外伝・・・ポーランドのその後 「受難のポーランド」
国家のその後も書いて見たくて、載せて見ました。
まず、「ポーランド」の名前の語源は日本語に直すと「平原」と言う意味と成る。「ポルスカ」ポーランドら来ているらしい。まあ、うろ覚えな感じなんだけどな訊ねるだが、「民族学」の観点から見たら「スラブ人の派生」見たいらしい、「スラブ人」と言うのは「一般的なロシア人」や「ベラルーシ人」等が「スラブ人」と言うらしい。
だから「ポーランド人」は決して「ドイツ人」では無いのである。ドイツ人は「ゲルマン民族」で有り「アーリア人種」で有るから、「ポーランド人」を「ドイツ人」と間違えては行けないので有る。
この世界での「ポーランド」は史実なら「第1次世界大戦」の後に「ポーランド第2共和政国家」として「独立国家」として存在が出来ました。
さてこの世界での「ポーランド」は史実の世界より早く「独立国家」して「1868年」に独立が叶う事と成りました。
さて「ポーランド」の独立が早期に実現を可能としたのは「ドイツとロシア」の転生者が大きな原因として上げられます。
さて簡単に理由を述べと「両国の緩衝地帯とポーランド人の反乱阻止」が大きな理由で有った。
替わり「ポーランド」は両国共に「不可侵条約」を結びました。そして「髑髏不可侵条約」もこの「ポーランド独立」と同じ年に結ばれました。
さてこの世界では「大国の緩衛地帯」を作りたがる傾向が有りました。どうして「緩衛地帯」を作りたかったかは「軍備の削減」と「兵力の分散阻止」が大きな役割があると私である筆者はそう思います。
さて大分話が剃れて仕舞う事と成ったが、この世界の「ポーランド」は多くの読者は「独ソによる東西分割占領」と言う事は無くて「ドイツ国〔大ドイツ連邦〕による単独の併合」と成りました。
だが、「ポーランド人」の受難は生易しい物では有りませんでした。当然「第二次世界大戦」の原因を作ってしまい、周辺国から擁護をされる事を残念ながら無かった事により、「ポーランド人虐殺」は見て見ぬ振りをされています。
当然の事「ポーランド回廊」のドイツ人を虐殺した事により「ドイツ人」の怒りは最頂点に達してしまいました。
当然、「ポーランド共和国」と言う物はドイツ人の怒りの前に成す術も無く「ポーランド共和国」は消滅の運命と成った。
そして、肝心の「ポーランドの土地」はどうなったかと申しますと「ドイツ人の入植」と言う事と成りまして結果として、新たな雇用と成る事が叶いまして「ドイツ」の景気はウハウハ状態で有る。
当然の事「ポーランド人のその後」と言う物を書かなければ、行けないようだ。
それで、多くのポーランド人は「ポーランド共和国」で「4等ドイツ人」として、「在独ユダヤ人(ユダヤ人は3等ドイツ人)」より「冷や飯食いの憎くまれ役」状態で有りる。
又「スラブ人の恥さらし」として「ソ連」に住んでる「スラブ人」からも差別され続けられました。
それで、多くのポーランド人は「旧ポーランド共和国」から去りまして「ソビエト社会主義共和国連邦」や「満州合衆国」へと「難民」として、定住化と成りました。
又、何故か知らないが「大日本帝国」に「ポーランド共和国亡命政府」が存在をしていて要る。
当分の間は「ポーランド人」による「ポーランド共和国」は当分の間は無理の様である。
それで、日本政府は「ドイツ政府」対して「在日ポーランド人(難民としての)と臨時ポーランド共和国政府」に対しての扱かいはドウすれば良いのかと訊ねる事となりました。
そうして、帰って来た答えは「ポーランド政府と一緒に(ナチスドイツ)を批判しなければ、在日ポーランド人は好きに扱え」だそうです。
こうして、在日ポーランド人は年々増え続けて行き「千人に1人はポーランド人」が当たり前の日本に成っています。
その多くが「樺太や択捉以北」である。その何故「ポーランド系日本人」が上記の地域にいるかを書かなければいけない。
実の事を言うとこの世界では史実より20年早く「太平洋戦争」が行われていた理由は「第1次世界大戦」と「シベリア出兵」である。
そして第2次世界大戦の時「ポーランド」は「大ドイツ連邦」にぼろ負けをしました。
其れでポーランド人は「アメリカの統治下」に置かれていた「樺太や択捉以北」の島々に亡命をする事と成りました。
こうした理由が「ポーランド系日本人」のルーツに成っております。だからこの世界での「ポーランド」は残念ながらこの世界の現在に成っても「ドイツ領」のままであり「亡命ポーランド政府」が「北海道 札幌市」に存在をしています。
だが何故同じ「スラブ系」の諸国「ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、スロバキア等」が「裏切り者」と罵るのだろうか?
その理由を書かなければいけません、この世界でのポーランドは早い時期から「アメリカ軍」を自国内に駐屯させたり、「ポーランド回廊内ドイツ人虐殺」や「東プロイセンの占領」挙句の果ては「アウシュビッツ強制収容所」で「ドイツ人とロシア人」を「虐殺」をしました。
だからこの世界の欧州で「ポーランド共和国の併合」を叫ぶ国何て残念ながら存在しません。
「じゃ「北欧諸国」や「スイス」なら助けるんじゃないの?」と言う意見が出てくるでしょう。
残念ながら「北欧諸国」も助けようとはしませんでした。理由はポーランドは「対ソ連戦」で上記の「スウェーデン、ノルウェー、フィンランド、バルト3か国、ウクライナ、ベラルーシ、ロシア、カレリア(この世界ではカレリア共和国)として存在をしている」に侵攻をしたので「北欧諸国」も総スカンをさせてしまっています。
だから「北欧諸国も中央ヨーロッパ、スラブ諸国」も「ポーランド共和国」の存在を認めようとは未来永劫有り得ません。
さて「第一次欧州戦争」から「第二次欧州戦争」の間の「ポーランド共和国の領土」は「史実の世界の現在のポーランド領」に加えて「ロシア連邦のカリーにんぐぐらーど」並びに「西ウクライナ」を領土に収めておりました。
そして史実の世界とは違い「第一次欧州戦争」で「リトアニア共和国」は「中立政策」を取っておりました。
だからこそ、史実と呼ばれた世界の「帝政ドイツ」が「クライペダ」又は「メーメルブルグ」への侵行という事態は起こりませんでした。
だが此の「メーメルブルグ」も「ポーランド領」にこの世界では成りました、そして「西ウクライナ」は「第1次欧州戦争」の時には「周辺国」により独立を保証をされておりましたが「第二次欧州戦争」の際に「西ウクライナ」は「ポーランド軍」に制圧をされました。