表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

恋する少年少女の頭の中に春一番が吹くと概ねこうなる。

作者: 井口亮

メタ表現が嫌いな人には抵抗があるかもしれません。


読んだあと、すっきりできるように作ってみますた。

 春の陽気はどこかおぼろげで、気がつけば夏に変わる程短い。

 それが春だったと言われるまで気がつかず、また、春だったからといって何か特別な感情を思い浮かべる訳でもない。

 朝に立ち寄る駅のキヨスクに桜餅が並ぶ程度が俺の春で、別段、春に何かを期待することの方がどうかしている。

 謎の少女と駅で遭遇して、それが転校生だった。

 なぁんてのは、「ラブコメ」をテーマにして「駅」「春」「謎の少女」のキーワードで書けと言われた短編小説の中の甘い妄想くらいで、現実はそう甘くない。

 それに、そのテーマで書くとしたら砂漠の監獄惑星で頭の中が春爛漫な政府の秘密を握る謎少女とラブコメ繰り広げる列車強盗の話を書くぐらいじゃないと今時、誰も手に取って読みゃしない。少なくとも、僕は読まない。


 「幸薄そうなあなたに、三分間だけ祈らせてください」


 降りた駅のキヨスクで登校前に漫画を立ち読みしてたら外人に祈られた。

 これが現実の「駅」「春」「謎の少女」だ。頭が春爛漫ってところだけさっきの監獄惑星ラブコメと被ってる。

 春になると電波監理局は仕事をするべきだし、駅は余計な出会いを演出するより切符を切るべきだし、両親はこの子をきちんと保護するべきだし、こんな子とは間違ってもラヴコメをしたくない。

 金髪の可愛らしい顔立ちをしているが、その頭の中には脳味噌が、そして、その脳味噌には宗教か、電波を発するアンテナが詰まっているのだろう。

 そういえば、今日はエイプリルフールだった。

 律儀に常識までもが揃って嘘をつかなくてもいいのに。嘘をついてもつかなくてもいい自由というのが存在することを、今度、こっそり教えてあげよう。


 「私、何か間違ったですかね?」


 むしゃくしゃした僕は駅のコインロッカーにその少女をしまいこむとそそくさと学校へ向かった。



 最近のコインロッカーの値段は高いもので大きなものになれば五百円も取られる。

 裕福な家で育つ高校生ならそのくらいの額はたいしたものではないのだろうが、あいにくとうちの家庭は裕福ではない。

 いつの間にかポケットに入っていたコインロッカーの鍵でコインロッカーを開けてみる。

 最近は空間と時間にまで値段がついているらしく、大概のコインロッカーは飲み込んだ硬貨を返してくれない。

 だけど、今時まれに見る親切なコインロッカーで五百円を返してくれた。珍しい。


 「あなたを幸せにします。結婚してください」


 さらに、嫁までくれた。珍しい。

 僕はそのまま交番に向かい事情を説明してお巡りさんにお嫁さんを預けてきた。

 酒と煙草と嫁は成人になるまでやっちゃいけないのだ。

 しかし、犯人は一体、どういう心境でこの少女をコインロッカーに放置したのだろう。とてもムシャクシャしてたに違いない。

 経済的に家庭という単位が自立し、他者との関わりが無くても支障の無い現代社会は他者の介入を拒む。

 その末路に一人の少女が泣くことがあってはならない。

 僕は決して、そんな大人にならないことを誓う。だが、まだ未成年だからいいのだ。

 そうして、溜息をつく。

 うん、春だ。



 「おかえりなさい、春雪。ご飯、できてますよ」


 家に帰ると父親と、母親と、嫁が迎えてくれたよ。

 警察に預けられた彼女が何故自宅にいるのか父親と母親に問いただしてみる。

 僕はこのときまですっかり失念していたのだが、僕の父親は警察官でそういえば彼女を預けた交番に居たお巡りさんだったのだ。

 保護者を必死に捜索したが見つからず、警察署に泊まらせるわけにもいかずしかたなく自宅に連れてきた。

 そういう話らしい。

 だが、実際にはそんなご都合主義な話は今時のライトノベルや漫画くらいなもので、さらに言わせてもらえれば僕の父親は自動車の販売員で、母親は歯科衛生士で警察官は全然関係無い。

 このような電波さんが親戚に居るなら忘れないだろうし、両親の関係者で今日から家にホームステイとかそういった答えをほんの少しだけ期待する。

 だが、さすがに現実は現実らしく、両親は僕の少し変わった友達だと思って僕が帰ってくるまで家の中で待っていてもらったらしい。

 僕は両親に友達が居ないことを強く主張し、少し自分で自分が可哀想になる。

 そんな自己憐憫とは関係無しに問題は目の前にあるわけで、結果、彼女はどこの誰なんだという点で久しぶりの親子喧嘩をした。


 「春雪さん、喧嘩するよりご飯にしましょう?」


 そして、だいぶ遅れたが僕の名前は春雪。ではない。


 「お味噌汁、冷めてしまいますよ?アース」


 ましてや中学二年生の妄想勇者や、家電製品の接地線でもない。

 彼女は可愛らしいウサギのプリントアウトされたエプロンにキッチンミトンと、普段の生活では面倒臭くて絶対使うことのないような物を着用し配膳をすませる。

 争いの興奮冷めやらぬぎくしゃくとした雰囲気の中、配膳された飯を食いながら母親が脳天気にブリの煮付けが美味しいと脳天気に舌鼓を打つ。

 常識的な父親は彼女に住所、氏名、年齢、電話番号を尋ねるのだが、彼女は


 「あなたは私の何様のツモリですか」


 怒り出す父親に逆ギレしてみせて、僕が頼んでもいないおかわりをお椀によそう。

 ちなみに、その人が誰様かとお尋ねですがその方は家主様で君がよそっているご飯を買うお金を稼いでいる人にございます。

 母親が褒めていたとおり、煮付けはとてもおいしく彼女がよそった二杯目のご飯も軽く平らげた。

 だが、これはブリじゃなくて、どう見ても豚の角煮だった。

 多分、僕の聞き間違いなのだろう。豚とブリ。ありえねえ。

 僕と父親は二人で久しぶりに親子の会話をした。

 彼女は一体、どこの誰なのか?

 論点はそこにつきた。そのうち、僕の普段の素行がどうとか関係の無い話までされるが、僕は適当に相づちを打ち、反発をし、最後に悪態をついて部屋に戻る。

 母親は退屈らしく、彼女と洗い物をしながら今度、カラオケにいこうとしきりに誘っていた。三十回を超えたあたりで僕も数えるのを止めたし、親父に話を聞いていないとこっぴどく怒られた。

 部屋に戻り、本日出された課題に取りかかり、授業の予習復習を終え、適当に風呂と便所を済ませると布団に入る。

 何かを期待された人がいるだろうが、彼女はやっぱり警察に預けるべきだと意見が一致して、一一〇番通報しパトカーでどこかに搬送された。現実的なオチとしてはやっぱりそれが妥当なのだ。

 僕はお気に入りのタオルケットの中で眠ることにする。無論、一人で。

 それが現実の日常ってもんでしょう?

 ああ、春だ。




 「はじめまして、外国から来たエイプリルです。気軽によっちゃんと呼んで欲しいな?」


 翌日、登校してみると教室に彼女が転校生としてやってきた。

 だが、担任教師の当惑ぶりを見るところによると転校生ではないのだろう。


 「私、伸彦の隣がいい」


 クラスメートが唖然とする中、彼女は僕の隣を指し示す。

 僕の隣には本当のよっちゃんがいるし、その更に隣には沢田伸行君が居る。惜しいな、一文字違いだ。

 そして、彼女は当然、伸彦という名前ではない僕を腰で押し、一つの椅子に半分だけ尻を載せ


 「しょうがないから、あんたの教科書、借りてあげる」


 少し、恥じらいながらそう呟くもんだから彼女を窓から放り投げちゃった。

 ツンデレ、というのだろうか。最近の流行らしいが、普通に見ず知らずの奴にあんなこと言われてグラっとくる奴の気が知れない。

 グラッとくるよりイラっと来た。

多少、普段の日常と違う光景があったものの授業は通常通り滞り無く進められた。

 クラスメートに彼女は一体誰なんだと腫れ物に触るように遠回しに尋ねられる。

 現実問題、いくら可愛いとはいえ奇人変人とはおつきあいしたくは無い。

 興味があっても、距離は取りたい場合、皆、遠慮がちな質問をするのが普通の反応だ。

 僕は奇人変人の類だから気をつけようとクラスメートの防犯意識を高めた。




進路希望調査に進学と書き、大して本気で打ち込んでいる訳でもないクラブ活動に勤しみ下校する。


 「置いてくなんて酷いよぉ!ずっと待ってたのにぃ」


 あからさまに僕の進路上から現れたそいつは泣きながら僕の腕にしがみつくもんだから柔道部で鍛えた払い腰で投げ飛ばす。

 最近運動不足なものだから、走って駅までつくと切符の自動券売機の前で当惑している外人が居て僕を方を目を潤ませて見つめているから、所携の定期券で華麗にスルー。

 便意を催しトイレに駆け込みスッキリしてホームに戻ると、ホームで僕の隣に立ち、柔らかな笑みを向けてくる外国人を帰宅ラッシュで混雑する電車に無理矢理押し込み次の電車を待つ。

