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心中無理

作者: 沙月玖宇
掲載日:2016/05/09

「心中無理」


 一緒に死んでくれないか、と言われた時、新手のプロポーズかと緊張した。が、横目で三沢を見ると、どうも様子が変だ。


 展望台のベンチに座ったまま、多少温(ぬる)くなった缶珈琲を所在なく持ち替えてみたりしながら、神妙な面持ちで海を見ている。二人の眼前には海峡が開けていて、海面が陽の光を乱反射して、眩しい。


 この急潮の海底には、昨夜居酒屋で食したのと同じ肉厚なタコが渦潮に流されまいと岩にガッシとしがみ付いている。うまいね。こりゃたまらん。生きてて良かった。そんな会話しながら、黒ビールなんかお酌し交わしたのに、一晩たった今に及んで死んでくれないか、と、この男は宣ったのだ。


「いま、なんてった?」


 缶ジュースを飲み終えたばかりなのに、やけに口中の渇きを感じながら、極力平静を装って問いただしてみた。


「一緒に死んでくれないか」


 まるで、小学生の作文の棒読みのように、先ほどと同じセリフを、三沢は繰り返した。感情を込めなくても、これほどシリアスなセリフを人間は口走れるのだと、三沢の整った睫毛の生え方なんかを一瞬真面目に見つめながら、つい感心してしまう。


 いや、だが待て。と理性がそこで鎌首を上げてくる。いやいや、関心などしている場合か、今この事態をなんとかしなければ。一体何が起こっているのか、あるいは起ころうとしているのか、見極めなければ。まずは三沢を問いただし、『一緒に死んでくれないか』という言葉の真意を推し量らねばならない。


 言葉通りの意味なのか、はたまたふざけてるのか。もしかすると先ほどの予感通り、三沢なりの考えた末のプロポーズだったりするのかも……。

 

 そしてすぐに、この最後の考えだけは望み薄だろうと気づく。暗くうち沈んだ幽霊船の乗組員みたいな、覇気のない三沢の横顔を見れば歴然だろう。

九月の半ばだが、まだ十分に気温は高く、直射日光と地面の照り返しに、私の頭はくらりとした。


 布刈公園の第二展望台のベンチに、私たちは腰かけ並んでいる。そこから関門海峡が見下ろせるというので、観光スポットとして有名な場所だ。時期外れの蝉が鳴き、こめかみがじいんと痛んで、首筋を汗が伝って行く。


 強い潮風に弄(なぶ)られた髪を戻そうとして首を大振りに回すと、青白く光る背後の壁画がやけにさめざめと視界の端に映った。壇ノ浦合戦の壁画だ。


 付き合い始めたばかりのころ、見栄を張って歴史好きだと言ったらここに連れてこられた。


 去年のことだ。八月の猛烈に熱い日で、壁画の前に五分と立っていられなかった。二人は今と同じベンチに腰掛け、噴き出してくる汗を拭き拭き、銘々の物思いに耽りながら海風に髪の毛を持って行かれるままにさせたのだった。


 今、同じ場所で、季節は一月ほどずれているが、同じように強すぎる日差しと潮風の中で、私たちは、しばし沈黙した。


 三沢と門司に来るのは二度目だ。今度は、私の方から来たいと言った。関門トンネルに人道があって、人間が歩いて海底をくぐり、九州から本州へ行けるのだということを最近になって知った。これは凄い事ではないか、と咄嗟に思った。


 九州と本州を車で行き来するには、関門橋か関門トンネルのどちらかを渡るルートしかないが、どちらも有料になるし、ただで渡れる手段など、この世に有りはしないと信じていた(泳いで渡るなら別だが)。インターネット上に人道を紹介しているサイトを見つけたのは、三日前の晩だった。これは、三沢に教えてやろう。そうだ、せっかくだから三沢を誘って一緒に渡ろう。


 その人道の入り口というのが、いま二人が海面を見下ろしている場所からさほど遠くない和布刈神社付近にあることまで調べると、矢も楯もたまらずに、さっそく三沢に電話をかけた。


 ケイタイの電波が三沢の掠れた寝ぼけ声を運んで来た時、自分たちが先週の土曜日から喧嘩をしていたことを思い出した。もしかすると、断られるのかと思ったが、誘うと、まんざらでもない空気で、門司ならタコが食べたいなぁ、と独り言じみて三沢が呟いた。


 前の晩から門司のホテルに泊まり込んで、居酒屋流しなんて意気込んで散財してしまったのは、喧嘩後の少し気まずい空気を変えたかったからかも知れない。そろそろホテルに帰ろうと、三沢が言った。私の財布からも三沢の財布からも諭吉が大勢いなくなっていた。二人ともすっかり出来上がっていて、ホテルの部屋までどうやって帰ったかも、私ははっきり覚えていない。


 ただ、これだけは言える。昨夜はとても楽しかったのだ。少なくとも三沢だって羽目を外していたし、ケラケラよく笑った。今朝だって、朝食のバイキングでは、幸せそうな顔で、信じられないほど明太子を食べまくっていた。


 ところがだ。人道に辿り着く前に関門橋を上から見たいと三沢が言いだした。それまでは取り立てて妙な仕草も見せなかったのに、仕方なく立ち寄ったこの場所で、三沢は突然死にたいと言う。


 だいたい、付き合って一年足らずの関係なのだ。結婚も約束していない私に『一緒に死んでくれ』とは、どういう了見だろうか。預ける予定のない命なら、共に捨て去る義理だってない。


 一年間付き合った結果がこれか。私は三沢のちょっと女みたいな、なよなよしい肩越しに、少なからず未来への展望を描こうとしてきた月日の虚しさを思った。


 三沢と私を引き合わせたのは、勤務先の先輩お局社員、愛さんだ。

愛さんは、四十過ぎで独身なのに、やたら私におせっかいを焼いてくる。郷里の長崎に残してきた歳の離れた妹にそっくりなんだと、理由を聞けばそうだ。愛嬌もなくて、仕事もろくに出来ないのに、まっすぐでお人好し。やる気だけは人一倍で、そういうところがそっくり。他人の気がしないのね、だからほっとけないわよと、嫌みすれすれの殺し文句を言う。


