お、美味しい」

「嘘言うな。水飲むか?」

「嘘じゃないよ!」

「熱すぎて味なんかわかんなかっただろ」

「そんな事無い、ちゃんとわかったよ!」

「そうか。ほら、水だ」


 部屋に用意されている飲み水を出してやれば、むうっと頬を膨らませながらも素直に水を飲んだ。

 さすがに懲りたのか、唐揚げを取って息を吹きかけて冷ましてから、少しずつ口に入れて食べるリフィを見てた。熱くて少しずつしか食べられないからか、まるで小動物のような食べ方が面白い。


「ん?なに?」

「……いや、なんでもない」


 そう言って頭を撫でると、いつものように笑わず何故かじっと見つめてくる。


「……どうした?」

「ううん、何でもない。唐揚げ、美味しいよ、バービー」


 ニコニコと笑ったリフィに笑み返し、唐揚げを食べ終えるのを見てた。最後の一個を取ったリフィは、悲しそうな顔をしながらもその一個にちびり、ちびりと噛り付き、時間をかけて食べ終える。

 空になった皿をじっと見つめているリフィに苦笑し、また作ってやるからと頭を撫でれば、悲しそうな顔をしながら「絶対だよ?」と言って来る。


「ああ、約束だ」

「……うん、約束」


 唐揚げを食べ終えた事がそれ程悲しかったんだろうかと思いながらリフィの頭を撫で、おやすみと声を掛けて空の皿を持って部屋を出ようと立ち上がる。

 見上げて来るリフィの頭をもう一度撫で、早く寝ろよと声を掛けてからドアに手を掛けた。


「っ、な」


 後ろからリフィに抱き着かれ、身動きが取れなくなった。

 そのまま無言の時間が流れたが、ドアノブを握っていた手を腹に回されたリフィの手の上に重ねた。ピクリとリフィが身動ぎしたが、安心させるように重ねた手を軽く叩く。


「どうしたんだ、リフィ?寂しくなったのか?」


 寒い時ってのは本能的に温かい物が欲しくなる。

 人恋しいと思う時は、大抵寒い時だ。


「寂しい、のかな」

「良く解んねえのか」

「……良く解んねえ」


 ベルナルドの言葉を真似して答えたリフィは、暫くの間そのまま抱き着いていた。気が済んだのか、ゆっくりとリフィの手が離れて行き、おやすみと言われながら背中を叩かれる。

 離れたと思ったらあっと言う間にベッドに潜り込んだリフィを見て、苦笑しながらおやすみと声を掛けて部屋を出た。

 空の皿を見下ろしながら、また作ってやろうと思いつつ司祭の部屋の皿も片付けてからベッドに入る。後ろから回されたリフィの華奢な手を思い出しながら、腹に手を当てて眠った。


「お疲れ様でございます、司祭様、女祭様。それに、聖騎士様も」

「ありがとうございます。よろしくお願い致します」

「お任せ下さい。ちゃんと送りますから」

「ええ、頼みましたよ」


 小さな船ではあるが、やっぱりちゃんと船室がある船だった。

 漕ぎ手の男は八人、声を掛けて来た爺さんが船頭なのだろう。ジェットが挨拶をしてから乗り込み、ベルナルド達が船室の中へと入ると男達が船を出した。



『ああ、北の大地よ、凍て付いた我が故郷よ

 氷の檻に閉ざされた、魂よ

 いつか、融けると信じてる

 やがて融けると、願っている』



「な、んだ?」

「船頭歌ですよ。この地の名物です」


 漕ぎ手の男たちが歌っているからか、随分と低い歌声が何だか恐ろしくもある。物悲しく聞こえるのは、詩のせいだろうか。



『風よ、彼の人に届けて欲しい

 私は待ち続けると

 氷の檻を解き放ち、その魂を帰しておくれ

 アルカよ、凍て付いたその大地から

 彼の人を帰して欲しい』



「……船漕ぎに向かねえ歌だと思うんだが」

「この詩を作ったのは、名も無き方だそうです」

「ふうん。大事な人でも置いて来たのかね?」

「恐らくはそうなのでしょうね」


 じっと耳を澄ませて聞いていたが、どうやら詩を繰り返して歌うらしくまた最初から歌い始めていた。そこで漸く大人しいリフィに気が付く。


「リフィ、どうしたんだ?さっきからずっと黙ったままだな。具合でも悪いのか?」

「……大丈夫。なんでもないよ」

「なんだよ、緊張してんのか?」


 巡礼の最後の地だし、本物の聖女だから何かあるのかもしれないとは思うが、だからと言ってベルナルドに出来る事は何も無い。


「しっかし、どんどん気温が下がって行くな。さすがに想定外だわ」

「そうですね、確かに」


 ただ黙って座っているリフィは、顔のベールを上げもせずに身動ぎ一つしなかった。具合が悪い訳じゃなさそうなので、気にしながらもジェットと会話を続け、船頭歌を五回は聞いた頃、船頭の爺さんが声を掛けて来た。


