外伝・・イタリア「ローマの遺志は俺が継ぐ」
イタリアは存在自体がネタです。
この世界の「イタリア」は事実の戦前と同じ成らば「イタリア王国」として「イタリア」は存在をしている筈である。
だがこの世界での「イタリア」は統一国家としての「イタリア」は残念ながら存在しませんでした。
大きな理由は史実とは違い「ボナパルト朝フランス(ナポレオンを初代ボナパルト朝皇帝とする)」が長い間まあ、ざっと「60年間」を「フランス」を支配しました。
だから「イタリア半島」は「フランスの影響」を受けましたし、「イタリア半島」自体が隣国の「緩衛国家」としての役割が非常に強く存在をしておりました。
だから「統一国家としてのイタリア」が中々出来るような状況では残念ながらしておりませんでした。
より正確に言えば「統一国家イタリア」が存在すると「他国」から見れば「目の上のたん瘤」以外の何物でも無かったので
「オーストリア帝国やフランス帝国」はいちゃもんを付けて来るので「連邦国家」早い話で言うなら「アラブ首長国連邦」見たいに「王や大統領による合議制」で「イタリア半島」は運営をする事と成りました。
まず何故「統一国家イタリア」が出来る環境じゃ無かったのか上記の「他国の干渉もそうですが」
他の理由としては「イタリア統一運動」の主要的な人物が事実より早死に(より正確に言えばフランス帝国(ナポレオン3世)による暗殺)したり、「イタリア統一運動」を他国(主にドイツ、フランス、オーストリア・ハンガリー帝国)が「妨害(干渉兵を出す)」をしたり
そうした結果として、イタリア半島の王族達は「地域連合」の形で「イタリア連邦」として「盟主」を「ローマ法王」に着かせました。
だからこそ他国からは「ローマ帝国」と揶揄をしました。
これは「プロテスタン諸国(ドイツ等)に対する嫌がらせ目的」で「ローマ法王」を盟主と指せました。
さて、事実とは違う形で「イタリアの統一」をしたこの世界では「合議制」で「イタリア半島」を運営をしなくては行けません。
だから、何が言いたいかは「マフィアと金貸し」が大きな力を持っている状態と成りまして、それらの人間が「イタリアの支配」する事と成って居ります。
もちろん「マフィア」の人々は「シチリア」だけが「マフィア」をしている訳では有りません。
だから、白昼堂々に町で「銃撃戦」をしていても不思議じゃ無い光景と成って居りました。
当然、敗れた「組」は勝った「組み」の軍門に下りますが一部の構成員は他国へと流れて行きました。
さて、時代は流れ第一次世界大戦の年である「1912年」と成りました、「イタリア連邦」は「中立国」に参戦をしました。
大きな理由としては「隣国」の「ドイツとフランス」が同盟を組んでいる以上は「イギリス等の欧州の連合国軍」からの支援が当てに出来なかったので「中立国宣言」を出しました。
そうですこの世界では第一次世界大戦は「1914年」では有りません。そしてこの第一次世界大戦は「1917年」に終戦を迎え事実より1年多く戦争が有りました。
当然イタリアは「独仏」にぼろ負けに成る事は有りませんでした。そして其のまま終戦を向かいました。
こうして、イタリアは「第一次世界大戦中」はドイツとフランスと貿易をしたりして、経済力をつけていきました。
その後「イタリア」は「第1次欧州戦争」時に「フランス共和国」側に着き「戦勝国」と成り「ベネチア」を貰い受ける事に成りました
そして「仏伊不可侵条約」を結び「コルシカ島」の移譲をさせて貰いました。
理由は「フランス」が「イタリア」を「増徴の阻止」をする代償として、「イタリア」は貰い受ける事が叶いました。
そして転生者の「ムッソリーニ」は史実と同様に「マフィア対策」をしました。勿論「マフィアの構成員」はもれなく「リビア送り」と成ります。
結果として「リビア」は史実以上に「イタリア人」の人数が多く成りまして「トリポリ」の人口は「100万人以上」と成りました。
そうして、1938年9月21日に「イタリア連邦」は「ナチス・ドイツ」と「不可侵友好条約」を結びました。
さて、時は流れて「第二次世界大戦」がおこなわれる(1939年)の行なわれる前に「第二次欧州戦争」と言うイベントが「欧州内」で有りました。