 そんな愛さんは、絶世の美女とまではいかないまでも、かなり人目を引く容姿の持ち主だ。勤めはじめでまだ職場になじめず、頼る人があまりなかったころから、いろいろ親切にしてくれた。


「賭けごとや煙草もやらないし、おだやかないい人だと思うよ」

 

 愛さんに、そう紹介されたのが、当時大手電機メーカーのシステムエンジニアだった三沢直樹だった。

 

 あまり乗り気ではなかったが、愛さんには世話になったし顔を潰すわけにもいかない。会うだけなら別にいいか、という軽いノリで約束してしまったのがそもそもの始まりだった。


 初対面の印象は最悪で、口数も少ないし、こちらから話題を差し向けてやっても「さぁ」とか「あぁ」とか「へぇ」ばかりだ。話を膨らませて女を楽しませるとかいう芸当が、この男にはなかった。


 三沢は、私より十歳も年上だ。が、一見すると童顔で若く見えるし、それなりに男前だ。何よりそこそこ安定した収入があるというのは魅力的に思えた。賭けごとも煙草もやらないなら、将来結婚することになったとしても、喧嘩の種は少ないだろう。それに、実際何度か会ってみるうち、初対面の無愛想な印象は薄れ、確かに不器用ではあるが、その分誠実で、実際は優しい人間であることがわかってきた。時々、考え事に耽っていて、何を考えているのか分からん気配なんかも、年上の魅力みたいで引かれもした。

 そして私たちは付き合い出し、十ヵ月後、三沢はリストラにあった。


「死ぬって、要するに、職がないから?」

 

 渇ききった口から踊り出してきた言葉は、やはりひどく渇ききっていた。そのささくれた音質と響きに、我ながらびっくりした。


 三沢は私の問いかけに対し、そうだとも、いや違うとも答えない。心地よい潮風が彼の髪をそよがせても、何も変わらなかった。眼下の関門橋を流れる車列に、ただじっと目を細めている。


 確かに、三沢の置かれた今の状況は最悪だろう。本人ならずとも、傍から見ていても分かる。


 働き盛りの大の男が、一日中することもなくぶらぶらしていて、朝も昼も夜も着替えないから一張羅みたいになった部屋着のスウェット上下で過ごしている。境遇の惨めさからか、買い出しでコンビニやスーパーへ出掛けたり、ハローワークに失業保険の認定に出かけたりする以外は、部屋から屋外に出てゆくことはほとんど稀ならしい。いつ部屋を訪ねても、今の今まで寝てましたと言わんばかりの寝癖だらけの頭で、生あくびなんか繰り返しながら、お茶でも飲む? と空の急須を差し出す(お茶入れてくれ。ついでになんか食わせろ、のサインだ)。ぐうたらな日々。無駄に若さを消費していくだけの……。


「まったくしょうのない。職でも探せばいいのに」と以前なじったら、それ以来口数が減ってきたように思う。三沢は三沢なりに傷ついていて、何もしてない分、考える時間ばかりは膨大過ぎて、大きな見えない人生の重圧とかいうやつに、押しつぶされてしまいかけているのかもしれない。


 だが、私が考えるには、だからとて「死ぬ」というワードを出すのは大げさすぎる。三沢はまだまだ余裕があるはずだ。リストラから三ヵ月。適当な職が見つからないとはいえ、当面の蓄えもあるし、何か病気を抱えているわけでもない。もうじき四十だが、男ならこれからが働き盛りと言われる年齢だ。


 まったく。背後の壁画絵巻で描かれている追い詰められた平家一門でもなし、安徳天皇の後を追って関門海峡に沈みかけた建礼門院でもないのだから。


 甘いのだ。と私は憤りさえ覚えてしまう。生れた時から坊ちゃんで、母子家庭で育った私とは常日頃からの心がけの機微が違う。転んでもただで起きないというくらいの心積もりが、三沢にはないのだ。

 中学、高校と有名私立学校に通い、上京して受験した名門私立大学は現役合格。その後も人生の歯車を狂わせることなく、卒業、就職と難なく階段を踏み上がり、社会人になってからも、これといった躓きは経験してこなかった。そして十年選手になったある日、後輩に指図したりそれなりに偉そうな先輩風など吹かせだした頃、人事課長かそっと彼のデスクの脇に立って、ぽんぽんと、その肩を叩く……。間もなく彼は、人生の糧を得る方法を失くす。


 けれど失くしたのは方法であって。糧そのものではない。まして、人生を奪われたとか、そういうのでは、増々ない。そして、自らその人生を投げ出そうという理由づけになるものなど、私からすればどこにもない。


 たった一度の躓きだ。長い人生で、普通の人間ならとっくに何度も転んでいる所を、彼はなまじ器用だったか運が良かったかで、そうはならなかった。ただそれだけのことなのだ。子供の頃罹らなかった麻疹に、今頃罹ったようなものだ。確かに大人の麻疹は性質が悪いが、末期がんの宣告を受けた訳ではない。

 この状況で死ぬなんて軽はずみな言葉を弄ぶ三沢は、やはり大人になっても坊ちゃんなのだ。


「ちょっと歩こうか」

 

 沈黙に堪え切れず私はそういって彼の手を取って駐車場に向かい、止めてあった車で和布刈神社まで下った。


 神社は関門橋の下にある。巨大な船舶が二三隻、ゆったりと目の前を通り過ぎていく。潮流が速いせいか、波が荒れているのがわかる。三沢は、この海に飛び込む勇気すらないだろう。それとも、「波の下にも都がございます」と、幼い安徳天皇を慰めてから入水した二位の尼のように、私も三沢を抱いて沈まなくてはならないのだろうか。そうしたらきっと、二位の尼のように、山口の二位ノ浜海水浴場辺りに打ち上げられるのだろうか。私は長門の出身だ。地元に遺体で里帰りするのなんて、まっぴらごめんである。


