外伝・・・モンゴル「ロシアと共に」
モンゴルの歴史を書いて見ようと思います。
この世界のモンゴルは事実と同じく「清」に支配をされていました。それで「露清」戦争後に「ロシア」の元で「独立」が叶いました。
さて「モンゴル」と言えば「モンゴル帝国」の事を話さなければいけない、此の世界にも「モンゴル帝国」が当然の如く存在をしておりました。
だが史実とは違う点が少なからず存在を確認する事が出来ます。
まず「1つ目」は「征服した民族のモンゴル化早い話「同化政策」を取った。」
そして「2つ目」は「日本の「皇族」をモンゴルに婿入りさせたこと」
そして「3つ目」は「スラブ系住民を東方に移住させた事」
そして「4つ目」が「ユダヤ系を中央アジアに「自治国家の樹立」を承認させた事」
そして「5つ目」が「東洋思想を西欧に広めた事」
そして「6つ目」が「スラブ系住民を弾圧しなくてある程度の自治を認めた事」
そして「7つ目」は「神聖ローマ帝国と同盟を結んだ事」
そして「8つ目」が一番重要な「支配した地域には信仰の自由を認めさせた。」
以上これ等の「モンゴル帝国」が何故「他の民族の文化」を「破壊や弾圧、禁止」をしなかったかを書かなければいけない。
ある程度の人は「察し」が付くかもしれないが「モンゴル帝国」の「皇族」は「転生者」がいて、先程の「支配」を「磐石性」を「史実より強固」にさせる為に「転生皇族」は先ほどの政策を実行に移しました。
そして面白い話をすると「日本の皇族」が「モンゴル帝国の皇女」と結婚をして「婿養子」に成ったと言う逸話が御座います。
だからこそ「日蒙の関係」は「12世紀終盤」の頃から深い縁が御座いました、そして一部の「近衛家、三条家、一条家」等の「日本の貴族家系」の「日本人」や「平家」等の「武士集団」が「皇族の方々のお供」して「モンゴル帝国」に「移住」をする事に成りました。
さて先程の「モンゴル帝国」内での「スラブ系住民」は此の世界では「ウラル以東」に多くの人々が暮らしています。
だから案外「東方正教」の力は史実の「勢力範囲」より多くなりますので、史実より勢力圏は盤石と成るでしょう。
これにより「モンゴル」は「モンゴル人」によって国家運営をする事が出来ました。
さて、時代は過ぎて第一次世界大戦の時「ロシア」も「モンゴル」も「中立政策」を取って居ました。
だけど、「中華民国」が「内モンゴルは元来「中華の土地」であったから「ロシア帝国政府」は直ちに「中華の「同胞」のモンゴル人」の土地を「中華民国」に速やかに帰属せよ」
と「中華民国政府」がワザワザ「モンゴル政府」に言わずに其のボスである「ロシア帝国政府」に対して申して要るあたり「中華民国政府」は「東アジア情勢」を余り知らないからこそ
この「モンゴル」の価値を全然知らないだろうと安直な理由で「モンゴルの中国移譲」をしたがっているので有る。
さて、本来の中国の範囲を「万里の長城から見て南」が本来の範囲で有る。そして、「ベトナムより北」が中国の南北の範囲で有りますだから、この範囲は中国の最初の統一国家である「秦」の範囲で有る。
だから、中国人が「チベット」や「モンゴル」、「満州」、「東トルキスタン」を「中国領、又は中国文化の範囲」と言うテリトリーから見て上記の地域は「別の文化圏の世界」と捉えた方がいい。
ましてや「中国人」と言うのは「中華圏」と言う「地方の世界」が有り、それで色々な民族が集まって出来た「民族共同体」が「中華民族」と
筆者の調べた歴史の本から見て「歴史や民俗学の観点」から捉えれば、「モンゴルの文化」は「中華の文化」とは別物に近いと筆者である私はそう捉える事が出来ます。
さて、当然「ロシア帝国」は「ソンナフザケタ話が聞けれるか!!」と言って「中華民国」の提案を突っぱねました。