「そろそろ、アルカに着きます」

「判りました」


 徐々に船の速度が落ちて行き、やがて船を泊めると船室のドアが開く。


「着きましたよ」

「ありがとうございます」


 ジェットが答え、三人共がそれを合図に立ち上がる。


「行きましょうか」


 ジェットの言葉にただこくりと頷き、船から渡された板を渡る。

 氷の大地に足を降ろし、漸く揺れから解放された事にほっと息を吐き出した。


「気を付けろよ」


 手を伸ばし、リフィが渡るのを助けた。

 足を降ろしたリフィは少し歩いてジェットの邪魔にならない所で立ち止まり、じっと道の先を見つめていた。

 道と行っても、道に見えると言えばいいか、どこもかしこも氷だらけで歩きやすそうな所と言うだけである。ここが本当に大地なのかどうかも定かではない程に凍り付いた景色を眺め、行きましょうと促すジェットに頷いて歩き出した。


 ブーツの底に鋲が付いている物を渡されていたが、なるほど確かにこの靴でないと歩けない。


「ジェット」

「はい」

「神殿があるのか?」

「神殿と言うか、氷の山があるんです」

「……アレの事か?」


 降りた時から見えていた壁のように高い氷を見ながら聞けば、ジェットはそうですと頷いた。寒い所に来てさらに寒い所に行くとは、本当に莫迦か阿呆だ。


「あれが最後の地だってか」

「はい。あそこが巡礼の旅の目的地です」


 氷の上を歩くってのは、割りと体力が必要なのだと初めて知った。

 無言で歩き続け、やっと目的である壁のように立っている氷の山を見上げ、一息吐いた。


「……やっとか」

「そうですね、やっと着きました」


 三人で荒い息を吐きながら見上げた氷でできた山は、ちょっとやそっとじゃ融けないだろうと思える。


「なあ、本当にこんな所で祈るのか?」

「はい。ここが目的地であればこそ」

「そうか」


 氷山の下に、ここが入り口だぞと言わんばかりにぽっかりと穴が開いている。


「では、行きましょうか」


 その穴に向かってジェットが歩いて行き、リフィがそれに続く。

 ベルナルドはその穴の前で、また番犬よろしく待っている事になる。


「バービー、お願いがあるんだけど」

「なんだ?」

「あのね、それ、貸して欲しいの」


 それと言いながらリフィが指差したのは、ベルナルドの右手首。

 そこに、旅に出る前から付けている皮で出来たベルトが巻かれていた。


「……これか?」

「うん。駄目?」


 駄目と言うか、ずっと巻いていたから汚いと思うのだが。

 ベルナルドは少しだけ考え込んでから、右手首からベルトを外した。

 こんな氷山の中へと入るんだ、怖くて当たり前だと思ったのだ。


「ほら、手え出せ」


 リフィの右手首に巻いたベルトはブカブカで、そのまますぽっと抜けそうだが、ベールを上げて顔を出したリフィはそれを見て嬉しそうに笑った。


「ありがとう、ベルナルド」

「おう……、ん?お前、初めて俺の名前ちゃんと呼んだな」


 揶揄うと、何故か嬉しそうに笑う。


「……ここで待ってるから」

「うん」


 そう言いながらも歩き出そうとせず、そのままじっと見上げて来るリフィに首を傾げ、何となく頭を撫でたら目を見開いてから、満面の笑みを向けて来た。


「じゃあね、バービー」

「ベルナルドだ」


 久し振りのそのやり取りに同時に笑い声を上げ、そして氷山の穴の中へと入って行くリフィを見送った。

 穴に背を向け、氷の大地を見つめ続けるのは、はっきり言って退屈だ。

 もしかしたら氷の下に何か見えるかもしれないと、足元を見下ろしてじっと見てみたが、白く濁った氷はベルナルドに何も見せてくれなかった。


 やがて日が傾き始め、空の色が変わる頃になってから、ベルナルドは決意して穴の中へと足を踏み入れる。祈りの時間はとっくに過ぎていたけれど、最後の地と言う事でいつもとは何か、違う儀式があるのかもしれないと思っていたのだ。