 三沢は、石の手摺に手をついて関門橋を見上げた。私もつられて見上げる。「高いな……」と、三沢がぽつりと呟く。それが、さっき『一緒に死んでくれないか』と言ってから以後にようやく聞いた、三沢の声だった。声量もなく、なんだか疲れきっていている。一陣の潮風にでも吹き千切られてしまうような、間の抜けた遠い声だった。


 関門橋は見る角度によって表情を変える。展望台から見ると九州と本州をつなぐ交通の要だ。パーキングエリアから見ると絵葉書にもなる美術作品。下から仰ぐと――特に和布刈神社の境内から見上げると、巨大な鋼鉄の生き物めいて見える。鋼鉄の生き物はその鋭い鈎爪で、大陸と大陸――本州と九州の端と端とをがっしりと掴み、平家の落ち武者が怨念を渦巻かせた海峡を、静かに見下ろしている。


 何の脈略もないのに、ふと父がいなくなった朝のことを思い出した。母は目を腫らしていて、どうしたのかと、しきりに心配する私を、少し煩わしそうに見やった。食卓についても一向に起き出してこない父親を不審に思っていると、


「今日から、いただきますは二人で」


 母がぼそりと言った。お父さんは? と聞くと、ちょうど今の三沢みたいに顔を暗くしてぼんやりした表情になり、何も答えてはくれなかった。早く食べなさい、お味噌汁が冷めてしまうから、と私を急かせておいて、自分のお椀のご飯粒は一向に減っていかないのだ。それから父のことは、我が家では「触れてはならぬ事柄」と位置付けられてしまい、あえて聞かないようにしていると、いつの間にか永遠に聞く機会を逸してしまったようだ。


 だいぶ大きくなってから、両親は離婚したのだということは理解出来たが、なぜ離婚したかは分からないし、なにも言わずに消えた父にも、父がいなくなった理由を話さなかった母にも、未だに納得できない思いがある。


 もし今、三沢とちゃんと話さなかったら、三沢が本当に死にたいと思っているのか、いないのかすら分からないまま、私たちは別れてしまうのかも知れない。


『一緒に』と言いながらも、三沢はひとり思い悩んでいるようだ。ひとりで死ぬ気なのかもしれない。「嫌だ」と言えば別れを切り出されそうだし、ではやはり「心中」ということになるのか。それに対するどんな返事も、三沢はとっくに興味を失くしたみたいに――あるいは最初からどうでも良かったことみたいに、私を促す言葉を発してこない。


 私のやるべきことは、三沢と話し、彼に今考えていることを思い止まらせることなのだろうが、どこまで本気かわからない人間相手に、私は何を話し、何を思い止まらせるというのか。


「お腹空いたね」


 私は、わざと明るく振舞ってみせることにした。これは、母子二人暮らしになってから、自然と身につけた処世術みたいなものだ。暗く落ち込んでいる人間のそばにいる時には、同じように落ち込んでいてはいけない。深い底の見えない闇に、自分までずるずると引き込まれてしまう。相手は増々暗くなり、また不機嫌になる。自分だけでも明るく振舞っていれば、いつの間にか相手も表情を明るくするし、自分に対する態度も優しくなるのだ。母子と言っても、紙一重違えば他人よりも遠い。私は人と寄り添って行く術を、もうすでにずいぶんと昔から身に纏っていたのだ。


「トンネルを渡ったら、唐戸市場行こっか?」


 三沢も腹に何か入れば、落ち着くかも知れないと考えて、提案してみた。海底道を潜った先の対岸を見やると、あそこがおそらくは市場の辺りだと検討を付けてみる。歩いても、そう大した距離に思えなかった。


「唐戸市場行けるの?」


 三沢が驚いた眼で、感心するように私を見た。


「うん、あそこだからね」


 そう言って私は検討を付けた向う岸を指差す。三沢は目が悪いからよくわからないみたいだった。


「あっちで海鮮丼食べよう」


 私は三沢の手を取り、境内の砂利石を蹴散らして、少し早足で歩いた。


 神社から人道入口に向かう途中、おでんを売っている小さな店があった。店頭でぐつぐつ煮込まれている大根や竹輪は、いかにもおいしそうだった。小腹が空いていたので、「おでん食べてく?」と聞いてみたが、三沢は首を振った。


「いや、向うで海鮮丼食べるから」


 ああ、と受け流したが、死のうかと言った人間にしたら贅沢を言うもんだな、と思った。死に水を飲む前に、上手いものを食っておこうと言う考えだろうか。


 入口のエレベーター前に着くと柱の立て看板に「歩行者は無料」との表記があった。


 やはりそうなのだ。今までお金を払って通ってきた道を、今日はタダで渡ってやるのだ。しかし、自転車や原付は二十円取るらしい。お金を入れる料金箱はどこかと目で探してみたが、見つからなかった。どうも下関側にあるようだ。


 二機あるうちの左側エレベーターの銀色の鉄扉が開いた。人道は地上から六十メートル降りたところにある。エレベーター内は空調が効いていて、思いのほか涼しかった。


「人道って徒歩何分?」


 三沢がそう聞いてきたから、扉の上の説明書を読んで、「十五分くらいかな」と答えた。


 階数を示すランプがどんどん下に向かっていく。このまま二人で地下に降りるとなると寂しい感じがした。もしかすると、エレベーターは永遠に止まらないかもしれない、私たちは燃えたぎる地球の中心部まで行き着いてしまう、という妄想がはじまり、またこめかみが痛くなった。が、結局エレベーターは妄想に反してきちんと止まった。扉が開くと人の気配がし、年配の男女がまばらに見えたので、少しほっとした。


 人道はブルーのトンネルで、道は車道のような白の縦ラインが入って、奥へ一直線に伸びている。この道の上を車が走ってるなど、想像してみただけで変な感じだ。新幹線だってすぐ横の海底トンネルを走ってるし、さらにその上は海なのだ。


