9、誘拐されました。(中編)
それから私達は一つ山を越えて、その麓の町に泊まる事になった。
教団の関係者もここまできたら、追いかけて来ないだろうなどと二人組の男達は気楽な事を言っている。
彼等はきっと根っからの悪人ではないのだろう。
きっと何かの事情があって、早い内に金を手に入れる事が必要になり、
だから誘拐なんて言う手段に及んだ。
そう思ったのは最初に暴力を振るわれて以来、比較的丁寧に扱われてきたからだ。
「貴方は如何してこんなことをしたの?」
「悪く思うなよ、聖女様。大人には大人の事情って言う物があるんだ。」
そう言って私から顔を逸らした筋肉達磨は気まずげで、やっぱり酷い人には見えなかった。
私は正直な所、彼等に同情を感じ始めていた。
キートが私と言う金の卵を産む鶏を簡単に逃がすとはとても思えなかったのだ。
きっと、それに手を出そうとした人間も何らかの報復行為をされると言うのは想像に容易かった。
きっと今晩に何らかの動きがあるかもしれない、そんな事を考えながら貸切の納屋の中で眠りに就いた。
最初に異変に気付いたのは色白の方だった。
殆ど寝入りかけてた筋肉達磨と私を起こすと、何か叫び声が聞こえなかったかと言ってきたのだ。
それからすぐに人が駆けずりまわっている様な音が聞こえた為に完全に目が覚めることになったのである。
「大規模な夜盗でも出たのかしら…。」
私がぽつりとそう零すと、男達は武器を取り始めた。
そうして、筋肉達磨の方は様子を見て来ると言って外に出て行った。
色白の方は私の事を何か考えている様なぼんやりした眼差しで見ている。
「聖女様、あんたは俺達にとって大事な商品だ。」
「ええ、それが?」
「だから、危険な目にあってもある程度は守るつもりでいる。
だがな、自分たちの力が及びそうにない場合は躊躇なく見捨てるだろう。」
「そうでしょうね。」
私は淡々と返答する。
彼等は私の騎士ではない。
当然と言えば、当然の話だった。
床を見詰めていると、手元にナイフが投げつけられた。
鞘に入った大振りなそれをどうにか受け止めると、男は言葉を続けた。
「万が一の場合は自分の身は自分で守れ。」
色白が無表情でそう言ったのは、私に対するほんの一縷の情かもしれなかった。
多分、逃げることはあってもこれを使って彼等を傷つけることはないと思われたのだ。
私は今まで人を殴った事すらない。
いざという時にこれを使う事は出来るのだろうか。
そう考えながら、黙ってナイフの柄を強く握りしめていた。
ギアアァァ
獣の断末魔の様な悲鳴は確かに筋肉達磨の物だった。
心臓が煩くなっているのが分かる。
指先が冷たくなって行って、
助けにいかないと、
でも、
「聖女様は隠れていろ。」
そう色白は言うと足早に納屋の外に出て行った。
出来ることは何一つとしてないのだと言う眼差しに黙って従った。
そう、従ってしまった。
ここで動いていたら、何か変わっていたかもしれない。
その事実に後で私がどれだけ苛まれてもそれは結果論と言うやつだった。
何時まで経っても男達は帰ってこなかった。
体の震えも止まってきた私はほんの少しだけ外を覗いてしまったのだ。
納屋の簡易なドアを物音を立てない様にゆっくりと開けた私はそこからほんの一歩外に出た。
時間は分からないが恐らくは深夜だろう。
現代では見られなくなった、本当の闇夜がそこにはあった。
納屋の中では最低限の光としてランプを使っていたので目が馴染むのに一拍の時間が掛った。
ざ、
ざ、ざ、
ざ、ざ、ざ
暗闇にまぎれて足音が近付いているのが分かる。
間違っても彼らではない。
あの男達はもっと派手に足音を立てる。
目を凝らすと足元の主は髪の長い女性であることが分かった。
それに一拍安堵をして、
そう何処かで嗅いだ事のある匂いが漂っている事に気がついた。
そうこれは一体どこで嗅いだ匂いなのだろう。
そう考える間にも女は体をふらふらと揺らしながらこちらに近付いて来る。
その様子は体調の悪い人か、或いはー。
そこまで思考が辿り着くと、体が一斉に総毛立った。
悲鳴が聞こえたのも男たちが帰ってこない理由もこれで説明がつく。
ふいに女と目が合って、はっきりと顔が見えた。
若々しいその顔の半分はズルリと皮が剥けていて、
それから、
それから眼は黄色く濁っていた。
私は悲鳴を上げるのを堪えて、全力で訳も分からずに走り始めた。
その後ろを女が付いて来ているのが分かる。
幸いな事に移動速度は速くなかった。
が、
段々と、
足音が増えて、
私は後ろを振り向いては駄目だと暗示を掛けつつ、
方角も碌に確認しないまま、何時の間にか森の中に入っていた。
何時かの失敗を繰り返さない様に足元ばかりを見ていたせいだろうか。
樹に髪が絡まってしまったのだ。
震える手で慌ててナイフを取り出すと無理矢理髪を千切る。
そうして、その拍子に見てしまったのだ。
闇夜に蠢く幾つもの人影達を、
辺り一帯には腐った匂いが充満していて、
彼等は恐らく全員が、
貰ったナイフを思わず取り落として、
それを拾う余裕すらなく、遮二無二に走り始めた。
アレらに捕まったらお終いだ。
それだけはあまりにもはっきりとしている事実だった。




