24、惨劇の終息(後編)
ザワザワザワ、
ゾワゾワ、
擬音化すれば、そんな違和感を体に覚えていた。
それが強ければ、強い程瘴気に蝕まれた人間達が集まっていた。
この様子だと、一番集中しているのは中庭だろう。
私は僅かな時間を惜しんで、割れている窓を乗り越えて外に出た。
その時に腕を軽く切ってしまう。
しかし、それはちょうど良かった。
斬り付けた手の平は既に止まりかけていたからだ。
血を流しているのは私が身の安全を確保する為の絶対条件と言える。
どうにか地面に降り立つと、
むわりと言う圧縮された空気を感じた。
微かに聞こえる物音の方向に私は急いだ。
中庭は凄まじい状況だった。
体の腐りかけた人間が教団の騎士や護衛兵達を襲う。
彼等もそれに反撃しているが、怪我をしている人間も多い。
実戦経験がないだろう人間は複数で対処をして、それをベテランの人間がサポートしている。
怒号と剣戟が飛び交う光景を何処か現実離れした物として、私は捉えて呆然と佇んでいた。
それでも、これが現実だと言う事を飛び交う悲鳴が教えてくれた。
密かに大きく息を吐いて、お腹に力を込めて背筋を伸ばす。
その時だった。
「聖女様?」
それは何とも純朴そうな青年だった。
儀式の時に私が着るこの服装は、遠くからでも分かりやすい。
それ故に、彼も分かっただろう。
大して年齢が違わないだろうに有り得ない者を見た顔をして、走り寄って来た。
「何故、貴方の様な人がこのような所に。傍仕えの騎士殿は如何なされたのですか?
ああ、こうしている場合ではありません。安全な場所まで避難しますから、急いで、」
「私がここに来たのは助けを求めての事じゃないの。」
「何を言って、」
そう言って私は再び、ナイフを取り出した。
何処を傷つけるべきか、一瞬の間躊躇をする。
仕方がないので、儀式用の幾重にも折り重なった服をまくり上げて二の腕を大きく切りつける。
それを誰何しようと思ったのだろう、
青年は大きく口をあけて、
そうして、
背後からグチャリと、
そんな擬音を響かせながら、私の腕を取られたのを見た。
剣を構える彼を余所に軽く振りかえると、体が腐敗をして骨まで見えた大柄の男がいた。
その男は当然の様に紫色をした冷たい唇に未だ流れている私の新鮮な血を含んで、
ジュルリ、と啜った。
「貴様、」
聖女様に害をなされるのは許さなかったのだろうか、青年は声を上げた。
そうして大きく剣を振りかぶって、呆気なく剣が深々と付き刺された。
そうして男はビクリビクリと体を震わせると、声も立てずにゆっくりと灰になっていた。
今まで見た事のない光景だったのだろう。
青年は唖然として、その様子を見守っていた。
それが皮切りだった。
次はやせ細った女が首に噛み付いてきた。
ブツンと皮が切れた音がして、やや多めの血が流れるのが分かる。
彼女はすぐに体を離して、聞くに堪えない叫び声を上げるとのた打ち回り動かなくなった。
ダラダラと首筋を血が流れているのを感じる。
この時、私を支配していた感情は恐怖ではなく憐憫だった。
声を聞きつけたソレ達は次々と私に群がった。
右半分が腐敗した老人は私の首から流れる血を舐めて動かなくなった。
さらに右手が腐りきった年若い女は血の止まっていた私の手の平にかじりついた。
背後から右脇腹に喰い付かれたかと思うと、一瞬で離れられて苦悶の声が上がった。
そこから先の記憶は曖昧だ。
漠然と覚えている事は熱くて、痛かった事だ。
人伝えに聞くには、私は貧血の為か蹲ってしまったらしい。
そこを追いうちを掛ける様にして集まってきた彼等を護衛兵が討伐して行ったそうだ。
剣を向けても反撃しようともせずに、吸い寄せられるように行動する彼等を討伐するのは容易だったらしい。
それにより、あれだけの集団に襲われたにも関わらす教団側はは奇跡的に死者負傷者が少なかったそうだ。
これは全て後から聞いた話だ。
私は無茶をした代償として自室での療養を義務付けられている。
傷自体は浅かったものの、少しばかり血を流し過ぎてしまったらしくベッドから降ろしてくれない。
エルキーには今回の無謀な行動は随分と叱られた上に、顔見知りの女官には泣かれてしまった。
クレイグはまだ顔を合わせていない。
事後処理で奔走しているのだと聞いた。
けれど、それだけではなく私の行動に怒りを感じているに違いないのだ。
彼に会いたいと思うのと同じぐらいに、顔を合わせる事が憂鬱だった。
クレイグの美しい金色の瞳を思い返して、私が嘆息をしているとドアがノックをされた。
「はい。」
「聖女殿、失礼してよろしいかな?」
「…構わないわ。キート。」
体を休めている時に会いたい相手ではない。
それでも、教団の主を追い返す訳にもいかなかった。
ドアが開けられると、相変わらず人の良さそうな顔をしたキートがいた。
後ろには見舞いの品を持たせた女官を何人か連れていて、彼の立場の強さを表していた。
寝たままの姿では失礼だろうと、
私が起き上がろうとするとそのままでいいと声を掛けられた。
そう言う訳にも行かないので背もたれにクッションを挟み、それに寄り掛った。




