財閥当主2
「ホント、見た目真っ白なくせに中身が真っ黒よね、夏目は。」
先ほど思ったことを今度ははっきりと口にする。
しかし悪態をつくだけに留まり、その考え自体は全く否定していない椎名もまた、人のことを言えない位には性格が悪いのだが。
「まぁ、それは考えるに留めておくわ。……それじゃあ私は、また増えちゃった宿題(書類)を片付けなくちゃいけないし、夏目もそろそろ会社に戻った方がいいんじゃない?」
「ああ、そうだね。…本音を言えばもう少し、椎名と話していたいんだけど。仕事以外で兄弟水入らずの会話なんて最近は全然だろう?」
「興味ないわね。」
「相変わらず、そっけないな。もう少し、可愛げを見せてくれてもいいと思うんだけど…。」
「それなら無駄だから諦めて。」
間髪入れず淡々と返す。残念ながら、夏目に見せる可愛げなど持ってはいない。
「はぁ…下らない話はいいから早く行ったら?表で夏目のお付きが待ちくたびれてるわよ。」
椎名が指しているのは夏目専属に付けているボーディーガードのこと。
ここは椎名の住居…つまりは本邸ではないにしろ当主の居住区に当たるためセキュリティーにおいては万全を期しているので、護衛の方々は念のために周囲を警戒しつつも外で待機となっている。
重要な話などもするだろうから、という配慮だ。
だというのに、仕事に関係ないただのお喋りの為に更に待たせてしまっては、彼らはあまり気にしていないだろうが少し同情する。
それに夏目も暇ではないはずだ。実際の仕事量的には椎名あまり変わらないが、接待や会議、パーティーに会見、重要な取引の交渉などと動き回る仕事が通常よりも多い分、当主の自分より遥かに忙しいのだから。
「仕方ないね…時間が出来たらまた立ち寄らせてもらう事にするよ。」
「ちゃんと、仕事優先でお願いね。」
ソファーから立ち上がった夏目を呆れたように一瞥し、呼び鈴を鳴らした。
すぐさま控えめなノックの音と共に上質なお仕着せを纏った女性が丁寧な動作で入室した。
「失礼いたします。お呼びでしょうか。」
綺麗な金髪をきっちりと纏め、釣り目がちな青い瞳に相俟って堅く生真面目な印象の彼女は、日野宮香苗。イギリスとのハーフであるためか肌は白く、容姿の整った相当の美女だ。
彼女は椎名に仕える専属の侍女で、椎名はカナと言う愛称で呼んでいる。
「表まで夏目の見送りをお願い。それと、後で執務室にコーヒーを運んでくれる?まだ、仕事が残ってるから。」
「畏まりました。夏目様、どうぞこちらへ。」
「ああ。それじゃあ、またね椎名。」
「ええ、それじゃ。」
最後に軽く言葉を交わして、扉が閉まるのを見届ける。急ぎでなくとも当主として仕事が尽きることがないというのは面倒だ。
僅かに残っていた紅茶を飲み干し、立ち上がる。夏目が持ってきた幾つかの資料を手に取って執務室へと移動し、紙束や書籍、パソコンなどが置かれた透明なガラス張りのデスクの前に腰を掛ける。
少し経つと、見送りを終えたのか戻ってきた香苗が、頼んでいたコーヒーを持ってきて、邪魔にならない位置においてくれた。
集中を切らせないために、それを時折口に含みながら、受信された業務メールの確認や、データの処理などを行っていれば、窓から指す陽が大分傾いていることに気づく。
「ふー…カナ、お疲れ様。片付け、ありがとね。」
作業もとりあえず一段落が付いたので、使い終わった資料などの整理に回ってくれていた香苗にお礼を言う。
おかげで、仕事はかなりスムーズに進んでくれた。
「いえ。この程度の事、仰っていただければいつでも致します。他にお手伝い出来る事は御座いますか?」
「いや、大丈夫よ。仕事にも区切りがついたし、もう夕食の支度に行ってくれていいわ。」
「畏まりました。それでは、失礼いたします。」
丁寧に一礼をして部屋を出ていく香苗を見送り、思いっきり体の筋を伸ばす。毎日の香苗に言われて偶にケアを行っているおかげか、この歳からデスク作業に付随してくる肩凝りなどに悩まされなくて済んでいる。
そろそろダイニングに行こうと部屋を出て、ふと思い出した事に足を止める。
「……そういえば、明日だったっけ…。あの子が返ってくるの。」
天然ドジキャラな、ある人物を頭の中で思い出してしまい、これから大丈夫だろうかと少し不安になる椎名は気付いていない。
これから、かなり厄介な面倒事に巻き込まれていく運命にあることを。
椎名が去った誰もいない部屋で、開かれたままのパソコンが短く音を鳴らす。
その画面の片隅には、メールの受信を知らせる通知が点滅していた。