 次の電車で普段、通学に使う駅のわざわざ一つ前の駅で降りるが改札口でそわそわしている外国人を見つけてやっぱり普段と違うことをしてはいけないと電車に戻る。

 ようやく駅に着く頃には日も暮れていて、駅前で路上ライヴをしている外国人がマイクパフォーマンスで


 「私は、たけるが好きだよぉっ!」


とシャウトしてるが人違いなので他の人の痛い視線をかいくぐり自宅に戻る。

 彼女も二日目になると図々しいもので


 「お邪魔します。今夜もちょっと、泊めてください」


 と常連のようなことを言うようだから、家の鍵を閉める。

 戸締まりはきちんとしないと不審者が入ってくるのできちんとかける。

 郵便受けから針金、俗称サムターン回しが入ってきたから、それも取るし、ガチャガチャと鍵穴をひっかく音がして鍵が開くけど元に戻してチェーンをかける。

 輪ゴムとクリップで鍵のノブを固定してなんとか事なきを得るとリビングの窓から庭でキャンプ道具を広げる彼女が見えた。

 キャンプ道具はうちの物置から引っ張り出してきたらしい。

 流石に、どんな人でもこれだけやられると怒る。特に僕の父親が。

 父親にしつこく事情を聞かれるが僕はたじろぎながらもわからないと力説するしかない。

 それとは関係無しに韓国ドラマのDVDを笑いながら見ている母親が恨めしい。

 やがて、父親の怒りの矛先は僕ではなく無関心な母親に向かう。

 小心者の父親に比べ、母親は肝っ玉が据わっている。子供の頃に何故父と一緒になったのかと尋ねたら、父のような小心者は母のような人が面倒見てやらなければならないからだと幸せそうに笑って言っていたのを思い出したが、どうでもいい。

 そんな小さい頃の思い出はキャンプファイヤーをはじめた彼女の奇行に三秒もかからず色褪せる。

 慌てて飛び出し、消火活動に父と勤しみ、彼女に奇行の理由を問いただす。


 「流石にまだこの季節は夜寒いんです」


 言われてみればまっとうな理由だったがそのまま警察に通報する。

 やっぱり今夜も警察官がやってきて、彼女を連れて行く。

 付近の住民の好奇の視線がパトカーに集まり、彼女はすごすごと連れてゆかれる。




 ずっと黙っていた訳ではないが、僕は受験生なのだ。

 とはいえ、有名大学に入りたいとも思っていないし、そこそこのランクの大学に入れればそれはそれでいい。

 父親は不満を漏らしていたが、母親はあんたは駿台くらいが丁度いいと現状維持に満足。だが、母よ。世間一般様は駿台に合格した大学生を浪人生と言う。

 とはいえ、勉強はしておかなければ成績も落ちるし受験に響くのでそれなりの努力で現状を維持する毎日だ。

 母の言う駿台に通う僕の隣の席には今日は珍しく外国人が座り


 「一緒に東大行こうね?」


 なんて言うものだから今日の講義は全部ブッチしてゲーセンで遊んで帰る。

 つぅか、ストーカーでもここまでやらない。

 何度も警察を呼べば近所に変な噂を立てられるので、というより、もう既に立っているのでこれ以上彼女と衝突するよりかは、家の中に隠してしまう方が得策と両親は考えるようになった。


 「お風呂先に頂きましたです!」


 お粗末様でしたと応えてやりゃいいんだろうか?

 湯上がりパジャマ姿で人の家を闊歩する姿は、図々しいというよりは堂々としており、最早、清々しくもある。

 最初の方こそ父親は彼女に対して色々質問を繰り返したが、曖昧に返されるばかりで要領を得ない。

 最近は疲れてきたもので、父親もこの変な介入者について何かを言う気力を無くしていた。母親だけがアホみたくフレンドリーに彼女に接し、またしつこくカラオケに行こうと誘っている。

 僕は自室の鍵を閉め、ヘッドフォンをして音楽を聴きながら勉強に勤しむのだが、今日は部屋の前からヘッドフォンを叩き壊すような大爆音が響く。

 慌てて部屋を飛び出すと廊下で外人が


 「バンド、やろうです!」


 とか言うもんだからにっこり笑ってグーパンチ。実は昔、僕は空手をやっていたこともあるから水月を直突きで二連。残心も忘れない。

 アンプとかスピーカーとかどこから持ってきたのか疑問に思ったがどうやら母の物だったらしい。

 何でも母親は学生時代にバンドをやっていてインディーズでCDまで出してそれなりに有名になったそうな。

 プロまで後一歩というところで、メンバーが万引きで捕まってそのまま解散というまあ、世の中こんなモンだろうというものを教えてもらった気がした。

 それはそうと、母よ。予備校の代々木ゼミナールのパンフ貰ってきたと差し出したそれは代々木アニメーション学院のパンフレットだ。間違えるにも、程がある。

 残念だが僕には漫画を書く趣味や、アニメーターや声優になりたいという動機が無い。


 「あぁえぇいふへほわお~」


 彼女は面白そうにそのパンフレットを眺めて発声練習をしているが声優にでもなりたいのだろうか?諦めろ、滑舌が悪すぎる。

 今夜ばかりは父親も無関心を決め込んで、リビングで新聞を眺め、母と彼女のお喋りがうるさくなると自室に引っ込んだ。

 僕も勉強をするために自室に引き込んだが、最早、どうでもよくなって寝ることにした。


 「おやすみです」


 気分転換に布団をベランダに干すことにした。夜だけど。




 結局、彼女についてはどこの誰なのかはわからない。

 最近は母の職場でアルバイトをはじめたらしい。

 何でもそつなくこなすと評判で、さらに前借りした給料から食費やら光熱費を母に払うようになった。

 家に身元もわからない子を置いておくことを容認する態度に父親は母親に大声で怒鳴りつけたが、母親が久しぶりに逆ギレして父親をやり込めていた。

 結局、感情をぶつけあう喧嘩の多くが結論を曖昧にしたまま終わるように、この件についても曖昧なまま終わってしまった。

 完全に居座ってしまった彼女が風呂からあがってそのまま僕の部屋に来て漫画本を読みながらベッドに転がる光景を見る頃に、ようやく、僕は違和感を覚えた。

 一体、どこの誰かわからない彼女が馴染んでいる。

 この先を想像してみよう。

 僕や父親については今のところ、彼女に対して空気のように接している。

 母のように柔軟な思考は持ち合わせてはいないだろうが、これが現状となってしまった今、次第に空気として扱う方が難しくなってしまう。

 そうなるとだ、次第に僕も父親も態度を軟化させていかざるを得なくなる。

 そうなれば、逆に彼女が居ることが日常の景色となる。

 ひょっとすると、彼女は――


 「ようやく、気がついたですね」


 彼女は僕の方に笑みを向けて言った。


 「私はね、宇宙人なのです。こうやってあなたの『日常』を乗っ取ってゆく」


 僕は初めて、彼女に恐怖を覚えた。

 彼女の笑みとともに細められた目が、手元に落ちる。


 「という設定のこの漫画、面白いですよ」


 そして、窓から叩き出した。




 家に馴染むまで考えることが無かったが彼女は全くもって『謎の少女』だ。

 容姿について初めて触れるが、金髪に淡く茶色がかった瞳。

 とはいえ、顔の輪郭等は日本人のそれと酷似している。流暢に日本語を話すことから日本人と外国人のハーフなのだろうか。

 最初の頃こそ、学校の中まで侵入してきたが、後日、もっぱら出会うのは『駅』のみだ。

 母親の職場での就業時間と移動手段から得られる行動範囲を考えると、ここで僕を待ち伏せするのが最も効率が良い。

 しかし、そこで何故、僕をこう執拗につけ回すのか。

 駅から家に帰る途中の道で彼女が答えた。


 「……あなたが、目覚めを待つ第82番目の能力者だからですよ」


 随分と半端でどうでもよさげな順番だった。

 僕は当然のように無視を決め込み、再び思考に暮れる。

 彼女は一見、何も考えてなさそうに見えて実のところしっかりと考えて行動している。


 「よくアニメとかであるお風呂に浮かべる黄色いアヒルの人形って何処の玩具屋にも売ってないですよ。そもそも存在しないのではないかと町中の玩具屋を漁ったですよ。ところが、そもそも玩具屋自体がなかったです」


