表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
35/127

外伝・・トルコ「砂漠の盟主」

 オスマントルコの歴史は事実とは大分違う歴史を辿っています。

 まず、「トルコ」と聞けば「読者の方々」何を思い浮かべるだろうか?有る人は「イスラム教国家の先進国」又は「地震が多い国」又は「イスタンブール」等と答える人が出て来るだろう。


 さて、この世界の「オスマン・トルコ」は「転生者」と言う名の「馴らず者」がこの国の本来辿るべき道を無茶苦茶に引っ掻き回した。


 さて、この世界は「1850年代のクリミア戦争」は残念ながら発生をしていないので「露土」の間は緊張状態と成っていませんでした。


さて此の世界では「オスマン帝国の皇帝」が「転生者」でした。当然「オスマン帝国皇帝」の「前世」は「日本人」でした。


それで「オスマントルコ」の「転生スルターン」は「国力の増加」と「民族反乱による「他国の軍事介入」の阻止」この2点に対して積極的に行動をしました。


さて「転生スルターン」は巷では「マフムト2世」と言われる方でありました。


 それで、「転生者のマフムト2世」(以下スルターン)は「ロシア帝国のアレクサンドル1世」に「不可侵友好条約を結ぶたい!!」と言いだしました。


さて此の「アレクサンドル1世」は18世紀初頭の「ロシア皇帝」でした、だからこの提案をしたのは大体「1810年代」と思ってくれて構わない。


 当然「アレクサンドル1世」は「何でだ?まさか彼も転生者なのか?」と言う状態と成りました。


さて此の「アレクサンドル1世」も「前世が日本人」でした、まあ余談に成るが彼は「欧州」とはある程度距離を取り「イスラム圏内と江戸幕府」と仲良くやっていました。


 当然の話ロシア帝国の重臣たちは「こんな不可侵条約を結べるか」と言う状態に成りました。


 何しろ「オスマン・トルコ」の首都は「イスタンブール」で有るが「イスタンブール」は元々「ビザンツ帝国」の首都の「コンスタンティノープル」から奪った土地で有る。


 そして、今の「ロシア帝国」は精神的に「ビザンツ帝国」の「遺志と精神」で成り立っている国家である。


 当然の話で「フザケンナ!!このケバフ野郎」と言ってロシア人が納得いく訳が無いのも納得が行くのである。


 さて、「アレクサンドル1世」は「イスタンブールと欧州支配地域を「属国の連邦国家」として認めろ、替わりにロシアの「中央アジア」の地域を「属国」と言う形で連邦国家として「独立」をさせて遣る。」


 と事実では絶対に有り得なかった「露土友好交換条約」と「露土不可侵条約」を結ぶ事と成りました。


 さて世界ではこの調印場所から「イスタンブール条約」として語られる事と成りまして「欧州」の世界では「ロシア」の「巧みな交渉術」と「イスラム諸国」に媚を売った「欧州人の恥」と陰で言われてしまい


「西ヨーロッパ諸国(カトリック諸国)だが「フランス及びプロイセン、神聖ローマ帝国」は除く」では「フザケンナ」と「ロシア帝国の「アレクサンドル1世」は悪魔に魂を売りつける気か!!」等の「罵時雑言」の意見が非常に多かったです。


では何故「フランス」だけは上記の「馬事雑言」を言わなかったのでしょう?答えは非常に簡単で「土仏友好条約」を結んでいました。


又何故「ドイツ勢」は「ロシア帝国の行動」を許したのでしょう?答えは簡単です。


「ドイツ勢」は「モンゴル帝国時代」に不可侵条約を直々に結んでおりました、だから「ロシア帝国」のした行動は何ら特別な感情を持ち合わせていませんでした。


さて余談に成ってしますが此の世界では「ナポレオンのエジプト遠征」は残念ながら存在をしておりません。


その代わり「モロッコ」に「フランス帝国」は侵攻をしました、其れにより「アラウィー朝モロッコ」は敗れて「フランスの保護国」と成りました。


だから「フランス軍」はその兵力を「ロシア帝国やオスマントルコ影響圏の欧州地域」と仲良くしたり「アフリカ植民地」や「アメリカ植民地」の梃入れに費やしました。


 さて、転生者の「マフムト2世」は次に「イスラム連合」の樹立を着手する事と相成りました。


 それで、「マフムト2世」はオスマン・トルコに帰順をしている「アラブ王族、及びオスマン帝国領の「北アフリカ諸国」の族長」に対して「イスラム連合」の必要性を語りながら、条件付きで「オスマン・トルコ」から独立をする事を承認をしました。


 さて、条件とは何かを以下の通り書いて見ます。


 1つ・・「アラビア連合」に加盟を絶対にする事を条件に「自治国家」として独立を認める。


 1つ・・「連合」内の「加盟国同士」は戦争をしてはいけない。


 1つ・・「加盟国」同士の王族や一族外の結婚は「オスマントルコ政府」に事前に伝える。


 1つ・・「加盟国」以外の国家に対しての「同盟及び外交」は「オスマン・トルコ」に事前に伝え、「一国家の名の元」では無く「アラビア連合の名の元」として外交をする事


 1つ・・「加盟国」が他国(イギリス、フランス、イラン)と戦争が残念ながら起きた場合は「中立宣言」をする事も許可をする。


 1つ・・「加盟国」内では「教育機関」で「現地語とトルコ語」を教える。


 1つ・・「加盟国」での「軍隊」は基本的に「郷土防衛隊」と言う名目でなら「独自指揮権限持つ軍隊の保持」を許可をする。


 1つ・・全「加盟国」内では共通の「通貨」を使う事  


 以上7つの条約を一でも破る加盟国は「懲罰戦争」を行う事を「別の加盟国」認める事を誓う。

 」

 と言ってイギリスやフランスに戦争を付け要る隙を減らすのと「民族の反乱」を口実の「他国からの懲罰戦争」未然に防ぐために「アラビア連合」を作る結果と成りました。 



さて、時は流れて「第一次欧州戦争」だと思ってくれれば有りがたい、この世界でも「敗者」となった「オスマン・トルコ」は「アメリカを主導する連合国」に「オスマントルコの解体」と「イスラム連合」の解体を申し付けられました。