 以前、トンネルの断面図が書かれた何かのパネルを見て、私はああ、と落胆したことを思い出した。私はその時まで、てっきり『海底』とはすなわち海の底付近の海中を指しているのだと、勝手に思い込んでいたのだ。そうして、海中にあるのだから、もしもトンネルがガラス張りなら、魚の群れの泳ぐのが見れて素敵だろうなどと、その光景を想像し楽しんでいた。そうではなく、『海底』とは海の下の地面を掘った地下のことを意味すると、はっきりわかっている今でも、なんだか自分が海の中にいるような気がしてならない。


 地下の、多少息苦しさを感じる澱んだ空気を吸っているうち、もしもこのタイミングで地震が起きたらどうしよう、という考えが浮上した。トンネルが崩壊し、海水が流入してくる場面が、鮮明な画像となって浮かぶ。一度その映像が頭に描かれると、しばらく瞼の裏から離れなかった。


 気を紛らわすためにトンネル手前に門司を紹介した展示パネルがあったのを、興味もなくしげしげとのぞき込んだりした。三沢はそんな私を、観察するかのように少し離れて見ていた。


 やがてパネルを見ることにも飽き、トンネル崩壊の危機的瞬間も、その残像だけ残して私の頭から離れてしまうと、ようやく私たちは歩行通路の方へ向かった。


 道はゆるやかな下り坂になっている。どうやら右側通行らしい。こんな時にはなかなか気遣いのできる三沢は、私の手を取り、こちらの速度に合わせてゆっくり歩いてくれている。私が離れそうになると、なおのことゆっくり歩いてくれる。こういうところが、三沢の好きなところだ。


 それなりに通行人もいるのに、湿っぽい通路は人間の足音や気配を全て吸い上げているみたいに、辺りは静かだった。


 スポーツウエアに身を包んだ早足の老人に追い抜かれたし、若い女性がランニングをしていて、二回くらいすれ違った。けれど、私は何だかこの奇妙な長い長いトンネルの中に、ぽつんと三沢と二人取り置かれてしまったみたいな、孤独な感覚に囚われていた。


 繋いだ三沢の掌は湿気っていて、それなのに驚くほど冷たい。どんなに握り続けても、その手が人間の体温を取り戻すことはないみたいだった。その感触を確かめるようにして、私は黙って歩き続けた。


 実を言うと、三沢とはじめて手を繋いだのは、つい三カ月前のことだ。

それまで私たちは、どちらともなく遠慮がちだったため、手を繋ぐというありふれた行為に挑むことをしなかった。三沢にいたっては、ほとんど避けてでもいるかのようだった。もし、どちらかが先に手を出し、どちらかがそれを拒んだら……ということを、どちらもが考えていたのだ。おそらくはどちらかが手を出せば、どちらかは黙ってその手を握り返するだけなのだが、そうした考えが私にも三沢にも、まるでなかったのだ。


 そのためか、映画館でもショッピングモールでも、カフェレストランにいても、私たちは恋人と言うよりは気の合った兄妹のような雰囲気を醸していたと思う。私はそのことを、取り立てて寂しいとも不満だとも考えてはなかった。だが、三沢はそうでもなかったらしい。


 そのことを知ったのは、三沢がはっきりと自分からそう言ったからで、いつも直接的な意思表示をしない彼には珍しい事だったから、正直私は驚いたのだった。


 その日、終りかけの梅雨空が、最後の一しぼりとばかり、猛烈に雨を降らせていた。私は買ったばかりの水色の傘をさし――繊細な花柄が内側にプリントされていて、持ち手にも愛らしい小花の彫刻がしてあり、通常のより大きめに開くその傘を、私はとても気に入っていた。


 風も強かったので、傘の骨は時折、不気味なほど軋んだ。なぜ、わざわざこんな日に、お気に入りの傘をさして来たのだろうと、私は自分でも呆れていた。自宅のアパートから駅までの徒歩十五分ほどの距離を、私は風雨に押されながらのろのろと歩き、しきりと考え事ばかりしていた。


 その前の晩――深夜に、三沢が電話してきた。電話口の向こうで、酔っているのか素面なのか、泣いているのか笑っているのか、そのどちらでもないのか、ほとんど気配すら伝わってこない短い単語で、三沢は要件を告げた。「俺……」「会社首になった」。たった二言。それだけ言い終えると、電話を切ろうとする三沢を、私は寸前でくい止めた。


「わかった。明日会おう」


 自分からそう言ったのに、三沢のアパートの最寄駅へと向かう足どりは重たかった。


 会って、いったい自分はなんと話を切り出すのだろう。あるいは、話を切り出すのは三沢の方かも知れないが、そうだとしても、いったいなんと話しはじめるのだろうか。私はそれをどう受け止め、返せばよいのか。


 途方にくれた暗い気持ちで花柄のプリントを見上げ――そこに解答が刺繍されてでもいるかと思えるくらいに何度も見上げ――そうして歩いているうちに、気が付くと駅の入り口に辿り着いていた。


 特急電車で一駅乗り、それから乗り換えて各駅を三つやり過ごした次が、三沢の暮らす町の駅だ。日曜日のせいか、通勤客のいない早朝の駅は人数もまばらで、棒切れのように立っている三沢の、男にしては少し細すぎる体は、すぐに目に留まった。


 私たちは近づくと、「やぁ」とも「おはよう」とも言わず、視線だけ絡ませて挨拶を済ますと、無言のまま歩き出した。


 閑散とした西口の改札を出た。駅を出たすぐそこの路上に三沢の車が止めてあり、私たちは多少雨に濡れながらも車内へと乗り込んだ。


「こんな雨の中、ごめん……」


 永遠に続くかと思われた沈黙は、三沢のこの一言が破った。


「いいよ、別に」

と言うと、もうそこから言葉が続いてこない。 


 会社を首になった経緯や、その他にも色々、聞いてやることはあるのだろうし、聞きたいことだってある。その上で、慰めたり励ましたり労わったり、そういう言葉を投げてやるつもりだったのに、いざとなるとやはり何も話し出せない。