何故ロシアは「中華民国」の話を突っぱねたかは「そもそも「清王朝」の後継国家が戦争で負けた領土を只で戻す馬鹿な話が有るか。」と言う事で聞かなかったのと「そもそも、「モンゴル」が中国領に成った事は直接の領土」にした事は早い話少ないし
ましてや直接支配した事は無いと言う事を「ロシア帝国政府」は「学校」の「初等教育」の「世界史」の教科書に載せています。
だからこそ、「中華民国政府」のこの条約を突っぱねました。」
さて、「中華民国政府」は「ロシア帝国」と「モンゴル」に対して「1913年4月21日」に「宣戦布告」をしました。
この「中華民国」の「モンゴル、ロシア侵攻」を後世の「歴史の教科書」では「第1次中蒙戦争」と言い「1913年4月21日ー1915年3月21日」まで続きました。
では「中華民国」が「対ロ対蒙」に喧嘩を吹っ掛けた理由を載せなくてはいけない。
そもそもこの世界の「中華民国の後ろ盾」は「イギリス帝国」では無くて「アメリカ合衆国」である。
では何故「イギリス」では無いのかを載せなくてはいけない、もし「中華民国の後ろ盾」が「イギリス帝国」だった場合、「ロシア帝国の中立宣言」を破棄して「連合国軍に宣戦布告」をされて「インドを始めとした「東アジア、東南アジア」の権益や植民地」が全て「ロシア帝国」のものと成ってしまいます。
それで「東アジア、東南アジア」に植民地を持っていない「アメリカ合衆国」が「中立国家」が「無傷で金儲け」をしているのが面白くなくて「中華民国」を使い「間接的」に「被害の拡大による損失」と「アメリカ製兵器」の「中華民国への配給」が「アメリカ経済の発展」につなぐ事が出来ると言う「1石2鳥」を見越した「アメリカ合衆国」らしい「計画」でした。
それで、ロシアは「アメリカが「対ロ参戦」をするのも煩わしい」だから「アメリカ合衆国」には「露米不可侵条約」を事前に結ぶ事をしました。
だから、「中華民国」は一人で勝手に自滅をしたと言う状態と成りました。さてその後ロシアは「帝国解体」の波が立ちました。
そして、「ソ連の誕生」と「シベリア出兵」のどさくさに「アメリカ合衆国」の傀儡と成った「中華民国」は再び「モンゴル侵攻」を「1920年4月30日ー1924年6月21日」の間まで攻め入る事と成りました。
この「中華民国のモンゴル侵攻」を「第2次中蒙戦争」といいます。この「中蒙戦争」は前回同様に「モンゴル勝利」とは残念ながらできませんでした。
さてこの頃の「モンゴル」は「現代兵器」の製造をする工場や軍事訓練をしっかりとしていました。
だが、今度の「中国軍」の装備は「アメリカ製の兵器」を使いまして「旧式装備」のモンゴル軍は徐々に劣勢と成りました。
そして前回と違い「ロシア帝国の援助」は残念ながら「シベリア出兵」で「対モンゴル支援」を其処までする事が出来ませんでした。
こうして、「モンゴル軍」は努力の空しく「中華民国」にあえなく「内モンゴルを併合」をさせられました。
だが、日中戦争からの「ソ米の中国戦線」により「モンゴル」は「ソ連軍に着き」次第に次第に「内モンゴル」を削る努力をして「1950年」を目途に「内モンゴル」を返還する事と相成りました。
さてこの世界での「モンゴルと日本」の関係(現代史的な意味で)は事実の世界では「満州国」で関係が出て来ます。
さてこの世界での「日蒙関係」は事実より早く「日露戦争」の時に接点が出て来ます。
この世界では「モンゴル系ロシア人」が指揮官として参戦をしたり、「モンゴル兵」が事実とは違い「日本兵」と銃撃戦をする世界で有りました。
そして「第2時中蒙戦争」の時に「日本軍」は「モンゴル軍」と共に「中華民国軍」と戦闘をしたり「ドイツ帝国軍の戦車「史実の2号戦車」の日本モデル版」の「80式重戦車」を投入をして「中華民国軍の戦車」をコテンパンに叩きました。
こうして「日蒙連合軍」は「中華民国軍」から必死になって戦い抜きました。だが「アメリカ軍参戦」をした頃から戦況は「劣勢」に成っていきました。