 考えて行動していると、思う。

 現に、先ほど見せたように人の思考を読んだ上で、訳のわからないことを言う。

 すくなくとも、常識を持つ人間が現状でどのように思考するか判断できるだけの常識を知識として持ち合わせている。

 また、環境に溶け込む際にも最も柔軟性を見せた母親と積極的に接し、父親との接触を極力避ける。

 多分、今は社会的に責任も無く、身元不明の少女に馴染んでも全く問題の無いであろう僕をこの非日常に馴染ませるためにアプローチをしているのだろうと推測できる。

 最初こそ、無理な押しかけを繰り返したが、今は生活するに当たって金銭的なしがらみを家に生活費を入れることによって取り外している。

 整然と、整理して考えれば彼女は非常に考えて行動している。

 つまり、彼女はアニメ設定のトンデモ少女とかじゃなくて、地に足のついた現実にいる人間の一人ということになる。

 そして、考えれば考える程、何故、このようにしてまで、こんなことをするのかがわからない。

 彼女は僕に笑いながら言った。


 「春ですから」


 理由になってねえ。




 異常は慣れてしまえば、何のことは無い日常と化す。

 だが、かといって疑問が残らないかといえばそうではない。


 「お義父さん、お醤油取ってください」


 サンマの塩焼きに醤油をどばどばとかけて白米をほおばる彼女に、僕と父親は諦観にも似た感覚で普通に接しはじめるが、疑問が解決しないことには納得がいかない。

 つぶさに観察を続けると、彼女の視線もこちらを観察し、敏感にその温度を察しているようだ。

 時機を見計らい出している。

 母親はそこにはあえて触れないようにしているのだろうが、それはひねくれた見方をすれば傲慢で、素直に取れば優しさ。だが、母親にとってはどちらかというと、どうでもいいこと。

 つまり、理由だ。

 オレオレ詐欺の実行犯はお金が欲しいから詐欺をするし、クラスの女子は美しくなりたいからムダ毛を処理するし、男は溜まるからエロDVDにドキドキする。

 理由があるから行動するし、行動するには理由がある。

 純粋に僕が好きでこの家に転がり込んできた。なんて自惚れた想像で理由をカバーできる程、現実というのは簡単じゃない。


 「ちょっと、聞いて欲しいです」


 彼女が理由をぽつりぽつりと語り出す中、僕は現実が意外と簡単なことに気がついた。

 理由が無いから納得いかないというのは、理由があれば納得してしまうということでもあるのだ。


 「……私の家、少し問題があって家に帰りたくないですよ。パパさんやママさんには申し訳ないですが、もう少しだけ、ここに居させて欲しいですよ」


 彼女は断片的に、家に帰れない事情を語り、本当に大事なところを伏せた。

 なるほど、実に考えている。

 理由の断片を問題という形でほんの少しだけ開示する。

 あとはその問題とやらを吹き込まれれば、当人達の間で勝手に想像が広がっていく。

 現に、生活の大半を仕事に費やし、家庭の問題を直視することに疲れた父親はそれで納得してしまっている。

 理由がわからないという緊張より、多少曖昧でも理由があれば納得する。

 そんな人間心理を実に効率よく操っている。

 それは僕の考えすぎなのではないかと疑うだろうが、僕にとってはそれは納得のいく理由ではないからだ。

 だって、考えてもみろ。

 家に帰れないのはともかく、それなら、何で僕をつけ回す?

 彼女が偶然、目標を定めたのが僕かもしれない。よし、まあ、最初の理由はそれでいいとしよう。人口一億と言われる日本において、一億分の一を百歩程で譲ってやるとしてだ。

 だが、しかし、それでもだ。

 僕をつけ回す理由というのがわからない。

 はにかみながら、上目使いで僕を見上げ彼女は言った。


 「……改めまして、これからもよろしくです。一太郎?」


 ワープロソフトと間違えなければ納得してやらんでもなかったのに。




 食事を終えてリビングでコメディ番組を母と揃って見ている彼女はまるで親子そのものだ。

 僕がその様子を観察していると母親はお前も構ってやるからこっちに来いと空気の読めなさっぷりを披露。この年代の子供は親に構われたいと思うより、その逆を望む。

 そんなことはどうでもよく、僕はそろそろ本当の理由を彼女に聞いてみたいと思っていた。

 質問をぶつけても彼女は


 「大好きだからです!」


 と母親をがっちりと抱きしめ曖昧スルー。

 母親はよしよしと彼女の頭を撫でながらその演技に付き合う。

 父親に詰問されてもこのように曖昧スルーするのでこれで喋ってくれるとはとうてい思ってはいないので想定の範囲内。

 僕が更に詰め寄ろうとしたが、母親が珍しく僕の鼻っ柱をグーパンチ。人中という前歯のつけ根当たりの急所で当たると凄い痛いし涙も出る。

 殴られた反動で壁に後頭部をぶつけ頭が痛いと訴えると、母親はお前には優しさが足りないとバファリンを投げつけた。半分は優しさでできている、といいたのだろうか?

 だが、値段の半分も優しさでグラム単位の優しさも結構な値段になるのだ。

 いつまでその優しさとやらで金を使うのか母親に尋ねると、本気で怒られた。

 母親が怒ることは滅多にないので部屋に逃げ帰る。

 さすがに部屋の中までは追ってこなかったがあとで彼女が僕の部屋にきてこう呟いた。


 「本当のこと言えるときまで待ってください」


 それが妙にシリアスで。

 僕は胸の中に小さなとっかかりを残したまま父親と同じようにすることを決める。

 冬なんだか夏なんだかわからない春のように曖昧スルー。




 些細な疑問などは押し流してしまうのが、現実。とりわけ日常の忙しさだ。

 受験生として偏差値と比較しての志望校選定や模擬試験の日程と勉強スケジュールなど、考えるべきことは沢山ある。

 クラスメートとの関係にも、意識してではないが気をつかう。

 世の中にはやらなくちゃいけない事と、やりたい事、やりたくない事と、やってはいけない事なんかがごちゃ混ぜに存在する。

 なかでも、やらなくちゃいけない事とやりたくない事、やってはいけない事ばかりが目の前に現れては消えて、やりたい事はいつだって後回しになる。

 それが現実って奴なんだ。

 家に居なくちゃご飯は食べられないし、寝る場所も無い、それを維持する為に父親が働くのはやらなくちゃいけない事だし、その父親にある程度従うのはもちろんやらなくちゃいけない事。

 家を出て行くのは家族に心配をかけるからやってはいけない事だし、勉強だって本当はやりたくない事。

 だけど、それをやらなくちゃいけない事にして毎日をそれなりに生きていくのが現実の日常って奴だ。

 僕のベッドを占拠して、勉強する僕の後ろで幸せそうに寝ている謎の少女の存在が入ったところで、まあ、概ね日常は変わらない。


 「……本当に、そう思うですか?」


 ごろんと寝がえりをうって彼女は僕にそう言った。


 「ジョージアは本当にそう思うですか?」


 僕の飲んでいる缶コーヒーは少なくとも、そうは思うまい。

 彼女はむくりと起き上がり、まんまるな瞳で僕を見た。


 「違うです。ジョージアは選ばないだけなんですよ」


 そりゃそうだろう。缶コーヒーは買い手に選ばれる側だし。

 「現実と決めつけてる日常から抜けるのは簡単ですよ。好きな人と一緒に居たいと思ったら、その人のところに行けばいい。声をかければいい。それだけのことですよ」


 胸を張ってみせる少女の着ている服は母のお下がりだ。


 「テンパって変なことも言うですし、おかげでロッカーにも閉じこめられる。開けてもらった直後に失敗して警察に連れていかれたですし、逃げて走って追いかけて家の中に入り込めば喧嘩の種にもなったです。失敗は沢山ですが、そのうち色々考えて、それでもどうにかなるのが現実ってモンですよ」