 雨は幾分小雨になりはじめていたが、あいかわらず降り止む気配を見せなかった。


 車はそのままアパートに向かうかと思ったが、意外にも道を逸れて、何処とも知れぬ方角へ向かって行くみたいだった。どこに向かってるのかと、聞こうとしかけた時、車は都市高速道に乗った。何度か一緒にドライブしたので、その方向にあるものが何かを、私はなんとなく分かってしまった。


 無言のままのドライブが続いたが、やがて右手に海が見えはじめて、私は自分の予想が間違っていないことを悟った。


――百道浜――そこに三沢の勤め先があった。銀色のかなり目立つ高層ビルで、その建造物の一部が、くすんだ灰色の海を背後に垣間見えた。その時、三沢がそっと、私の手を握ってきた。


 ぞっとするほど冷たい感触に私は身震いし、思わず手を引っ込めようとしたが、よりいっそう三沢の手は力を込めてきた。


「握らせてくれ」


 震えていたが、まるで三沢の声とは思えないほどはっきりとした。聞き取りやすい声量で言った。握らせておいて欲しいんだ、と。


 私は従った。肩の力を抜くと、三沢はアクセルをぐっと踏み込む。車は速度をぐんぐん増し、速度計の針は大きく右に寄った。再び、私の体に緊張が走る。


「危ないよ。高速だから。雨も降ってるし。速度規制だってかかってるのに。スピード落として、お願い、お願いだから……」と、言いかけた私の言葉を無視して、三沢はさらにアクセルを踏む。


 心臓がどくんどくんと鳴る。壊れたびっくり人形の頭みたいに、やがて口から飛び出してくるのではないかと思うほど激しく脈打っている。耳鳴りがしてきて、こめかみが痛んだ。


 三沢の会社――いや、三沢を切り捨てた会社の冷たい銀色のビルは、後方に回り、どんどん遠ざかって行く。私は、それを見送るともなく見送りながら、ああ、私はきっと死ぬんだわ。とぼんやり考えていた。考えていたばかりでなく、自分でも気づかぬうちに、それを口にしていた。呟きと言うよりも、きっと小さな呻き声のようでしかなかっただろうその声を、三沢は聞き逃さなかった。


「いいじゃないか。死ぬんだったら、どうせ一緒なんだし」


 そう彼が言った途端、それが何かの合図か呪文だったかのように、アクセルを踏む三沢の足の筋肉が緩み、やがて車は速度規制ラインぎりぎりの所まで速度を落とした。


 気が付くと雨は止んでいて、もう銀色のビルの姿は、欠片も見えなくなっていた。


 だが、それでも三沢は手を緩めなかった。私の手を握りしめたまま、その唇が――渇きって干からびた皮膚が、幾筋も剥けてきている――ゆっくりと動き出した。


「人事課長に呼ばれて……」


 ぽつりぽつりと、三沢は話し出した。私は静かに相槌を打ち、三沢が会社を首になった話を最後まで聞いてあげた。


――まるで爬虫類。


 あの時、三沢の手の感触が私に与えた印象はそれだった。その後も何度か繋いだが、三沢の掌は、いつもひんやりと湿気っていることが多かったようだ。


 しばらく行くうち、チョロチョロという微かな水音に気付いた。どうやら両脇の溝を流れているらしい。そういえば、トンネルに海水が染みだし、それをポンプで汲みだすと、入り口のパネルに書いてあった。どうりで湿気を感じるわけだ。水音は聞いているうち、なんだか艶めかしく感じられはじめ、生き物の血液循環を連想させた。

 

 先ほど境内から見上げた鉄橋の恐るべき骨格が、心象風景として私には残っていて、ちょうどこのトンネルの真上辺りをあの不気味な生き物が両翼を広げているのだと思った。大地と大地を掴んだまま、静かな冷たい目で、吹きすさぶ海峡の風に身を晒したそれは、ぐっとこちらを見下ろしている。その光景が思い浮かんだ。


 私は、それが何かに似ていることに気が付いていた。一体何に似ているか、その正体に思い至った時、心臓がドクンと鳴った。


――竜の背中。


 そうか、地上に現れていたのは、そのほんの一部でしかなかったのだ。すっかり欺かれていたのだ。多くの人間の目を逃れるため、本体は海底に沈んでいたのだ。


 そんな妄想をすると、なんだか辻褄が合う気がした。


 ここは竜の食道なのだ。やがては胃袋へと続いているのだろう。生温かく湿気っているのはそのせいで、足音を吸い込むのも、獣の柔らかい皮の上を歩いているからなのだ。私は、この考えに憑かれてしまい、どうしても払いのけることが出来なかった。


 いま来た道を振り返った。まだそれほど内まで歩いておらず、引き返そうと思えばなんなくできる。一方、前方に視線を戻すと――緩やかに下っている通路は、長く長く伸びている。あの先に、竜の胃袋があり、私たちはそこへ静かに向かっている。いや、呑みこまれていっているのだ。みな、自分の意志で向かっていると思っているらしいが、そうではないのだ。得体のしれない力によって、私たちは一歩一歩、誘い込まれているのだ。


 痺れるような痛みを、こめかみに感じた。立ち止まってしまいそうになる私の掌を、強く握りしめ引っ張る者がある。三沢だ。呼気さえ届く距離にいながら、無言で表情もなく、ただ一心に、竜の胃袋へと私を導こうとしているこの男は、本当に三沢だろうか。確かに三沢に違いないが、似ているだけで他人かもしれない。その横顔には見覚えがあるのに、見知らぬ他人の気配がする。


 無性に帰りたかった。このまま進めば、もう二度と地上には戻れないような気がする。私から来たいと言った場所なのに、むしろこちらの方が連れて行かれようとしている。それは矛盾に満ちて、なんだかおかしな感覚だった。


