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日系ソ連人

此の世界での「日本とソ連」の関係はすこぶる良好である、良好な理由は「日系ソ連人」及び「ソ連在住の日本人」に「両好の秘訣」が存在をします。


まず最初に「日露の関係史」を述べなくては成りません、此の世界で「日露双方の接触」が行われたのは「12世紀」でありました。


より正確に言えば「日露の交友史」は此の世界での「モンゴル帝国」が深く関係をします。


此の世界での「モンゴルのスラブ地域」は史実より「20年」早く「スラブ地域全土及びクリミア」を占領をして「モンゴルの影響圏」にしました。


その後「モンゴル帝国」は「支配及び影響地域の有力者(王族、貴族、聖職者)」に対して「自治国の承認」をする代わりに「人質の要求」をさせました。


その「人質要求」で送られた「有力者の娘、息子」に対して「モンゴル帝国」は「東洋思想及び東洋風習」を人質の子供たちに「叩き込ませて刷り込み教育」を行わせました。


早い話言うなれば「子供の内に洗脳教育」を行わせて「自分達モンゴル帝国のシンパ」にさせるべく「モンゴル帝国」は「スラブ系の全部族」にそう行わせました。


さて「ソ連の歴史の授業」では「モンゴル帝国のスラブ人への東方文化の教育」を「タタールの恵み」又の名を「スラブの覚醒」と言われておりました。


さてその後の「モンゴル帝国のロシア支部」とも取れる「きぷちゃく・ハン国」のその後を書かなければ成りません。


実の事を言うなれば「キプチャク・ハン国」の初代国王である「ジョチ・ウルス」と言う人物は「前世が日本人」の転生者でした。


この「転生者のジョチ・ウルス」の「前世」で「ロシア人の奥さん」を娶っておりましたので「ロシア人への灰燼的行為」を余りしたくは有りませんでした。


そして「東方文化の洗脳教育」で少しでも来るべき「日露戦争」と言う存在を起こさせない為に「転生ジョチ・ウルス」は「スラブ人」と言う民族に対して「スラブの東方化」をさせました。


さて此の世界での「キプチャ・ハン国」のその後を書かなければならない、簡単な話史実より早く「御家騒動」が起きてしまいました。


其れにより「キプチャ・ハン」の影響地域の欧州の全土「今のロシア、ベラルーシ、ウクライナ、クリミア、ポーランド、リトアニア、エストニア、ラトビア、フィンランド」等を巻き込んだ「内戦」が起きてしまいました。


これ等の「キプチャ・ハン家の一連の御家騒動」を「ソビエトの歴史の教科書」では「ルーシ騒乱」と書かれております。


此れにより「ルーシを含む地域の騒乱」は「欧州西側」にも伝わる事に成りました、そして「時のローマ法王」は「ルーシの騒乱の平定と治安維持」を「大義」として「十字軍の遠征」を「カトリック諸国」に対して行われました。


其れにより「ルーシ全土」は「戦国時代」に突入をして長い期間「血で血を洗う」と言う状態になりました。


 そして史実より「30年」早く生まれた「イヴァン雷帝」事「イヴァン4世」の「ルーシ統一」をする「1542年11月21日」まで「約280年間」と言う途方も無い「時間」を待たなければ行けませんでした。


さて話は大分逸れたが「此の世界での13世紀」は「モンゴル帝国」を「世界の主軸」にして世の中が回っておりました。


其の時の「13世紀の日本」では「モンゴル帝国」と貿易を行っておりました、其の時に「モンゴル帝国」では「モンゴル帝国での日本人移民の受け入れ」を「合法」的に行われておりました。


其の時の「日本の情勢」は「鎌倉幕府」と言う存在が「やっとこさ盤石的に機能をしましたよ」と言う存在で未だに「平家と奥州藤原の残党」が力を持っている状態でした。


だからこそ「鎌倉幕府」は「不穏分子の排除」をする為に又「過剰にいる農民の制限の捌け口」として「鎌倉幕府」と「時の朝廷」は「モンゴル帝国の提案」を受け要る事に成りました。