「おーい、ジェット、リフィ?」


 声を掛けながら氷の洞窟の中を歩いて行くと、夕焼けが差し込んでいるのか、赤く染まった広間が見えて来た。それが、まるで血のように見え足を止める。

 氷の中にいるせいか、夕焼けでさえ不気味に思えた。


「ジェット、リフィ?」


 声を掛けるが返事はない。

 そして、広間に足を踏み入れたベルナルドは、そこから動く事が出来なくなった。息も止めていたのか、はっと一度息を吐き出した事で再び呼吸を始める。


「…………リフィ、なの、か?」


 眼前に広がるのは、氷の壁に埋め込まれている女祭たち。その一番手前の女祭の右手首には、見慣れたベルトが巻かれていた。


「……リフィ?」


 手を伸ばし、その氷に触れた。

 たぶん、冷たいのだろうが、ベルナルドは必死に氷を削ろうとした。手で、指で、爪で氷の中からリフィを助け出そうともがく。

 その内剣を握り切り付けたが、氷には傷一つ付かなかった。


「な、んで……、なんで……」


 愕然としながら氷の中に閉じ込められたリフィを見上げ、はっと気づいたように周囲を見回す。やがて、部屋の隅にジェットを見付けて駆け寄った。


「ジェット!」


 駆け寄り、座り込んでいるジェットの肩に手を掛ける。

 だが、ジェットの身体はぐらりと傾ぎ、慌てて支えたベルナルドはジェットの陰に隠れていた沢山のミイラに気付く。


「……ジェット?」


 支えたジェットの身体は既に冷たくなっており、そこに生の欠片も残っていない事に気付いた。


 なんで、どうして。

 

 そう思いながら、ずっとリフィを閉じ込めている氷に剣を向け続けた。

 傷も付かず、削れもしないその氷は、リフィを放そうとしてくれない。座ったままじゃつらかろうと、ジェットの身体は氷の上に横たえてある。連れて帰ってもいいのか、それともリフィの傍にと願ったのかと悶々とした思いを抱えながら、それをぶつけるように氷に剣を振り続けていた。


 ガギッと音を立てた剣をもう一度氷に振り下ろせば、剣が折れて飛んで行った。氷の上に落ち、くるくると回りながら滑って行く剣を見ながら、ペタリと氷の上に座り込む。


 何も……、何も聞いていなかった。

 

「何も、話してくれなかったのは……、俺を伝言係にする為か」


 そんな言葉に応えてくれる人も無く、ただ、ぼうっとリフィを見上げてた。

 女祭のベールで顔を隠したまま氷に閉じ込められたリフィに、苦しくねえのかと聞いてみたり、そろそろ腹が減ったなと言ってみたり。答えのない問い掛けをずっと繰り返し続けていたら、夜明けの光りで明るくなって来た。

 もしかしたら、融けるかもしれないと思える程の光りであったが、氷はまったく融ける気配もなくそこにあった。


「……聖騎士殿」


 船頭の爺さんが迎えに来てくれたらしい。

 だが、リフィとジェットが動かないのだ。


「悪いな、爺さん。アイツら中々起きねえんだよ」


 いつもいつもベルナルドが起こさなければ、昼まで平気で寝ているのだ。太陽と共に在れと経典に書かれてるってのに、司祭と女祭がそんなだなんて知られたら大変だ。


「待っててくれるか?あの氷を引っぺがせばさすがに起きると思うんだ」

「聖騎士殿」


 爺さんはそう言って俺の手を握った。

 その温かさに驚いて顔を上げる。


「お怪我をされたようですね、血が出ております」

「ん?ああ、大した怪我じゃねえんだ。ただ、氷を取ってやらなきゃって思ったら爪が剥がれちまって」

「……手当をさせて下さい、聖騎士殿」

「俺はいいんだ、大丈夫だから。けど、リフィは寒いだろうし、ジェットはこんな所で寝ちまったから」

「聖騎士殿、取り敢えずこれを」

「え、なんだ、これ?」

「血止めの薬です」

「爺さん、俺は平気だって、大丈夫なんだよ」

「いいえ、血を流しているのは聖騎士殿だけですから」


 いつの間に入って来ていたのか、船の漕ぎ手であった男達に抑え付けられ、半ば無理矢理薬を飲まされたベルナルドは、やがて意識を失った。





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