 そもそも、私はなぜ三沢と付き合っているのだろう。結婚したいという明らかな意思がお互いにあるのでもなく、なぜ私たちは別れないのだろうか。説明しようとすれば、理由づけなら幾つかはある。


 一つには怯えだ。華だなんだと言われてもてはやされた、二十代というぼんやりした時代はもう終わろうとしている。職場でも親戚の集まりでも、田舎に帰れば近所の寄り合いやなんかでも、「ああ、そろそろ結婚してもよいお年ね」とこられる。


 まるで、私くらいの年代の女に話しかける枕詞か定型文みたいに。だから何となく私には、結婚というものが、大衆全体から押し寄せてくる津波みたいに思えてならない。自分の意志とか感情とかではなく、そんな次元とは全く関係のない大衆の民意みたいなものが大昔から人間の中にあって、どうしてもある年代になるとそうしなければならないもの。そうしないとどうにもこの世界では、面を出して歩いてさえいけないみたいな。いや、そんなのもは古い時代のお伽噺的な話になりつつあるよ、なんていう人たちもいる。自分よりもかなり上の年代――母や、母よりももっと上の年代の人たちからだって、そうした意見はよくきく。でも、本当にそうだろうか。みんな、本当にそう思っているのだろうか。それこそが、欺瞞ではないかと私には思えてならない。


 例えば、愛さんのような存在は、私にそのことを思い知らせてくる。

愛さんは、年こそ私よりずっと上だが、美人で頭もよく、周りの男性社員からも異性としての評価を得ている。なんというか、女の私から見ても、色っぽいのだ。女としての魅力に溢れている。かといって、同性から嫌われるというタイプでもない。さばさばとした人懐こい性格は、誰からも好かれているようだ。つまり人柄もいいし、どこをどう見ても、完璧な人。だいたいの人たちが愛さんをそう評価している。それなのに、愛さんの話をする時、みんな最後にはこう言う。


「なんであんな美人なのに、結婚しないのかしらね」と。


 私にはそれが、妬みからではなく、どちらかというと同情とか心配とか、そういった響きをもっているように聞こえてならない。だから、本当はみんなこう言いたいのではないかと思えてしまう。「なんであんなに美人なのに、結婚出来ないのかしらね」と。


 むろん、愛さんは結婚しようと思えばいくらでも出来たし、これからだっていくらでも出来るのだ。それは、愛さん自身が一番よく知っているし、周りの人間だって分かっている。それなのに、愛さんは「結婚していない」ということを事実として、今までもこれからも、ずっと抱えて、それと抱き合うようにして生きてゆかねばならないのだ。そのことを、愛さんはもう既に決断しているし、受け入れているようである。そういう涼やかさが愛さんにはあり、それがまた彼女の魅力に一層輝きを与えているようである。私には、とうてい彼女のような生き方は出来ないだろう。


 そうした自分の心の弱さを知っているからこそ、最も手近で付き合いやすくもある三沢を手放せないのだ。結婚するかどうかはさておき、結婚できないかも知れないという恐怖からは遠ざかっていたいのだ。手持ちの駒というわけである。


 もう一つには、惰性だ。これは「習慣性感情麻痺」とでも言い換えてよいだろうか。つまり、ある一定期間付き合ってしまった男女は、お互いに愛情が希薄になってきたことに気付いたとしても、その関係を解消できなくなってしまう。なぜなら、惰性が二人を支配してしまうからだ。そこから抜け出すには、この惰性が働いている方向とは全く違う方向へ進む力を生み出す必要がある。そして、大抵の場合、そうするだけの原動力がないのだ。感情的なものは習慣的な日常の中で、次第に麻痺してわからなくなってしまう。つまり、本当に自分が求めているのは何なのか、今いる場所や手にしているものが、本当に自分にとって大切なものなのかどうかなんて、だんだんどうでもよくなってしまうのだ。


 けれど、私が三沢と離れられないのは、こうしたこととはまた違う理由なのかもしれない。


 私には、どうにもよく分からなかった。私はまだ、三沢とは『本当の付き合い』ということをしてないのかもしれない。現に私は三沢のことがよく分からないのだ。また、分かろうともしてこなかった気がする。


 生温かった空気が、なぜかひんやりと感じられるようになっていた。私の掌も冷たく汗ばみ、ぬるぬるとした二つの手の繋ぎ目の感触は、不気味だった。


 下りから上りに変わるその底面あたりに、二つの家族が立ち止まっている。一家族は父親――『一風堂』という大きなロゴの入ったTシャツを着て草鞋(わらじ)のようなサンダルを履き、トンボみたいなサングラスをかけている――が、小学生くらいの双子らしい娘二人に、ジェスチャーを交えながら何やら説明しているようだ。もう一家族は、母親――『一風堂』の家族に気圧されながらも、負けじと息子と二人、カメラで地面の写真を撮っている。


 通り過ぎる時、その理由がわかった。そこが県境だった。一本の線が、それを確かに示している。私と三沢の故郷を隔てる線である。二人が生まれた場所と場所を繋げ、そして区切る線なのだ。それが今、私にはこの世とあの世を二分する線のように思えた。


 そして、その線を、私と三沢は手を繋いで、渡った。


 私はまだ、三沢と母を引き合わせてはいない。彼氏がいますよ的な雰囲気は、里帰りの度に醸しているつもりだが、母がそこをしつこく問いただすことはなく、むしろ私の方からその話を持ち掛けられることを望んではいないかのようだった。


 母曰く、男を家に連れてくるのは、しっかり結婚まで話が付いた上でにして欲しい。とのことで、娘がどんな男と付き合ってるか興味がないのかと聞くと、興味を持ったらどうだと言うの、結婚するのもしないのも、全部あなたの幸せで、そしてあなたの人生でしょう、と返す。まぁ、応援はするし、困ったら相談くらいは乗るわ、と継ぎ足しみたいに付け加えて。