其れにより今でも「モンゴル」には「日本刀や掛け軸」等の文化品などが発掘されて発見をされました。


さて「日露の関係」は「モンゴル帝国」と言う仲介人が有った事により「日本の歴史の教科書」正確に言えば「鎌倉時代の末期」には「流宇志」と呼ばれる地域が有るぞ


と「日本人の上流階級」の「地理、風土、風習」を習う際にしっかりと「流宇志」と言う地方が有りますよ、


そういう風に「13世紀の貴族社会」ではそう憶えこませておりました。


因みに「モンゴル帝国」に渡った「日本人」の「移住者の人間達」は「モンゴル帝国の首都」である「ウランバートル」で「日本人町」を作りました。


今も此の世界での「モンゴル」には「日本人町」が存在をしておりまして「多くの日本系モンゴル人」が暮しを営んでおります。


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さて話を大分逸れてしまいますしたが「第一次太平洋戦争」の後の「日本」は「日本連邦」と言う「米英の傀儡国家」が樹立をしました。


其の時に「大日本帝国」と言う国家の仕組みを「米英」の都合の良い様に引っ掻き回されておりました。


例を挙げるなら史実世界より「約60年早い」であろう「3公社5団体」の廃止そして「即民営化」をさせられました。


そして次に「帝国陸海軍の廃止」並びに「連合国軍の旧大日本帝国領及び影響地域への進駐」である具体的には


「史実世界の自衛隊」に相当をする組織には「「日本連邦本土及」び「構成国家」の「民間防郷隊」の「統合本部」兼「各防郷組織の利害調節を行う」為の運営会社」と言う長ったらしい組織と言う名の「株式会社」が有りました。


そして此の組織は建前上は「民間団体」であり早い話「大きい会社」別の見方をすれば「財閥」でありましたが多くの「日本連邦民」は「日本連邦軍」と呼ぶようになりました。


さて建前上が「会社」である以上は「利益」を出さなければ行けませんですし「株主」と言う存在がいます。


この以下「日本連邦軍」は主な株主は「イギリス、アメリカ、満州、日本連邦民、天皇家」で主な「株の比率」は「天皇家が5分、日本連邦民が7割り、満州が1割り5分、イギリス5分、アメリカ5分」と成っておりました。


だからこそ「1942年5月15日」の「5.15事件」が起こる「約17年間」の間「日本連邦」と言う国家は「民間会社」に「日本連邦の国防」を委ねておりました。



そして此の「「日本連邦本土及」び「構成国家」の「民間防郷隊」の「統合本部」兼「各防郷組織の利害調節を行う」為の運営会社」以下「日本連邦軍」は当然の話建前上は「株式会社」と言う存在で御座いましたので「リストラ」と言う行為を平気でしました。


さて此の「日本連邦軍」から「リストラ」を喰らう破目に成った「軍人たち」はいったい何処に行かれたのだろうか?


さて此の世界では「自国の軍事力の向上」を望む国々が沢山存在をします、主に挙げてくと「アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、ソ連」等数えるだけで「100」は有ります。


その中で多くの「元大日本帝国の軍人」を雇う動きを出した国が有ります「ソビエト連邦とオーストリア・ハンガリー帝国、オスマン・トルコ、ドイツ帝国、エチオピア帝国、アルゼンチン、メキシコ」の「7か国」でした。


さて、まず「オーストリア・ハンガリー帝国」が「旧大日本帝国海軍の軍人」を雇用をする環境が有ったかを書かなければ成りません。


此の世界での「オーストリア・ハンガリー帝国」は「史実と呼ばれる世界」では結局没に成ってしまった


 「ニコバル諸島、ナツナ諸島、アナンバス諸島及びソロモン諸島」が如何やら此の世界では先程の地域の「オーストリア・ハンガリー帝国領化」が実行をされて「オーストリア・ハンガリー帝国領の構成国家の一部」に成りました。