 果たしてそう、うまくいくんだろうかね。


 「春ですから」


 もうええっちゅうに。




 駅からのつきまといが今度は校門からのつきまといになった。

 なんでも、その方が僕と長く居られるから、らしい。


 「サイクロン1号があれば、ママさんの職場から間に合うですよ!」


 サイクロン1号とはそのママさんが愛用しているママチャリだ。

 地味に変速機がついているから使い勝手がいい。

 ようやく、以前の件を忘れてくれたクラスメート達が好奇の視線を向けはじめるが、彼女はそれに負けることなく毎日現れた。

 最初はシカトを決め込んでいたのだが、毎日毎日現れるもんだから始末に負えない。

 例えば、今日なんかは雨が降っている。

 僕は家に帰るのも面倒なので、ずっと図書館で参考書と睨めっこをしていた。

 お互い、笑うことが無いモンだから勝負は引き分けで、いい好敵手を見つけたと内心ほくそ笑む。

 静かな戦いの高揚感を雨が綺麗に洗い流してくれると思い、外に出ると彼女は黄色いレインコートに身を包み待っていた。


 「おかえりですよ」


 なんだって、まあ、ここまでするモンかね。

 春とはいえ、まだ寒いんですよ。

 雨のしたたる唇は青くなって震えてるし、前髪は水玉がひっついて滴ってます。

 肩を抱くように震えてやがる癖に僕の顔を見てにっこり笑いやがった。

 荷台の上に被せられたビニール袋はカゴの中にある缶コーヒーをコンビニで買ったときの袋でしょうね。

 これから僕が座ると知ってて、被せておいたんだろう。


 「まあ、コレは私のゴチですよ」


 差し出されたコーヒーはなんだかもう冷たくなってるし、よくもまあやるよ。

 彼女の差し出すレインコートに袖を通すとほんのり暖かい。

 豊臣秀吉じゃねえんだから、懐で暖めるのは流行らねえよ。

 まだ、校舎に残ってる連中が好奇の目でこっちを見てやがるってのが決まりが悪い。

 少しだけ歩いて、学校から離れるとなんとなくだが荷台に載ってやる。


 「サイモトはツンデレですよ」


 僕は自転車のメーカーでも、ツンデレでもない。

 だけど、そう言う彼女の頬はほんのり赤い。

 坂道登る息が白く染まる。

 春を告げた桜は泥水のなかで無惨に花びらを散らして側溝でゆらめく。

 桜並木はずぶ濡れで、彼女の漕いでる自転車に二ケツする。

 通り過ぎるのは一瞬で、赤信号で泊まって車の跳ねた泥水ひっかぶる。

 振り向いた彼女が泥つけたまま、笑ってる。

 名前も知らない謎の少女と駅前を、泥水かぶって過ぎる春。

 現実、そんなもんなんだろうさ。

 だけど、どうしてだろうか。

 どうにも、現実ってのが少しだけ、遠くなった気がしたんだ。




 ミステリアスな少女がただの人だとわかった時、やかましい現実がやってきた。

 アパレル関係の営業マンの父親と、在日アメリカ人の母親が僕の父親と母親に頭を下げている。

 その隣でむっつり黙る謎の少女は一言も喋らずソファに座る。

 僕の父親と母親は何が何だかわからないまま、頭を下げてる。

 どうにも、近所の人の噂で彼女が僕の家に居ることが広まって、捜索願いを出していた警察から連絡の入った両親が直接会いに来た。

 そんな事情を聞く限り、まあ、当たり前だよなって僕は思う。

 今時、見ず知らずの女の子が家に転がり込むようなシチュエーションはオチ物ヒロインでも流行しねえし、現実あったら、そりゃ、なんというのだろうか?

 よくもまあ、そんな無茶設定でやってくれるよなんて思ってしまう。

 だってよぅ、考えても見ろよ。

 どんなに可愛いヒロインだって家ン中でトイレ使うんだ。

 次に入って、臭いが強烈だったらドン引きじゃないか。

 そんな当たり前な現実考えれば、そういや、彼女はどこで便所をしてたんだろうと思い至って、母親の職場があったなと思い至る。どうでもいい。

 その母親は相手の両親にもう一人、娘が出来たみたいで嬉しかったなんて言ってやがるが母親よ。僕はいつから、娘になったんだ。

 テンパるのはわかるがもうちょいまともなこと言え。アホじゃないか。

 父親同士は何だか、仕事の内容なんか聞いたりして、どっちがよりマシな仕事してんのか無意味に探りあってる。

 こんなところで優越感なんか持って、どうするんだ。これだから男の見栄って奴は見ていてみっともない。

 だけど、まあ、現実、こんなもんだよな。

 これが当たり前の結末で、ちょっとした異常なんかすぐに修正されてまた、明日からいつもどおりの日常が待ってるんだ。

 今にも泣きそうな彼女の目が僕をじっと見つめてやがる。

 引き結んだ口がじっと唇を噛んで、彼女が得た物を奪っていくのを耐えている。

 いい加減、諦めろ。

 そんな目ぇしたって、結局、お前は謎の少女でもなんでもない。

 ただ、駅で幸薄そうな僕に祈りを捧げてコインロッカーにぶち込まれた電波ちゃんなんだ。

 押しかけ嫁ごっこやったはいいけど、何度もお巡りさんの世話ンなって、空回りした挙げ句にやっぱり最後にゃ家に帰るんだ。

 ツンデレでもなけりゃあ、落ちモノヒロインでもない。

 ちょっと現実感の無い人間装っても、やっぱり現実に生きていて、戸籍も名前もあるんじゃないか。

 謎の少女なんかじゃあない。

 駅で出会う春じゃない。

 ラブコメなんか絶対に起きない。

 現実なんか、そんなもんだ。

 だけど、彼女は胸を張って誇らしげに言ったんだ。


 「……それでも、私は現実少し、変えてみたかった。大好きでしたよ?春彦」


 一字違いの間違いを、最後の最後に直していきやがった。




 もともと異常だった日常が、当たり前の日常に戻るにはそんなに時間はかからない。

 一日もかからず、もう当たり前のように食卓には三人分の飯が並ぶ。

 模擬試験の日は着々と近づくし、曜日は進む。

 クラスメートは変わらないし、あいつを閉じこめたロッカーの値段も相変わらず五百円から変わらない。

 現実に戻れば、どうにも、雑音がうるさくて些細な異常の痕跡を綺麗さっぱり流してくれる。

 サイモト製のサイクロン1号だって変わらずに物置の中だし、普段は面倒臭くて母親も使わないミトンだって冷蔵庫の横にある。

 取り上げたサムターン回しだってあいかわらず倉庫だし、庭の芝生が焦げているのもそのまんま。

 サイレンを聞けばパトカーは当たり前に走ってるし、宗教の勧誘はやっぱり変なオバちゃんがやっている。

 ベッドの上に放り投げられた漫画だってそのまんまだし、ジョージアの缶は屑籠の中。あとで、分別しとかないと怒られる。

 これが現実って奴なんだろうさ。

 受験冊子ながめて、偏差値気にして、どうでもいい大学行こうとして、台学生になる。

 現実、そんなもんなんだろうさ。

 そんなもんでいいはずなんだけど。

 あいつの名前、聞いておけば良かった。




 現実ってのは胸のど真ん中にぽっかりと穴を開けたまま過ごす日常のことを言うんだろうかね。

 それが当たり前のうちは当たり前でいいんだろうけど、一度でも別のものを見てしまうとどうにもそれじゃあ耐えられなくなる。

 どんなにやり込んだゲームだって新作が出ればそっちの方にハマり出す心境っていうのかね。しかし、どうして勉強サボって親に隠れてやるゲーム程楽しいんだろうか?

 だけど、どうにもそれすら今は面白くないときた。

 ぼんやりと駅のキヨスクで突っ立ってても心躍る出来事なんかない。

 宗教でもやれば救われるんじゃねえかと思っても、幸薄そうな顔でいたって祈ってくれる奴はいないときた。

 いつまでたっても反抗期な僕はコインロッカーに引きこもる。

 今時、珍しく親切なコインロッカーに入れてくれる親切な人はなかなかおらず、頼んだ人には白い目で見られて親身に話を聞こうとしてくれた。

 完全スルーで日光が厳しいからとか適当な嘘しか出てこない僕は他から見れば頭の中が春爛漫。電波監理局に捕まらないように注意しよう。

 よくもまあ、自分でも人をコインロッカーにぶち込むなんてことしたと思うよ。

 面白いことがなんにもなくてムシャクシャしてたのは確かだが、自分のような人間が凶悪犯罪を犯すものなのだと、なんとなく理解した。

 誰でも犯罪を犯す要素はあるけど、実行するかしないかの違いで実行してバレる奴が警察のお世話になるんだろうね。

 こんなこと考えるのは、今時珍しく親切なコインロッカーもお金を返す親切さは持ち合わせてるけど、出て行く自由と、中の快適さを提供してくれない、現実に存在する夜になると暖房も効かない冷たい存在だということを知ってしまったからでして、やっぱり現実はこんなもんなんだと思ったからだ。

 だけど現実、こっから出たときにどうやったら嫁にしてくれなんて言えるんだろうか考える時間もたっぷりあるし、鍵を持ってる奴が開けてくれなかったらどうなるんだろうと考えると心配になる。

 そんな中で、開けてくれた僕にあんなことを言える気持ちってどんな気持ちだろう?

