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10、誘拐されました。(後編)

暗闇の中を脇目も振らずに走る。

まるで自分が肉食動物にに追われる野兎になったような気分だった。

足が壊れたおもちゃの様に止まらなくて、心臓が耳のすぐ近くで鳴っているかの様だった。

何時追い付かれるかと言うのが気が気でなくて、体全体が後ろに集中している様な状態だった。


だから、何時転んでも可笑しくない様な状態だったのだ。


そうして、

そういて地盤の緩みに足を滑らして、

周っている世界の中で体のあちこちをぶつけて、

石か何かに右肘を強く打ち付けて鋭い痛みを感じて、

ほんの一瞬にも酷く長い時間にも感じられたそれはあっさりと終わりを迎えた。


ぶちっりと千切った様に地面がなかったからだ。

当然の様に何が起きているか分からないまま私はそのまま転落し、


ほんの僅かの間、宙を舞う事になった。

スローモーションになる景色の中、今までの記憶が走馬灯のように思い出される。


初めて友達を作った時のこと、

小学校に入学する時のピカピカのランドセル、

テストで酷い点数を取ってお母さんに強く叱られた事、

中学校でグループ同士の諍いが激しくて、立つ位置に迷った事、

猛勉強をして第一志望の高校にどうにか入学をする事が出来た事、


それから、

それから何故か最後に金の瞳を持つ彼の事を思い出した。


最初は地面に叩きつけられたのかと思った。

それでも、一気に呼吸困難に見舞われたことで水の中だと言うのを理解した。

死に物狂いで水面を上がると顔を突き出して、生存本能のままに息を吸うのを繰り返す。


水の勢いにそのまま流されていたら、真ん中にあった小さな岩場に到達した。

そこに手を掛けて、無理矢理体を起してそこのほんの僅かなスペースに座り込む。

体は痣だらけだろう、それに加えてじんわりと服に血が沁み込んでいくのが分かった。

今まで必死だったから分からなかった、頭から水に浸かった事による寒さが全身を襲った。


取り敢えず、服の裾と髪を思いっきり絞って人心地を吐いた。

周辺を見渡してみると、私が落ちてきたらしい崖があった。

それは結構な高さで下が地面だったら骨折じゃ済まなかっただろう。


私が落ちたのは深さのある流れの早い川だった。

死ななかっただけでも十分幸運だと割り切って考えようとした所で、異変に気がついた。


川の向こう岸に何人かの人がいた。

こんな夜更けに川に用がある人なんている筈がない。

背筋に悪寒を感じながらも私の事を追いかけてきた連中だと直感した。

川に再び飛び込む体力もなく、様子を伺っていたのだが観察をしてふと気付いた。


アレらは川の中に入って来ないのだ。

ひょっとすると水が苦手なのだろうか。

そう考えると、今の状態から動かないのがベストだった。

川の向こう岸に辿り着いたとしても逃げ切るだけの体力は私にはなかった。


体の体温がじわじわと奪われているのが分かる。

状況は膠着状態で、しかも川辺の人影は徐々に増えていた。


どうしたらいいんだろう。

どうすれば、

体が重い、

…何だか眠くなってきた。

そうして、私の意識はそこで途切れたのだった。


酷く温かい。

私は死んだのだろうか。

あのままの状態で亡くなるのは化け物に食べられるのよりは幸運な末路だろう。


「目が覚めたのか。」

低い声がした。

逆光になっている男は金目のー。


「クレイグ?」

私がそう呟くと、

ガシャンと何かを取り落とす様な音がした。

そちらを向くと純朴を絵にかいたような女の子がいた。

如何やら手に持っていたお茶出し一式をお盆ごと落としてしまったらしい。

カップは一人前で、どうやらクレイグに持ってきたらしいと言う事を悟った。


「す、すいません。」

一瞬いなくなったと思ったら、

すぐに箒と塵取りを持って帰って来た彼女はてきぱきと片付け始めた。

私とクレイグはそれを見守る形になってしまい、奇妙な沈黙がその場に漂った。


「何か、温かい物を持ってきてくれ。」

「は、はい。」

片付け終わった彼女にクレイグがそう声を掛けると、

体を一瞬竦ませてあっという間に出て行ってしまった。


「もっと優しい言い方は出来なかったの?彼女、怯えてたじゃない。」

「如何言う言い方をすればいいんだ。」

クレイグは眉に皺を寄せていて、思わず私は笑ってしまった。

ひょっとするとこの人は気にしているのかもしれない。

黒い髪に無表情のこの男は人に威圧感を与えがちだ。


くすくすと体を震わせて笑っている私に彼は溜息を吐いた。

そうして言葉を続けた。


「体は大丈夫なのか?3日3晩熱が出ていて意識不明だったのだが。」

「本当に?喉は乾いているけどすっかり健康よ。」

そうかとクレイグは安堵したかのように大きく息を吐いた。

それから私の手を持つと、自分の頬にやった。

体温を確かめる様な動作に、

私の胸は一瞬高鳴った。


ひょっとするとかなり危ない状態だったのかも知れない。

そうして、自分がどういう状況で意識を失ったかと言うのを思い出した。


「ねえ、クレイグ。如何して私は助かったの?」

「貴方が居なくなった後にすぐに捜索が行われた。

内部の犯行だったから見つけるのに時間が掛ってしまった。

教団の馬車が一台消えていたから、その目撃情報を追ってここまで来た。」


そこで彼は言葉を切った。

そうして、一瞬の静寂の後呟いた。


「助けるのが遅くなって済まない。」

そう言ったクレイグは酷く自分を責めているようで、傷ついた少年の様にも見えた。

だから私はすぐ目の前にある彼の体に手を回して、自分が生きている事を伝える様に抱きしめた。

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