5、初めての儀式に挑戦して見ました。(前編)
儀式の前日の夜、私は古城の中庭で物思いに耽っていた。
白百合の様な花が所々に咲いていて、その濃厚な匂いに酔いそうだった。
最もそれぐらいで丁度良かったのかもしれない。
今は何も考えずに迫る様な夜空を眺めていたかった。
ガサリ、と言う音がして動物でも出たのかと振り返ると長身の男がいた。
闇夜に金色の目が浮かび上がっていて一目で誰か分かった。
私付きの騎士のクレイグだ。
「こんな所で何をやっているのですか?夜間に外出するのは危ないから控えて下さい。」
顔を顰めて小言めいた事を入ってきた彼に何故か安堵を感じた。
底光りする金の瞳が私を見詰める。
「クレイグ。」
夜に溶けて行く様な囁く様な声で私は呟いた。
それは空気を震えさせて彼まで伝わる。
「何でしょうか?」
「もし、明日私が儀式を失敗したらどうなると思う?」
「ここでの貴方の待遇は悪化するでしょうね。最悪の場合は追い出されることもあるかもしれません。」
「でしょうね。私がここにいられるのは強い力が見込まれたからで、勘違いだったら存在価値がないもの。」
私は胸の中の重荷を吐き出すように息を吐いた。
もし、ここから出て行くように言われたらどういった風に生活して行けばいいのか分からなかった。
恐らくペンダントも取り上げられてしまうだろうし、そうなったら私は言葉の通じない異邦人だ。
良くて若い女の子であることを最大限に活かした仕事について、その日暮らしをするのがオチだろう。
それを考えると、手が冷たくなるぐらいに怖かった。
どうしてこんなことになったのだろう、ここの世界に来てから百回は考えた事をまた考える。
「怖気づいたのですか?」
けれど、そんな思考はクレイグの一言で切り裂かれた。
私は背筋を伸ばして彼と相対する。
「まさか。これは始まりに過ぎないんでしょう?」
私の虚勢にクレイグは満足そうな表情を僅かに見せた。
彼は弱気な態度が嫌いではないかと言う推測は当たっていたようだ。
何故か私はクレイグに失望される事を恐れていた。
それは彼が美しい金色の瞳の持ち主からかもしれないし、初めに助けてくれた人だからかもしれない。
この感情が何に起因するか私には理解できなかった。
それでももっと近づきたいと思っているのは確かで…。
「クレイグ、お願いがあるの。」
「また、お願いですか?」
「そう。またお願い。」
そう言って私は出来るだけ無邪気に見えるように微笑んだ。
出来るなら何も知らない無垢な少女の様に見える事を願った。
「ねえ、儀式が成功したら口調を変えてもらってもいい?」
「失礼な所でもありましたか?そもそも儀式と何の関係が、」
「敬語をやめてもらいたいの。普通に話して欲しい。」
暫く沈黙が降りた。
クレイグは未知の生物を見る眼差しでこちらを見ている。
しかし、残念な事にそんな目で見られるのにも慣れてしまった。
教育係の女性には今までどんな教育を受けてきたのだと言う顔を頻繁にされたのだから。
「私は窮屈なのが苦手のなの。お願い。」
「そういう事情でしたら、今すぐ変えましょうか?」
「駄目よ、甘やかしちゃ。儀式が成功したら報酬があると言う方がモチベーションが上がるでしょう?」
「そう言う物ですか?」
「そう言う物よ。」
私は彼の顔を覗き込んで小首を傾げる。
クレイグの方が身長が高いので自然に上目遣いになる。
「駄目?」
最後のひと押しをする為にそう言った私に彼は深いため息をついた。
「分かりました。お約束しましょう、アケミ。」
「ええ、ありがとう。クレイグ。」
彼はその後、私を問答無用で部屋に送り付けた。
明日の儀式に備えてもう寝るようにと告げると足早に去ってしまった。
クレイグには迷惑だったかもしれないが、人に話したことで幾分かすっきりした。
その後、私は吸いこまれるようにして眠りに落ちた。
或いはそれこそが彼と話をした効果だったのかもしれない。
私は朝早くに起こされ、今日行うための儀式の為の服装に着替えさせられた。
恐らく見映えも重要視されているのだろう、
白を基調とした幾重にも折り重なる服装に身を包んだ私は遠い国の敬虔な神の僕の様だった。
クレイグが迎えに来て、私の格好に一瞬目を見張った。
しかし、それはすぐに収まり、儀式を行うと言う一室に案内された。
古びた巨大な扉を彼が開けると、器具が錆びついたような嫌な音が鳴り響いた。
そこは広い講堂を連想させる様な空間で中には人がびっちりと詰まっていた。
貧しい生活をしているらしき人から豪奢に着飾った人まで様々な老若男女がそこにはいた。
数百人の人間が私の事を痛い様な静寂の中で食い入る様な面持ちで見ている。
ここの教団の規模を甘く見ていたと内心舌打ちした私は、
付け入る隙を与えない様に毅然とした表情を作り、背筋を伸ばしてクレイグに手を引かれて歩く。
彼と目が合うと面白い物を見ている様な眼差しで見られた。
中身が空っぽでもいいから今だけは聖女の様に振る舞おうと私は決心をした。
そうして部屋の最奥にある壇上に上がると、そこに立って毅然と前を見据えた。