 考える時間は一杯あって、開けたとき、開けたあと、最後の最後までの彼女のことを考えて一つの結論が出てしまう。

 親切かと思ったけれどやっぱり冷たいコインロッカーの中で痛さに身を捩りながらひょっとしてさっきの人がどこかでばったり彼女に会って、幸薄い僕のために鍵を受け取って開けてくれるんじゃないかと思い、その時に言う台詞を一生懸命考えていたら夜が明けたようだ。

 通勤ラッシュの人の足音を聞きながら、がちゃんと扉が開いたもんだから、勢い余って僕の子供を産んでくれと言った相手は駅員さんだった。残念。

 やっぱり現実は現実で子供を産んでくれと要求されたのは多分、妻子持ちの駅員さんで、常識的に警察に通報されて、彼女を預けた交番で今度は僕が事情聴取を受けて、両親を呼ばれてこっぴどく怒られた。

 本当のことを言うわけにもいかず、適当な嘘八百を並べて、結果的に本当のことを言ったとしても相手に与える印象は大して変わらないと気がついたとき、僕も電波監理局もしくは精神病院にお世話になるべきかな?と疑問を持ったけどそんなことはどうでもいい。

 なんというか、それでも僕は、少し楽しかったのだ。

 両親が真剣になって謝っている横で、空気を読まずに彼女のことを警察官に尋ねると個人情報は他人には教えられないと現実的な回答を聞く前に、父親にはり倒される。

 いちおう神妙な顔つきで交番を出るけど、僕の心はゆるみっぱなし。

 これだけのことになっても、どうにも彼女は僕のことを追いかけて、僕は彼女のことを考えてる。

 それってつまり。


 どうやら、僕は彼女に恋をして、自惚れじゃなければ彼女は僕がきっと好き。




 奇行に走った息子を心配するのは現実的な親の対応で、父親が神妙に僕に話す横で母親は今流行のエクササイズに夢中に取り組んでいる。

 夫婦喧嘩が始まりそうな程、父親が不機嫌になるが母親はお構いなし、母親よ。空気読め。

 父親は何故こんなことをしただとか、家の何かに不満かと延々と喋っていたが僕の頭の中には半分も入っていない。すみません、嘘です。全く聞いていませんでした。

 父親と母親がしんみり家族会議を始めるのを尻目に僕は部屋に戻って、受験勉強をはじめる。しっかりと参考書を開きながら数式を解いてみる。

 彼女と会える方法をいくつも模索してみる。

 どいつもこいつもうまくいきそうにない。

 住所と名前と電話番号くらい聞いておけば良かったと思うけど後の祭り。あのときの父親の行動は正しかったと思い直す。大人は偉大だ。

 偉大な大人の多くが迷える若人に教示を残したいらしく、珍しく、母親が受験勉強の差し入れをしてくれた。だが、母親よ。そのカステラはカビている。そして、人の缶コーヒーを勝手に開けて飲むのはどうかと思う。

 カビを削いだカステラを食べながら、母親はかつて日本には侍が居たと熱く語り出す。多分、昼間に見た映画の影響だろうがお喋りなら茶飲み友達としておくれ。

 決して勝てぬとわかっていながらも敵の本陣に切り込み、桜と共に散ってゆく侍の持てる志は今でも深く日本人の心根の奧に根付いていると熱く語る母親に、僕は何が言いたいのかと問いかける。

 母親は全部知っていたのだろうし、知っていたからこそ、武士の情けをかけたという話で結論を先に持ってくるとこういう話だった。

 僕の知らないところで僕に恋した少女は敵の本陣にたった一人で切り込んだ侍だったという話だ。

 武士たる勇を持つ彼女に武士たる義と仁でもって応えた母親は、遙か昔に武士を感じた父親に、惚れて惚れられ掘られたと、とってもいい話をシモネタで締めくくる。

 どんと背中を叩かれて、頑張れりっしんべん生春と言われちまえば、ありがとうとも素直に言えない。

 現実の中でも大人はやっぱり大人で僕はなんだか泣けてきた。

 リビングに降りてみりゃあ、親父がソファで小さく背中を丸めてバラエティ番組を一人で見ていた。

 その背中が小さく見えるのは、僕が背丈ばっかり大きくなるためにがつがつ飯を喰ったからで、でっかな現実に立ち向かって母親と僕を喰わすのにすり減らしたからということくらい、今の僕には少しわかる。

 僕らが大事だからこそ、彼女が来たときに牙を剥き、それでも我慢して飲み込んだのはやっぱり大人で、母が惚れた侍だからで、その侍は僕を見ずに家が不満なら荷物を纏めておいたから出て行けと言った。

 荷物の中には三万円。ご丁寧にビジネスホテルのパンフまで入れてくれている。

 涙が出そうになったけど、今は無き世襲制に習って僕は侍の子は侍であるべきと荷物を突っ返す。

 もう少ししたらありがとうと言える侍になって帰ってきます。

 飛び出すように家を出て、まだ過ぎぬ春のは寒い夜の風を背中に受けて、コートとお金くらいは持ってくるべきだったと後悔したが後の祭り。

 格好をつけるとどうにも辛いのは現実らしく、だけど、それでもなんとかなるさと出会いを求めて駅に向かう。

 春だから。




 外泊できる友達の居ない寂しい僕は、たとえそんな友達が居たとしても駅の前で夜を明かす。

 日が昇るより早く駅に来る行き交う人を観察して、彼女が現れないか探す。

 僕をここで見つけたんなら、彼女の生活にもこの駅での接点があるはずだ。

 朝から晩まで学校ブッチして駅のベンチに座って眺める僕は不良高校生デビューを果たす。そんな現実、知ったこっちゃねえ。

 彼女が僕を見ていたのなら、きっとこの駅だ。

 彼女が異世界から来た謎の少女じゃなければ現実世界での生活があるわけで、僕を見ていてくれたなら、きっとこの駅の中。なら?逆に現実生活に戻った謎の少女は僕を見つけたこの駅で今度は僕が見つける。

 とはいえ、自分のやってることがストーカーと呼ばれる犯罪者と全く同じことだと思い至ったとき、思わず笑みがこぼれて駅員さんが心配そうにこっちを見ているが、そんなの完全スルー。

 何か、文句でもあんのかよ。

 ずっと、座ってると流石に不審がられて声をかけられるが純情一直線の僕は意味不明の言動でやんわりスルー。

 僕の頭ん中はいつ現れるとわからない彼女を待って破裂寸前。

 だけど、一日待ってみても彼女は現れない。

 何も喰わずに一日費やし、本当にお金くらい受け取っておけば良かったと後悔する。

 一杯二百円の立ち食い蕎麦屋のかけそばが本当に旨そうに見えてくるから、夜の街に繰り出して他にも美味そうな物が沢山あって後悔する。

 それよっか、野宿二日目になると寒さも相当厳しく感じるし、現実は余計に雨まで降らせやがる。

 彼女は現れないし、腹は減るし、家にも今更帰れずに、とても寒い。

 現実はやっぱり辛くて、それでも変えたあいつが凄くて、負けたくねえから叫んでみる。

 そしたらあいつに気づいてもらえるかと思ったけど、やってきたのはパトカーだった。

 現実こんなもんさド畜生。あいつに、会いてぇ。




 あの日、あいつを預けた交番で、根掘り葉掘り聞かれて曖昧スルーしてたらポケットの中身まで探られた。

 現実、お巡りさんも生きていて、つまり、何が言いたいかっていうと漫画やラノベじゃ脇役で、一瞬出てきてすぐスルーされるけど、この交番で勤務してる。

 あの日あいつを預けた交番に居たお巡りさんは、今日、当番のお巡りさんで彼女もオメーと似たように曖昧スルーしてたと笑われた。

 純情一直線はいいけど、現実と折り合わせてほどほどにしとけと説教めいたことをいいながら、駅の屋外トイレなら夜でも開いてるからそこで小便して帰れとのたまいやがる。

 あいつもこんな風に言われたんだろうかと考えるとどうにも現実というのは少し、優しいかもしれないと思ってしまう。

 最後に所持品検査をされて、ポケットの中までまさぐられ、交番出た後にくしゃくしゃになった野口英世が二人仲良くポケットの中から出てきて笑ってた。

 ツンデレなお巡りさんにグラっと来たよ。

 純情な少年少女に優しいお巡りさんに背中を後押しされちゃあ、引くに引けない帰れない、だけどもとより引く気は無い。

 なんとしてでも、あいつに会う。




 トイレん中で朝を迎えれば自分の体から少しアンモニア臭が漂う。

 鼻水が止まらなくて熱っぽいのは風邪を引いたからだろうし、頭はふらふらで腹も減る。

 だけど、それがどうしたド畜生。

 惚れた女がやれたことを、僕ができないってのはどうにも癪だ。

 今日こそ、あいつを見つけてやる。

 一方的にコクって逃げて、そのまま返事も待たず逃げるなんざ許せない。

 許しちゃあいけない。

 あいつを探して駅の中を見渡したら子供に泣かれたけれども、それでもあいつにもう一度会いたいんだ。

 あいつが現実変えたなら、僕だって現実変えれるはずなんだ。

 そう思ってギラついた目でじろじろ回りを見ていたら、変な奴だとロッカー風情の若者に笑われた。そうはいうがな若者よ。お前の頭の色も充分変だ。そしておっぱいの大きさもそこまでいけば多分、変。