此れにより「オスマン・トルコ」が指導者としての地位を捨てられてしまう挙句に「イスラム連合加盟国」は仕えたくもない「欧米列強」の言う事を聞かなければならないので「暴動」が多く行われました


 勿論の事「アラビア連合」は不服の気持ちがいっぱいに溢れて要るのは「火を見るより明らか」の状態であった。


 だからこそ、当然この世界では「反英、反米感情」は強いと思ってくれれば有りがたい、早い話で述べるなら「現代の中東」の「反米テロリスト」と同等かそれ以上に「反米感情」が強いと思ってくれればいい。


 だが、この世界の「パレスチナとイラク」はこの戦争中は「終始一貫して「中立」状態」だったので、イギリスの「3枚舌外交」は不発と終わってしまいました。


 さて、第二次世界大戦ではトルコは史実では「中立」で有ったが此方の世界では「枢軸国」として参戦をしました。


 参戦理由は「イスラム連合の復活」と「イギリス帝国への復讐」そして何より「トルコ共和国」が掲げたのは「イスタンブールの奪還」でした。


何故「トルコ共和国の首都」の「イスタンブール」が他国に取られてしまった背景を述べなくてはいけない。


此の世界の「ギリシャ」が「第1次欧州戦争末期」に「オスマン帝国の首都」で有った「イスタンブール」を占領をして「ギリシャの新首都」としてしまいました。


此れにより「ギリシャ王国」は「イスタンブール」を「コンスタンティノープル」に変えて自身の「ギリシャ王国」も「ビザンツ帝国」と改名をしました。


さて、第二次欧州戦争の際に「ビザンツ帝国」は「バルカン諸国の併合」を行いました。


此れにより「ビザンツ帝国の範囲」は「ルーマニア、ブルガリア、ユーゴスラビア、アルバニア,モルドバ」を占領下に置かれていました、だから「ビザンツ帝国」はこれ等の地域の「ギリシャ化と原住民の弾圧並びに浄化作戦」を実施をしたそうです。


これは余談に成るが此の「ビザンツ帝国」と言う名前は「第2次世界大戦」の「1941年8月21日」の「大ドイツ連邦とトルコ共和国」の「ビザンツ侵攻」により消滅をしました。


其れで「トルコ共和国」は「首都」を「アンカラ」に移す事に成りました。そして「トルコ共和国」は「第二次世界大戦」の後に又「イスラム連盟」を作り「そこの長」して活躍をしました。


さて此方の世界でも「日本」に対しての感情は其処まで酷い感情は存在をしておりませんでした。


理由を述べると「第1次世界大戦」の際に「敵国」でしたが「直接」戦いませんでしたし「大日本帝国」は「帝政ドイツ」と「フランス」には「宣戦布告」をしていましたけど


「オスマン・トルコ」には「宣戦布告」をしておりませんでした。そして「第一次太平洋戦争」の時に「イスラム系兵士」に対して「虐殺的行為」はしておりませんので、だからこそ「対日感情」は其処まで酷く有りませんでした。




さて「クルド問題」はどうなったのと言う問題が出て来るだろう。


 早い話に最初の「アラビア連合」の結成式の声明時にスルタンが「帰順した族長」に対して以下の声明をした。


 「クルド人にも土地を与えなければ「欧州」の外道共に我らの「アラビア連合」に対して攻め入る口実を作られて仕舞う、だから「クルド人」に土地を分け与えくれ」と言ったら「事実のイラクのクルド自治区」を「クルディスタン共和国」として「独立」をしました。



さて「オスマン帝国と大日本帝国」のこの世界での関わりを述べていこうと思います。


史実の世界では「エルトゥールル号遭難事件」が「日土関係」に大きな「友好関係」を築くに至りました。


さてこちらの世界での「日土関係」を築く事が出来た理由は史実との何の因果なのかは知らないが「エルトゥールル号」がきっかけと成ったのである。


この世界での「日本」は「大日本帝国」が史実より「10数年早く」それよりも「日本人転生者のテコ入れ」も存在をして「大日本帝国」は順風満帆な「国家運営」をしました。


さてそうこうしている内に「大日本帝国」の「当時の外務大臣」で皇族の「北白川宮能久親王」が「日土友好条約」を結ばす為に「イスタンブール」に向かわせました。


この時代の「大日本帝国の内閣」はまだまだ一市民が大臣を務める事は早々できませんでした。


だから「閣僚の大臣」に成られる人達は「大大名家の当主か皇族か貴族家」の人達しかなれませんでした。


其れで「オスマントルコ」はその時に「その時海軍の軍事演習」をしていました。その「海軍の軍事演習」で「エルトゥールル号」も「軍事演習」をしましたが不運な事に「沈没」をしかけました。


その時に「大日本帝国」の使節船が「エルトゥールル号」の船員を助け出しました。


この「エルトゥールル号沈没事件」は「1873年7月26日」に発生をして残念ながら「エルトゥールル号」は史実より「20年」も早く沈没をしてしまいました。


こうした縁で「日土友好条約」が結ばれる事と成りました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