21、動乱が始まる。
「エルキー、如何して私が襲われたのに生き残っているか分かる?」
「………。」
分からないんだろう。
彼の仏頂面を見てれば、それが分かる。
今の段階では只の仮説だが、恐らくこれは当たっているだろう。
「私は川に落ちて、その中心の岩場にいたの。
アレらは岸辺をずっとうろうろしていて、水の中には入ってこようとしなかった。
彼等は水が苦手なのでしょう?」
「…ええ、そうです。けれど、近くには大きな水源はありません。
その状況を再現して、貴方が囮になる事は不可能です。諦めて下さい。」
エルキーは大きな溜息と一緒にそう言った。
教団の付近に本当に大きな水源がないのかは分からない。
いずれ、元の世界に帰るのだからと周囲の地形を把握しなかった事を後悔した。
もし、水源があったとしても彼は私の提案に協力する気はないのだろう。
無茶を言う子供を諭すようなエルキーの口調で、その事を知る事が出来た。
真剣に訴えたから耳を傾けてくれたが、彼は私がもう完璧な聖女様ではない事を知っている。
「貴方も避難しなくてはいけません。早く行きましょう。」
そう言って、私の手を取るエルキーは保護者然とすらしていた。
もしかして、崇拝交じりの恋情は庇護欲に取って代わったのかもしれない。
それは何処か苦い気持ちにさせられた。
自分の思惑を進める事が出来ない歯痒さと、
協力者がいなければ何もできない無力さを同時に感じた。
それでも、ここで押し問答を続けている事は彼を危険に晒す事に繋がるのだ。
そう考えて、私は仕方なしに思考を切り替える事にした。
「エルキー、私は皆と別の所に避難するわ。強い巫女の力は惹き寄せてしまうんでしょう?」
「ええ、申し訳ありませんが別塔に移動してもらいます。
あそこなら、扉も堅固なのでアイツらも侵入する事はできません。
状況が収束するまで、待機してもらう事になります。」
ふと、儀式を受けた女の子と目が合った。
服が皺くちゃになるまで強く握られていて、手が白くなっていた。
私の後ろに隠れるようにいたので、今まで殆ど存在を忘れかけていたのだ。
避難している最中は危険性が増すだろう、私の道中にこの子は連れてはいけない。
「この子を儀式の参加者と同じ所に、」
「絶対に嫌。」
空気を裂く様な声で彼女が言った。
避難する為に部屋を退出しようとしている何人かがこちらを振り向いた。
慌てて私は、女の子と目を合わせる為にしゃがみ込んで宥めるように言った。
「私と一緒に行動すると危ないのよ。皆と同じ所に行った方が安全だわ。」
「聖女様の傍にいたいの。」
そう言って、首を振る彼女に私は困ってしまった。
エルキーに目くばせをして、教団の人間を呼んでもらう。
間もなく、年嵩の女官がやってきて抱きかかえて連れて行った。
裏切られたと言う様に、こちらを凝視している女の子を黙って見送った。
その一瞬のことだった。
「私もアレに近くなったから分かるの。ここに沢山入ってきている。
誰も助からないよ。聖女様なら何とか出来るんでしょう。ねえ、ねえってば。」
子供らしい甲高い声は部屋中に響いた。
それは、雑踏の中に消えて行ったが私の中には残ったのだった。
エルキーに方を掴まれる。
振り向くと、彼は首を振っていた。
気にするなと言う事を伝えたいのだろう。
有事の際に役に立たない聖女だと言われたと思ったのを察せられたのだ。
何だか酷く、自分が子供になった様な気がした。
エルキーと私が部屋を出ると、別塔に行こうと行動を移した。
それでも途中まで避難経路が同じなのか、人でごった返しており前に進めない。
焦りを感じている事を自覚をし、落ち着こうを深呼吸をする。
この聖女の衣装は目立つらしく、周囲の人間からちらほらと視線を投げかけられる。
こう言う時こそ、毅然とした態度でいなくてはいけないと無意識の内に背筋を伸ばした。
途中までは何事もなかったのだ。
初めの異変はガシャンと言う大きな音だった様に思う。
教団の城の窓ガラスはとても厚い、
それが破られることはないだろうと思っていた。
けれども、アレらはあっさりとその固定観念を破って見せた。
グニャリと曲がった妙な方向の手をぶら下げながら、
体が腐りきって異臭を放っている女と思しき人物はゆっくりとこちらに近付いてきた。
近くの人間は、小さく叫び声をあげて硬直をした。
初めて見るのではないので、私は比較的平静だった。
エルキーは私の前に立つと、黙って鞘から剣を抜いた。
ぶらぶらと近付いているソレと彼が静かに相対する事になる。
彼女は顎が外れるのではないのかと言うぐらいに大きく口をあけた。
それから助走を付けて右腕に齧り付いてこようとしたのを剣で押しとどめる。
場違いにも私は思った。
優男にしか見えないエルキーも騎士なんだと。
幾度か襲い掛って来るのを躱して、女の体が大きくよろめいた所で決着は着いた。
動かなくなったアレからは、血の匂いが強烈にして頭がくらくらした。
反射的に口元に手をやって、込み上げてくる物を飲み込んだ。