 若者といっても僕より若干、年を喰ったそいつはちょっと前まで僕の家の近くの駅で路上ライブをしていた奴らしい。

 たけるクンと慣れ慣れしく呼ぶ若者改めお姉さんはあいつのことを知っていた。

 知っていたといっても、飛び入りでライブに参加して、好きな奴がここに来るから歌わせてと言われただけの関係だ。

 だけど、ロックな彼女らにとってそれがとてもロックな出来事で、あいつの生き様がとてもロックで、そんなあいつが好きな奴ならきっとロックに違いないという理屈らしい。

 あいつの名前も住所も電話番号も僕は知らないと言ったら、姉さんはひとしきり笑ったあとにあんたも充分、ロックだぜと言われたよ。

 応援してるからな、とロック姉さんは缶コーヒーを置いていく。颯爽と立ち去る堂々とした後ろ姿を見せるロック姉さん。やはり、生き様もロックなのだろう。

 だがな若者改めお姉さん、あんたの靴の裏にへばりついてる小石もきっとロックだぜ。




 駅で待ち伏せて三日経つ頃にゃあ、あいつは居ないんじゃないかと思い始める。

 流石に見かねた駅員さんが何かを言いたげにこっちを見始めた。

 帰れと言われて帰る家は無い。両親に背中を押され、ツンデレお巡りにも応援されて、ロック姉さんにロックな生き方を期待されている。

 そうなってしまうとだ。

 あいつに、会うまで帰れない。

 駅員が僕を見つめてくるが、僕には帰る気はない。

 鋭い目つきで睨み返す。空腹は料理の最高のスパイスなだけではなく、苛々の最高の動力源でもある。今の僕なら文句一つ言おうモノなら、この駅員を普段やらないような酷い仕打ちにあわせることができる。

 駅員は僕の方に苦笑しながら歩み寄るとおずおずと声をかけてくる。

 駅ってのは電車が止まるだけじゃない訳で、色んな人が集まる場所で、ここに来る人達は毎日見ている。

 遠回しに帰れと言われるかと思い、旅行パンフレットを置く台の位置を確認していた目がとまる。

 ここにはタクシーもあるし、バスもある。

 それに、珍しい顔した子は僕も含めて全部覚えてると言われて僕はこの駅員が僕に何を言いたいのか気がついた。

 そして、改めて自分のアホさ加減に今頃気がつく。

 はじめっから、駅員さんに聞けば良かったと大後悔。

 頼んでもいないのに駅員さんはあいつについて教えてくれた。

 あいつがバスで通学してること、あいつが僕をずっと見ていたこと、あいつが僕のことを聞いて回っていたこと、そして、あいつは僕が毎日、来るのを待っていたこと。

 僕よりあいつのことを知っている駅員さんに感謝と、嫉妬を覚える。

 ストーカーのように目で追い回し、あいつをつぶさに観察していた君の瞳に指をつきさしたいのはやまやまだが、自分を振り返れば今、現実にストーカーなので人のことは言えない。