此の事により「オーストリア・ハンガリー帝国」では「海軍への軍事力強化」を行う様になりました。


そして「海軍力の強化」で「オーストリア・ハンガリー帝国の皇帝」は「外国人の海軍の軍人教師の求人」を掛ける事に成りました。


其の時に白羽の矢が立ったのが「元大日本帝国の軍人」であるとい訳です、と言いたい所ですが「1924年」にはあの忌々しき「第1次欧州戦争」が行われました。


其れにより「1924年」に「オーストリア・ハンガリー帝国」の「オーストリア・ハンガリー帝国の東南アジアのオーストリア・ハンガリー帝国の構成国地域」は「連合国軍」に「抵抗」をしましたが「アメリカ合衆国の物量」で「1925年1月11日」に降伏をしました。


そして何故「エチオピア帝国」が「元大日本帝国の軍人」を雇い入れたのかは「アフリカの欧州列強の属国や植民地」に対抗や「エチオピア帝国の軍事力の強化」をさせる為に「元大日本帝国の陸軍の軍人」を受け入れました。


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さて話は「第1次欧州戦争」の後の話に成ります先程の様に「旧大日本帝国の軍人」を受け入れた国の中で「オスマントルコ、オーストリアハンガリー帝国、帝政ドイツ」は「連合国」に敗れてしまいました。


其処で雇われていた「日本軍人」は残念ながら「解雇」を受ける事に成りました、其れ等の「敗戦国の日本軍人将校」を再登用をする国が有りました「ソビエト連邦」でした。


さて多少余談に成りますが「ソビエトの移住」をするのは「軍関係者」の他にも「造船業の関係者」の人達も「ソビエトの移住」をしました。


此の世界での「日本連邦軍」は立場上「第1次太平洋戦争」で「敗戦国家(本土空襲も本土進攻も受けておらず自国領の被害は一切無くて剰え「中国と朝鮮の首都の占領」もした)」にいましたが


 「自称戦勝国家(朝鮮と中華民国)」が「賠償金請求」をしておりましたが「大日本帝国軍」は「金欠状態」でしたので「領地割譲」と「兵器の移譲」で決着を付けました。


だが「連合国軍」は「2度と大日本帝国の復活をさせてたまるか!!」と言う意見が一致をしましたので「戦艦、駆逐艦、巡洋艦の建設の禁止」と言う命令を「日本連邦」に下しました。


当然、「戦艦、駆逐艦、巡洋艦が大好きな軍人達」及び「一般国民」は「フザケルナ」と「連合国の上層部」に抗議をしましたが当然「連合国の上層部」はこの発言に対して無視をして「抗議をした軍人達」はもれなく「リストラ」を喰らいました。


だからこそ先程の「戦艦、駆逐艦、巡洋艦が大好きな軍人達」は海外で「戦艦、駆逐艦、巡洋艦の旧大日本帝国の軍艦の資料」を持ち逃げをして「友好国のソ連やアルゼンチン」で「戦艦、駆逐艦、巡洋艦」を作りました。


では何故「戦艦、駆逐艦、巡洋艦が大好きな軍人達」及び「一般国民」早い話「元大日本帝国の臣民」がこんな大それた事をするのかは「日本連邦」を「大日本帝国の後継組織及び継承国家」と認めないからこそ敢えて海外で「亡命大日本帝国政府」と釘打って「日本連邦」と袂を分かつために敢えてこの様な事をしました。


さて、日系ソ連人は最終的には「1942年5月」のクーデター後に本国への期間をする人たちが多く居ましたが、


「1937年」に亡命をした日本人の内多くの人間が「カムチャッカ、サハ」の大地で「アメリカ、カナダ、メキシコ連合軍」と戦争を繰り広げてまして「多くの大日本帝国の亡命軍人」は「極東の大地」で死ぬ事と成りました。


此れにより「カムチャッカ」にあった「日本自治共和国」は「北米連合国軍」の「激しい戦争」が起きたお蔭で、奮戦空しく「1937年12月21日」に「北米連合国軍」に制圧をされました。

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