 かといって、別段よその家の母親に比べて愛情が薄いかと言えば、そういうことでもない。

 むしろ、二人きりで生きてきた、いや生き抜いてきたという妙な連帯感のようなものは、常にあった。


 私が高校生の時のことだ。一緒に交差点を歩いていると、高速で右折してきたタクシーに撥ねられ、私は三メートル程も弾き飛ばされた。私にはその前後の記憶がないが、一度は急停車したものの、自分の不利を察したのか、慌てて逃げようとしたタクシーの前に、母は全力で駆け寄ると体をつき出して、逃走を阻止したらしい。私は退院してしばらく経ってから、その話を他人伝手に聞いた。


 母は、車を路脇に止めて渋々車内から降りてきたドライバーの男を、胸ぐらを鷲掴みする勢いで捲くし立て――嫁入り前の娘なんですよ、とか、痕が残る怪我にでもなったら、どうしてくれるの、とかさんざ凄んで、周囲の注目を一手に集めていたらしい。普段大人しくて口数の少ない母からは想像も出来ない剣幕だったようだ。


 そんな母に、三沢を引き合わせたら、母は泣くだろうか、と私は何度か空想してみたことがある。母に引き合わせる時は、むろん彼女の持論通り、結婚を取り決めた時だ。母は、三沢を気に入るのだろうか?


 冷たくなっていく手足の感覚が、そのうちに痺れのような感覚に移り、そして何も感じなくなってきた。やがて前も後ろも道だけで、出入り口が見えなくなった。視界に道しかなくなって、私は腕の時計を見た。


 境界線を渡って、まだ五分ほどしか歩いていない。けれど、もはや時間と言う観念はなくなろうとしていた。トンネルに踏み込む前、トンネルが崩壊したらどうしようと一瞬頭を横切ったのが、なんだか懐かしい遠い世界でのことのように思える。


 刻一刻と迫ってくる「死」という暗い影の方に、自分たちは自らの足で、向かっている、もしそうだとしたら……。

 

 感情の見えない三沢の横顔を見ながら、問いかける。私は、この男と一緒に最期を迎えることを潔しとするだろうか、と。


 答えは返らず、代わりに、『いいじゃないか。死ぬんだったら、どうせ一緒なんだし』という三沢のあの日のセリフが、旧式の壊れたCDコンポの永遠のリズムの繰り返しみたいに、頭の中を占領するばかりだ。

 

 一緒に死んでくれないか、と言った瞬間の、三沢の眼差しが、今頃胸を去来する。


「無理!」


 そう言って今ここで手を放してしまえば、三沢はこの竜の細い長い首もろとも、跡形もなくどこかへ消えて無くなるのではないか。私は、ふとそんな気がした。三沢が私の前から蒸発して、影も形も無くなる――そう思った時、微かな胸の疼きを感じた。


 父がいなくなってから、気丈だった母が、一度だけ涙を流したことがある。それは、私が社会人になって二年目の春だった。訃報を知らせる一本の電話で、母の表情は硬くなった。電話を切った母が、一言ぼそりと呟いた言葉を今もくっきりと覚えている。


――別れようが別れまいが、何十年も経ってしまえば結果は同じ。


 母はそう言うと、その場所にしゃがみ込んで泣いた。母と父の間に何があったのか、私は今も知らない。だが、夫婦とは別れても結局夫婦なんだな、と思った。


 遠く続く坂の上に下関側の出口が見えてきた。三沢は、疲れたのか、少し歩くのがのろくなった。


「お腹減ったな」


 三沢が、さっきの私と同じことを言ったのは、地上の空気がもうじき届く距離まで、エレベーターが上昇した時だった。ようやく三沢が人間めいた言葉を喋ったので、私は少しだけほっとした。これで竜神の化身ではないと、しっかり納得しようとしたが、相変わらず湿気って冷たい手を握りしめているので、それが出来なかった。


「だから、おでん食べておけば良かったでしょう?」普段ならそう言って諭しているところだが、この時は言葉を発することがまだ出来なかった。まるで、舌を抜かれたみたいに声を失くし、ただ黙って頷いただけだった。


 静かに扉が開き、私たちを地下からすくい上げてきた箱から足を踏み出すと、眼前に関門海峡があった。唸るような暑さが、地面から湧き上がっていて、日差しの明るさに目が回りそうである。


 じっとしていても暑いだけなので、取り敢えず歩くことにした。特に目立つ二対の像の方へ向かってみる。源義経と平知盛の像だと、近づいてみてわかった。


 見ると、像の手前に銅版手形がある。何年か前にNHKの大河ドラマで源義経をやった時、滝沢秀明や他の出演者たちが残していったものらしい。


「あっ、タッキ―のだ!」と普通ならば叫んでいるところだが、竜神の口からようやく這いだしてきたばかりの私は、頭がぼんやりとして、そうした言葉も出てこないのだった。代わりに落ち着いた声のトーンで、三沢が呟く。


「あ、滝沢秀明……」


「ほんとだ」


 私が調子を合わせ、身を乗り出してよく見ようとすると、そこへ割ってきて三沢が手を伸ばした。自分の掌を、タッキ―の手形に重ね合わせようとしているのだ。


 あ、なんと罰当たりな、と言おうかとしたが、それさえ言葉にならない。喉がカラカラに干上がり、まるでトンネルにいた時、三沢に水分を全部吸い上げられたみたいだった。驚くことに、三沢の手は銅版手形に吸い付くようにぴったりと嵌った。


「あら、ぴったり」


 繊細さや力強さは置いておくとして、サイズだけは全く同じだったのだ。別に、だからどうだというわけでもないが、この事実はにわかに私を興奮させた。


 他にも建礼門院徳子役の中越典子の手形もあったが、自分の掌を重ねるのは、指の太さを露呈するのも同然なので、止めた。


五門ある砲台をぐるっと回って、それから海岸線を眺める。


「あれが唐戸市場かな?」


曲がりくねった国道九号線の先に、唐戸市場のようなものが見える。


「遠いね」


その車道は、なんだか適当な歩道がなく、いかにも歩きづらそうである。この時になって、対岸から目星をつけていた場所は、どうやら市場とは反対方向で、まるで見当違いだったことがわかった。