 制服から学校まで割り出しているあたり、本格的なストーカーなのではないかと疑うが、多分、そんなのは頭の中が足りなくなった僕くらいのものだろう。

 あいつの学校について聞いたときに、僕は走り出していた。

 懇切丁寧に何時のどこ行きのバスに乗ればいいと教えてくれたが、僕には視線ストーカー駅員の言葉を聞く気はさらさらない。

 早く、あいつに会いたい。

 次のバスまで待ってらんない僕は走ってあいつのところに行くことにした。

 現実、厳しいばかりと思ったけれど、実は意外とそうでもないらしい。

 僕が知らなかっただけなのか、それとも、本当は沢山あるんだけど、気がつかなかっただけなのか。

 考えるのをやめて、走り出す。

 春だから。




 あいつにあってハグしたい。

 背骨が折れる程、抱いてやりたいし、もちろんちゅーだってしたい。

 その先だって当然したいし、つまり、何がいいたいかっていうと、あいつの学校の前に立つ僕は犯罪者と何も変わらないってこと。

 トイレ臭を全身から散らして、髪もぼさぼさ、ギラついた目で校舎から出てくる生徒を一人一人舐めるように見つめる。

 そうやってずっと待ってると胸んなかをぐしゃぐしゃにかき回されることを知った。

 もう帰ったんじゃないのか、いやいやクラブ活動しててもおかしくない、たまたま今日は休みなんじゃないのか、とかとか。

 ここまできたはいいけど、実は僕の勘違いだったらどうしようとか悪い考えも浮かんできやがる。

 喉が震えて、膝が笑って、息が荒くなる。ああ、もう、完全に犯罪者だ。

 だけど、現実さ、誰かを好きになった奴の頭ン中って犯罪者同然で。

 現実がストッパーかけてくれるけど、それがなくなりゃ犯罪者で。

 だったら現実変えてやろうと思ったらなんだか楽しくなってきて。


 「あ……れ……?」


 気がついてみりゃ、謎の少女がぽかんとした顔で僕を見ていた。




 横に居た友達らしき奴に、回し蹴りを叩き込まれてアスファルトに沈んでいた。残心も忘れていないあいつはきっと有段者。

 やっぱり、いきなり僕の子供を産んでくれってのがマズかったか。

 あいつに会いたい一心で、何を言えばいいのかなんか全く考えてなかった。

 腕を引かれて逃げるように去っていくあいつの後ろ姿を見送って、なんだか、おかしくて笑えてきた。

 そうだよなぁ。

 テンパるよなあ。

 だって、しょうがねえだろ。

 こんなに好きなんだもん。

 そう気がつけば、また、ニヤニヤ笑ってしまう。

 あいつが、ここに居た。

 この学校に居た。

 それは紛れもない事実。

 ようやく居場所をつきとめた。

 謎の少女だったあいつが、きちんと生活している現実との接点をつきとめた。

 あとは、じっくりと時間をかけて会いにきても、大丈夫だろう。

 でも、ダメだよなぁ。

 帰るわけにはいかないよなぁ。

 小学生の頃、喧嘩して負けて帰ってきたときに母親に勝ってくるまで帰ってくるなと怒られて、今時古いと父親と母親が喧嘩したのを思い出す。

 喧嘩をするなら、最後まで。

 僕と恋の真剣勝負はまだ、終わっちゃいない。

 きちんと、好きだとあいつに伝えよう。




 風呂に入って次の朝には仕切り直しを図る。

 喧嘩も、勝負も先制攻撃。気迫で飲まれたら負けるんだ。

 校門の前に立ち、校舎の中に入る。

 不法侵入上等、先に人の心ん中に土足で踏み入ったのはあいつだ。しかも、人の家で飯まで喰ってるし。

 学校入るのがどれほどのモンだってよ。

 そこら辺をうろうろしてる生徒を見つけてあいつのクラスを聞き出す。

 変な生き物を見る目で僕を見てくれるがもともと、恋してる奴らなんて変な生き物だ。嘘だと思うならバカップルを見て来るといい。

 ホームルームをやってる最中のあいつのクラスに入り込み、唖然とする連中をよそに涼しい顔。

 後ろの席で隠れてポッキーをハムスターのように囓ってるあいつは可愛い目をまん丸に見開いて僕を見つめてる。

 適当な名前を言ってあいつを指さし俺の嫁宣言してみたら、昨日の有段者にボコにされて窓から放り投げられた。

 下が花壇で助かったがもの凄く、痛い。僕ンときは教室一階だったのに容赦ねえ。

 窓から驚いた顔で僕を見下ろすあいつの顔がどうにも可愛くて、痛みもぶっとんで頭の中が真っ白になる。

 ああ、僕、やっぱりあいつに恋してる。

 警察に連行されながら僕はいつまでもニヤニヤ笑っていた。




 警察官の誰もがツンデレかというとそうでもない。

 そういう時は電波発言と逆ギレを繰り返し、煙に巻いて逃走するに限る。

 公園で次の作戦を考えていたら、あいつの友達の回し蹴りがやってきた。

 何かを僕に言ってたけど、聞いてないし聞こえてない。

 あいつがおかしくなったのは僕のせいだとか、僕もおかしい奴だとか、そんなこと。

 会話はいつの間にか肉体言語による会話に発展して、お互いが殴り合った。

 僕は男女差別反対を謳う一人で、男と女は等しく機会を得て、等しく扱われるべきだと強く主張する。

 それに、女でも強い奴ぁとんでもなく強いし、こいつも間違いなくその一人だった。

 肉体言語は時として曖昧な気持ちもスッキリ相手に伝えてくれるし、こいつは本当にあいつが大好きだってのを教えてくれる。

 だけど、僕だって負ける訳にはいかない。

 こいつ以外にもあいつの両親だって邪魔ならぶっ飛ばさなきゃなんないし、あいつの事が好きな奴が居たらそいつら全員倒していかなきゃいけない。

 それより、もっともっと強いのが現実って奴なんだ。

 会ってもテンパってしまって変なこと口走ったり、あいつが家に居てくれてるときに仲良くなれればよかっただとか、あいつの友達にストーカーと罵られて今、殴られてるとか、現実ってのは容赦してくれない。

 だけど、負ける訳にゃあいかない。少なくとも、あいつは負けなかったんだから。

 日が暮れる頃には、お互いが黙って相手の手を強く握るくらい仲良くなっていた。

 にやりと笑うこいつのツラは、格好いい。

 応援してるよと僕の背中を強く叩くその姿に、僕は惚れそうになってしまう。

 だけど、僕はこいつよりもっと格好良くて強い奴を知ってるんだ。

 誰って?人ン家にまで乗り込んできた、あいつさ。




 公園のベンチで寝るってのはどうにも寒くて仕方が無い。

 背中も痛いし、回りの視線に晒されて惨めになる。

 だけど、今更帰る家も出てきてるし泣きたくなるけど、泣くわけにゃいかない。男だしね。

 背中を丸めて寒さに耐えてると、背中からコーヒーを押しつけられた。


 「……何で、こんなところにいるですか」


 今度は、ちゃんと暖けぇ。

 感極まったツラってのは、生まれた赤ん坊が泣き出すような顔をしてるんだな。

 謎の少女は僕の方を見て、笑っていいのか泣いていいのかどうすりゃいいのかわかんない顔してこっち見てた。


 「もう、やめるです。私はもうあなたを追いかけるのをやめたです」


 おいおい。

 僕に一体、どういう反応をして欲しくてこんなこと言ってるんだろう。

 あれか、毎度おなじみ電波発言なんだろうか。

 にしちゃあ、ちょっと顔がシリアス入ってるんですがどういう訳なんだろ。


 「もう、会えなくなるですよ」


 こう言われた時に、恋ってのは常に一方通行だと思うんだろうね。

 聞いてみりゃあ、現実や小説ん中にゃゴロゴロ転がってる話さ。

 初めて見たのは二年前の春の入学式の日。

 目で追いかけはじめたのがその年の夏休みが終わる頃。

 好きなんだと気がついたのは二年の始業式。

 告白しようと思ったけど、言えずに終わったのがその年の文化祭の前日。

 そうして、別れることになるのを知ったのが今年の春。

 彼女の親父がイタリアの支社に転勤になって、それについていかなきゃならない。

 その前に、ちょっとだけ、失恋の寄り道を僕の家でしていたらしい。

 そんだけの話、だってよ。


 「だから、うん、本当に……ありがとうございました」


 そう呟いた彼女の顔がどうにも寂しげで。

 名前だけでも聞こうとしたんだけど、


 「言うと別れるの、辛くなるですから」


 満面の笑顔で断られたよ。

 どうにも恋する少年少女に現実って奴は厳しくて。

 初恋は実らないなんて格言まで作りやがる。

 さよならって手を振る彼女を抱き寄せて。

 それがいつまでも続かないことに腹を立てる。

 どうすりゃ、いい。

 どうすりゃ、現実変えられる。


 「これで、いいんです」


 そっと触れた唇が、世界をどこまでも焼き尽くす。

 とぼとぼと歩いていく彼女を見送って。

 もうすぐ、春は終わるんだなと気がついた。




 それでも、どうしてだか、次の日の朝はあいつの学校の前に立っていた。

 諦めろと現実が告げても、諦めきれずにこうして恥ずかしい格好を晒しているのはどうしてだろう。自分でも、よくわからない。

 彼女に会って何を言いたいのかだとか、何をしてあげたいだとか、全然わからない。

 頭の中ではわかっちゃいるんだけど、まだ、どっかで何か、諦めきれていないらしい。

 だからといって、僕には現実を変えることができる程、力があるわけでもないのも理解してる。

 現実問題、僕は未だ何の力も持たない若造で、そんな若造は現実の前に果てしなく無力だ。

 だからといって、何もしなければ何も変わらない。なら、何かをするために少なくともあいつに会うべきだと自分を守るように言い聞かせて今日も学校の前で待ち伏せる。

 それであいつがやってくる程、現実は甘くなく、待てども待てどもあいつは来ない。

 あいつの通う学校の桜並木が花びらを落としはじめている。

 ようやく春が色めきだったかと思えば、すぐに終わって夏が来る。

 現実、そんなもんなんだろうか。

 うだうだととりとめもない思考に暮れているうちに、何で最後の最後であいつの名前を聞いておかなかったんだと後悔する。

 こんなことならこいつ改め有段者改めあいつの友達は僕の友達ってことであいつの名前くらい、聞いておけばよかったと後悔の重ねる。

 あいつの友人Aは僕にとってもやっぱり友人Aらしく名前も携帯も住所もたいして重要度が無いと思って聞いてない。もちろん、携帯電話を家に忘れてきてるし、公衆電話を使えるだけの身銭ももう残っちゃいねえ。

 頭の中で後悔に後悔を重ねていくと大後悔時代に突入して、そもそもあいつに恋したのが後悔するところなのかとも思ってしまう。

 溜息をつくと幸せが逃げるというが、今しがたついた溜息で、一体どんな幸せが逃げていったのだろうか。

 そんな僕を後ろから隙アリと叩く奴が居る。隙はあれども、好きは無い。

あいつに会えなくても、こいつに会えるってのはこいつと新しい恋でもしろって神様の思し召しなんだろうか。だが、恋愛という心の椅子取りゲームではあいつが僕の椅子にどっかりと座り込んで動きそうにない。

 まあ、あいつこいつと紛らわしいがこいつとは友人Aさんだ。

 友人Aさんはどんよりと落ち込んだ僕を見るに事情を話してくれた。

 あいつは今日、御両親と一緒に日本を発つらしい。

 いくら何でも急すぎやしないだろうかと思うが、現実、やっぱ、こんなもんだろうと思い直す。

 でも、これっくらいが丁度いいかもしれない。

 だってさ、もう一度会ったら、また、会いたくなっちゃうから、さ?