此の「第二次欧州戦争」は「アメリカ、ベネルクス連合、イギリス、フランス、ポルトガル、大ポーランド、ビザンツ帝国の欧州連合国軍」が「北欧、東欧、ロシア」の地域を「欧州連合国軍」は物の見事に「ギリシャを除くバルカン半島諸国、バルト三か国、ウクライナ、ベラルーシ、スカンジナビア共同体、ソ連の中央管区、北西連邦管区、沿ヴォルガ連邦管区、北カフカース連邦管区、南部連邦管区」を先ほど述べた「地域在住の老若男女の全ての人間」を尽くを「虐殺、蹂躙、民族浄化、愚民化政策」をしました。
だが「1939年11月」に我らが「イタリア軍」は突如として「欧州連合国軍の全国家」に宣戦布告をして「イタリア軍全兵力」を「欧州連合国支配地域」に進軍をさせま。
その後に「イタリア軍」が「ドイツを除く」周辺国を占領行為を行おうと考えたのかを述べなくてはいけません。
大きな理由として「欧州連合国軍」の兵士達は「ソ連侵攻」を集中をしておりました、だから本国への他国からの侵攻は余り予想をしておりませんでした。
だからこそ、イタリア軍は「ソ連の連合国軍の完全併合」を考えていた「欧州連合国軍」の隙を突く形で「イタリアの影響圏の拡大」並びに「欧州連合国支配地域の占領国 例フィンランド、スウェーデン、ノルウェー、スイス、デンマーク、ルーマニア、ブルガリア、ラトビア、エストニア、リトアニア、ウクライナ、ベラルーシ、アルバニア、ユーゴスラビア」の「欧州連合国軍の占領民族の武装蜂起」を起こさせて
「イタリアの影響力の増大」をさせる為に「イタリア軍」は「欧州連合国軍」に宣戦布告をしました。
此れにより「イタリア軍」は「フランス、スペイン、ユーゴスラビア、スイス、アルバニア、エジプト、アルジェリア、チュニジア、ケニア、チャド、ニジェール、スーダン」への進軍をしました。
何故「イタリア軍」がこの様な行動をしたのかは、「ドイツ軍」と「旧大日本帝国軍」言う存在が有りました。
実は前々から「イタリア軍の軍事力の低さ」は前々から「転生者ムッソリーニ」は思い悩んでおりました。
だから「ムッソリーニ」には「陸軍」を「ドイツ式」にして「海軍」を「日本式」にさせました。
此の世界では「帝政ドイツの崩壊」により「職業軍人のドイツ人」は「プロイセン共和国」でも「ドイツ連邦」でも「軍隊並びに陸軍省、海軍省の廃止」を喰らいました。
だが「転生ムッソリーニ」は「此れはしめたぞ!!」と言う意気込みで多くの「ドイツ軍人」や「大日本帝国の軍人」を「イタリア」は雇用をしました。
そして、軍事力を挙げるべく「ドイツの軍事会社」や「日本の軍事会社」を「リビアやソマリア」に「工場進出」をさせまして「タイガー2号戦車」等の戦車や「大和型戦艦」等を建設を実行に移しておりました。
だから「イタリア軍」は史実以上の「軍事力と軍隊の錬度」を持ち合わす事に成功をしました。
こうして、「イタリア」は「ローマ帝国」の幻影を夢見ながら、「地中海の覇者」と成らんとして努力をしているそうです。
さてこの世界での「ムッソリーニ」の「イタリア国民」からの反応を載せていこうと思います。
彼が史実と同じく「黒シャツ隊」を率いて「イタリア連邦」の首都「ローマ」に対して「黒シャツ革命」を実行をしました。
史実なら「1922年」に行われる筈だったがこの世界では少し遅れて「1924年12月25日」に作戦は実行につきました。
何故「キリスト生誕祭」に行うかは彼らの心情を書いてみようと思います。
「此の日なら多くの人が我々「黒シャツ隊」の行動を驚くだろうし、何より我らが行動により「イタリアの安寧」をもたらす物だと言う」まあ身勝手とも取れる行動をしました。
彼がクーデターを行った理由は2つ有りました。「1つは真の意味での「イタリアの統一」」、「2つ目は「シベリア出兵」や「第1次欧州戦争」の「イタリア」の戦線離脱」を目的とした理由が上記の「黒シャツ革命」に繋がります。
そして「ムッソリーニ」率いる「統一イタリア」は「イタリア半島」の統一化を進めて最終的には「ローマ法王」から感謝状を貰い受ける事と成りました。
そして多くのイタリアの社会の教科書には「統一イタリア」の行動を19世紀に「イタリア半島の統一」に尽力をした人達の無念が「黒シャツ隊」に繋がるんだよと先生が生徒に言い聞かせています。