 歩いて行ってもいいが、おそらくは二十分くらいかかるだろう。熱気の立ち込める道のりを歩き、海鮮丼を食べてから、また同じ道のりを引き返すだけの体力が不安だった。おまけに、再びあの地下道を通らなければならないのである。


「やめとこうか」


私が言う前に、三沢が言った。


「そのかわり、そこの店に入ろう」


 みもすそ川公園の端にあるその店は、海側に窓が沢山ついており、なにか喫茶店か食事処のようだった。入り口付近まで歩くと、ガラスドアに貼り紙があって「五時から営業を再開します」とのこと。今からだと、二時間以上も待つことになる。


 私たちは疲れていたので――とても疲れていたので――、休憩する場所が必要だった。涼しくて清潔で、疲れた足を休ませるソファか適当な椅子のある場所が恋しかった。


 暑さと疲れと、こめかみの痛み――それはずっと続いていた――に、私はへたり込んでしまった。アスファルト道に崩れ落ちたカラカラの私を、三沢が屈みこんで、顔をのぞいてきた。


「大丈夫か」と、その手が私の頭部の心地よい場所に置かれる。その手が、そのままゆっくりと下りてきて、私の頬を撫でた。ひんやりと湿気った、三沢の感触。


 私は、眼球の奥が突然重くなり、そこから水分が迸りそうになる気配を感じた。いったい、これはどうした感情だろうかと戸惑う。もしかすると、ただの身体反応に過ぎないのかもしれない。


 あまりにも喉が渇き過ぎて、歩き疲れたから(にしてはおかしいのだ)。こんなにカラカラに干からびた自分から――その内部から――ほどなく放出されようとして来るその成分は、本当に涙だろうか、と考えている暇もないうちに、それは溢れ出てきた。


 私は、三沢に何か投げつけたい気分だった。自分では抑えられないほど感情が高ぶってきて、何かを三沢にぶつけたかった。


 やがて、それは、自分の中にある三沢に対する説明できない感情なのだと気づいた。私は、今、これだけは三沢にきちんと話さなければならないという言葉があるのに、どうしてもそれを日本語として組み立てられないのだ。


 まるで、言葉を失くした小さな子供みたいに、私は掌をぐっと握りしめると、そのまま三沢の鳩尾あたりに打ち込んだ。何度も何度も打ち込んだ。

三沢は、かなり痛かっただろうが、何も言わず、そして抵抗もせず、私のしたいように、したいだけ殴らせていた。私が疲れきって手を止めると、今度は三沢の手が伸びてきて、私の体を包みこむのがわかった。まるで、赤ん坊を産着で包むように、三沢の腕が私を抱いていた。思いのほかその腕が逞しかったことに、私は改めて気づいた。


「帰ろうか」


 いつの間にか、日が傾きかけていた。私はどれくらい三沢の腕の中にいたのだろうか。立ち上がると、もう足が痺れていて、体のあちこちがジンジン痛んだ。三沢を殴った手の甲に特に強い痛みがある。一頻り泣いたせいか、すっきりとした感覚で、こめかみの痛みも消えていた。


 三沢は私が歩きやすいように、再び手を引いて歩かせてくれた。


 私たちは自販機でお茶を買ってまた人道にエレベーターで降りた。もはや私は「人道」を「竜道」と密かに呼び名すら置き換えていて、下って行くエレベーターの緩慢な揺れさえ、竜の脈動と位置付けていた。


 地下に着いたので降りようとすると、赤ん坊を乗せたベビーカーを押した若い女と、夫らしい男がちょうど上に行くので乗り込むのに入れ違った。この薄暗い竜の道を、この夫婦は赤子連れでやってきたのだ。ということが、私を驚かせた。


 赤ん坊とはどうも、命の象徴――いや塊というイメージが私にはある。まぁ、あらゆる生命は押しなべて命の塊なのだろうが、赤ん坊と言うのは、もっとずっと別格な気がする。それは出来たてであり、深く濃縮されているのであり(成長と共にそれは薄まって行く。老人になると、もう水のようなものでしかなくなる)、人間そのものよりは神に近い者だと昔の人間が考えた通り、私もそう思っている。何と言っても、ついこの間まで、この世ではない場所にいて、そこから遥々やって来たのだから。


 その命の塊が、今、竜道を辿ってこの場所に現れたということが、私には特別な啓示に思えた。それまで、死のイメージしかなかった地下トンネルが、全く別のものに思えたからだ。


―――産道……。


 私はある好奇心から赤ん坊の顔をのぞこうとした。もしかすると、それは「別のもの」かも知れないという微かな不安があったからだ。だが、エレベーターの扉はすぐ閉じてしまい、両親の愛情に見守られたその温かい小さい者は、微かな期待を私の記憶に残したまま、向こうの世界へ消えてしまった。


「子供って、なんかいいよな……」


 私の考えていたことを、まるきり読んでいたかのように、三沢がそっと囁いた。


「結婚とか、悪くないって思える」


 私は息をほうっとはき出し、三沢の手を取った。何かしら理不尽な安堵が、私の胸にそっと降りてきた。


 そして、この時に、ようやく私は三沢にぶつけてやりたかった言葉を思い付いた。


――結婚しようが心中しようが、何十年も経てば結果は同じ。


 トンネルの先にあるおでんの店を思い出した。向こうの世界に帰ったら、真っ先におでんを買う。それから、和布刈公園の第二展望台のあのベンチにもう一度戻って、二人海を見ながら、食べるのだ。食べながらでも、きっと三沢に伝えてやろう。


 私は、三沢に向かって話しかける言葉を胸の中で何度も繰り返し、妙にしっくりくるその手の大きさを弄びながら帰った。


             (了)


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