こうして「モンゴル軍」は一足先に「米中連合軍」に「条件付き降伏」をしまして、そして「日本軍」も数年後に「停戦合意」をする事と成りました。
さてその後の「モンゴル」は「アメリカ資本」が入り大幅なに「近代化」の道をたどる事が出来ました。しかし裏を返せば「モンゴルの米軍駐留」が始まる事に成りました。
この「在蒙米軍」はそこそこ機能をしていて「対ソ戦」に非常に役立ちをしました。
此の世界での「米軍」は「ポーランド」と「モンゴル」の2方向から「ソビエト連邦」に侵攻をしていてこの時の「2正面作戦による死者数」は「アメリカ・満州・モンゴル連合軍」は「450万人」でした。
多少余談に成ってしまうのだが「モンゴル」は早い段階で「ロシア帝国」の影響圏に成っていましたので「モンゴル人」は「ロシアの文化」や「ロシア語」を一生懸命に学んでおりました。
だから「モンゴル人はロシア語を喋る」と言う光景は此の世界では非常に当たり前と成っております。
そして、事実より早く日本に「相撲取り」をするべく「来日」をする「モンゴル人」も少なからずいたそうです。
こうして「大正の末期」には「モンゴル人横綱」がチラホラと見られるように成りました。
それでこの世界の「モンゴル人」に対する「日本人」の評価は最初は「非常に冷たい」と言う言葉がふさわしく「日露戦争」と言う存在が有りましたので関係は
非常に苦い状態で有ったのだが「日蒙連合」で「中華民国」と戦ったことにより「関係改善」がする事と成りました。
だから「在日モンゴル人」の人数は「約180万人」もいます。その殆どの人間が「帰化人」と成り「モンゴル系日本人」が多く住んでいる場所は「北海道と東北」だそうです。
そして「モンゴルの大地」には反対に「日本人」が首都である「ウランバートル」には今でも大勢の「日本人」が「技術派遣」で「ビル群」を作ったりしています。
又先程に述べました通りに此の世界での「モンゴル帝国」では「日本人の蒙古への移住」が存在をしており「日系モンゴル人」が暮らしておりました。
そして、面白い話に成りますが此の世界での「モンゴル帝国の影響圏」は史実以上の版図を獲得をしておりました。
具体的に挙げていくならば「史実と呼ばれる世界の国家」で「モンゴル、日本の渡島半島を除く北海道の全て、樺太、千島列島、朝鮮、中華人民共和国、台湾、ベトナム、ラオス、ミャンマー、タイ、ネパール、ブータン、カンボジア、マレーシア、ブルネイ、シンガポール、インドネシア、東スティモール、パプアニューギニア、オーストラリア、インド、バングラデシュ、パキスタン、アフガニスタン、イラン、イラク、スリランカ、モルディブ、イラク、シリア、レバノン、イスラエル、トルコ、クウェート、アラブ首長国連邦、バーレーン、イエメン、サウジアラビア、エジプト、リビア、アルジェリア、モロッコ、チュニジア、北スーダン、南スーダン、西サハラ、エリトリア、ソマリア、ケニア、ウガンダ、ブルンジ、タンザニア、ルワンダ、セーシェル、ジブチ、ロシアの全土、ベラルーシ、ウクライナ、グルジア、アゼルバイジャン、エストニア、ラトビア、リトアニア、キプロス、フィンランド、アメリカ合衆国のアリューシャン列島とアラスカ、カナダの西州」と史実以上の領域を手に入れる事に成功をしました。
さて余談に来ますが「モンゴル帝国」が「北アメリカへの進出」をしたお蔭で「14世紀の大航海時代」に成ると「北アメリカ」には「独立国家」の「戦国時代」が訪れる事に成りました、その中に「モンゴルの騎兵」の格好をする部族が多々ありました。
そしてもう1つ余談に成りますが「此の世界」での「百科辞典」で「モンゴル」と言う欄には「1・モンゴル共和国2・モンゴル帝国3・2の故事から「部族の纏め役」にて「文化の伝道者」」と言う意味が乗っております。
だから「モンゴル」に行けば「日本食」を食べれますし「日本円」も直接使えます。