 このまま帰ろうと思って背中を向ける。

 だけど、友人Aはそんな僕の腕を掴むと、学校のすぐ側にある喫茶店から原付バイクを取ってきた。

 バイクに跨り颯爽と現れると、乗りな、と一言、シートを指す。

 小さな、小さな追い風が吹いた。

 地面に落ちて、泥だらけになった桜の花びらが風の中でひらひらと舞う。

 友人Aはヘルメットを被ると鞄を地面に放り投げる。こいつ、学校をサボる気らしい。

 あいつは変な奴だけど、友達で、友達の友達も変な奴。そんな変な奴らが好き合ってるなら付き合わせるために付き合ってやるから、覚悟しろ。

 そう言って僕の顔にグーパンチ。残心も忘れずに、吹き飛ばす。

 現実ってのはとかく、痛いらしい。

 だけど、この痛みで僕がここまでして、ようやくもって理解したことがある。

 現実が変わった。

 僕は友人Aのサイクロン2号に跨るとしっかりと友人Aの肩を掴む。

 ここで思い出の品みたいなのがあれば気力が沸くんだろうけど、実際問題そんなモノは持ち合わせていない。

 思春期真っ最中の犯罪者には妄想で見えるあいつの泣きそうな顔で十分だ。

 もう一度、いや、何度でも現実を変えるために戦ってやろうじゃないか。

 初夏の風が吹く今日この頃、だけども春は終わっちゃいない。




 あいつのマンションまでサイクロン2号は速度違反上等でかっとばす。

 だが、一足違いでもう出発したらしい。

 行き違いも現実にゃあよくあることなんだろうけど、友人Aはすぐに駅に向かう。そこに言葉は要らない諦めない。

 バスを二本乗り換えて、空港から空港、そして海外が引っ越しコースらしい。

 きっと、僕なら追いかけるだろうと昨晩調べてくれ友人AはマブダチAに格上げだ。

 駅までの道を速度違反上等でかっ飛ばす。そうでもしなければ、間に合わない。

 一時停止の真っ赤な標識も恋に眩んで前しか見えない奴を乗せれば意味は無い。

 そんなところをパトカーに見られるのは運の悪い現実だが、パトカーの中でいつぞやのお巡りさんが笑ってた。

 原チャリの前にパトカーが割り込み、マブダチAが焦る。

 サイレンを鳴らしたパトカーがスピーカーから発した声は、違反車両止まれではなく、緊急車両通過します。

 一般車両が道を空ける。

 追い風がまた、吹いたんだ。

 青臭い緊急車両が公権力の現実をぶっ飛ばした瞬間だ。

 窓から腕だけ出して親指を立てるツンデレクールお巡りさんにグラっときた。

 追い風に追い風が重なって、駅まで奔る春一番になる。

 その風に運ばれて僕は駅のターミナルで両親に連れられてバスに乗り込むあいつを見つけた。

 マブダチAがバランスを崩してコケるのも構わず僕は原チャリを飛び降りていた。

 あいつに向かって叫んだんだ。

 自分にも聞こえないくらい、大きな声で。

 ボストンバックをぶら下げてるとか、バスのドアが閉まっていくとか、両親が驚いてるとか、そんな余計な全部はどうでもいい。

 なんて、泣きそうなツラしてやがる。


 「なんで居るですかっ!」


 それだけで、十分だ。

 好きなあの娘が泣きそうなだけで、僕は全てをなぎ倒す風になれる。

 ゆっくりと走り出すバスに僕は叫び続けて、追いかける。

 だけど、走る人よりバスは早いのが現実だ。

 どんどんと差が開いてとうとう見えなくなった。

 次の乗り換え場所までどうしようか迷ってると、友人Aと駅員さんが僕を呼んでいた。

 駅員さんは次の列車がすぐ来ると切符を一枚渡してくれた。

 恋の特急、指定席。

 追い風が増えた。

 そう、現実は少しずつ変わっていく。

 変えようとした奴だけが変えられる。

 大人しく生きたい奴だけ、白線の内側にお下がりください。

 そんなことはとうていできない僕は迷うことなく列車に飛び込んだ。




 列車から転がるように降りると道行く人を押しのけてバス乗り場に駆けていく。

 どこで乗り換えるのかがわからないのが現実で、だけどあいつの姿を探して走り回る。

 見つからない。

 どこに居る。

 過ぎていく時間がもどかしい。

 あいつの金色の髪は僕にみつけてもらうためだけに人と違うんだ。

 だから、僕が見つけてやらなくちゃならないのに!

 金色の髪を見つけた。

 それは彼女じゃなく別の人。

 バスターミナルのすぐ近くの広場でスピーカーとアンプを広げ、ギターをひっさげるミュージシャン。

 だけど、その人は僕の姿を見るとにんまり笑ったんだ。

 少年少女のロックな恋が大好きな、ロックな姉さん。

 事情を察した彼女は何も聞かずにマイクを僕に放る。

 風はまだ、吹いている。

 僕は握りしめたマイクにありったけの魂を叩きつける。

 僕と彼女を邪魔する全てをねじ伏せる、あらん限りの力を。

 響く声は地球の裏側に届くわけが無いのが現実で。

 だけど、すぐそこにいる彼女には届くはずだ。

 乗り換えを終わった彼女がバスの窓にその金色の髪をして、僕を見ているのをみつけた。


 「何やってるんですかっ!」


 恋してるんですっ!

 叩きつけて、走り出す。マイクは後で弁償します。

 またもや僕を置いて走り出すバスを追いかける僕を遮る車。

 その車のボンネットを踏み越えて走り出す。

 だけども、バスはそんな僕をあざ笑うかのように僕を置いてゆく。

 引きつる足を振り上げて、弾ける心臓を押さえ付けて。

 走って、走って、走って。

 それでも、現実は待っちゃくれやしない。

 地面に倒れ込む僕をいつだって支えてくれたのは、この人達だった。

 べっこり踏みつけたボンネットの車の運転手。

 働き盛りの四十代、どんな時でも影から見守ってくれていた父親と母親だ。




 追い風を束ねた春一番は竜巻となって、僕を押してくれる。

 自動車販売の営業は車を知り尽くしたハンドルワークでバスを追う。

 途中でガードレールが凹もうが他の車に擦ろうが竜巻はとまらない。

 その横で支えてきた最愛の人は何があっても、その営業についていく。

 そして、その二人のたった一つの愛の証が愛を求めれば、全てを投げ打ってくれる。

 全てが変わる、現実が変わる。

 高速道路をひた走るバスの後方を連なる車をどんどん追い抜いてゆく。

 何かを喋ってくれてたのは覚えてるけど、僕にはあいにく聞こえてない。




 そう、僕の耳は二つあるけど、その二つとも彼女の言葉に捧げたんだ。




 バスに並び、彼女と僕が視線を交わす。

 彼女が全力で走った小さな春一番は僕に届いた。

 小さな風に押されて僕が走って、沢山の風が吹いた。

 大きな風を受けた嵐が現実をねじ伏せる。

 父親の駆る5年ローンがバスを追い越し、遙か先で僕を放り出す。

 車は壊さないと売れない、と最高に格好いいことを言ったのを僕は一生忘れない。

 ぎゃりぎゃりとタイヤを鳴らし、高速道路で反転。

 加速して、僕の目の前でバスと衝突した。




 急に止まったバスに次々と後ろから車が衝突し、炎上する。

 現実を、ねじ伏せた。

 あれだけ大きかった現実はこうもあっけなく崩れた。

 めらめら燃える炎の中、逃げまどう人が何かを叫んでる。

 僕のわがままが引き起こした大惨事。

 砕けたヘッドライトの前で呆然とする人や、蜘蛛の巣のようにヒビの入ったフロントガラスの向こうで泣いている子。

 たくさんの人に迷惑をかけている。

 つくづく自分が犯罪者なんだなと思うし、実際その通りなんだ。

 罪悪感が募る。

 だけど、それでも笑ってしまうんだ。

 それだけやっても、どれだけやってきたことが悪いことでも。

 言い訳はしないし、言い訳はしたくない。

 だって、そうだろう?

 それでもやっぱり、世界中の誰よりも彼女が好きなんだ。

 逃げるようにバスから降りてくる人を押し返し、僕は乗り込んでゆく。

 唖然としている彼女の両親を踏み越えて、ようやく、僕はたどり着いたんだ。


 「こんなことして、バカですよぅ」


 顔をくしゃくしゃにして、鼻水を垂らして泣く顔は普通の人はドン引きモノだ。


 「ばかぁ!ばかぁ!犯罪者ですよ!このばかぁ!」


 だけど、それでもこの子が愛しくて。


 「でも……」


 それだけのために邪魔なあれやらこれやらぶち抜いて。


 「……ありが」


 ようやく、その唇にキスをした。




 現実はやっぱり現実で、一通り終わればまたゆっくりとかくあるべき姿に戻ってしまう。

 父親はむすっとしてるし、母親はSKY、三大予備校じゃなくてスーパー空気読めない子。

 受験は着々と近づいてるし、偏差値も徐々に下がりつつある。

 退屈で、希望も無く、着々と進む現実って奴はどうにもこうにも、面白く無い。

 だけど、少しだけ変わったこともあるわけで。

 父親は裁判所で罰金を黙って払い終わったし、母親は最近カラオケで自慢の喉を披露してる。

 ロック姉さんは母親の先輩の娘という他人であるという事実が判明し、さらにプロからデビューの話があったり、交番のお巡りさんがうちの家の近くの交番に転勤してきたり、あの駅員さんが駅から居なくなったり、友人AことマブダチAが僕の家に遊びに来るようになって母親とカラオケ友達になったとかならないとか。

 概ね、日常と言えるくだらない全部が雑音となってやってくる。

 だけど、それが嫌なら変えてやればいい。

 この駅にはもうなくなってしまった桜餅を思い出す。

 中には甘いが沢山つまって、桃色の柔らかさに包まれて、それにこびりつく邪魔なものくすんだ緑でどうにも苦くて嫌になる。


 「どうしたで~すかっ!?」


 だけど、そんなことはどうでもいいくらい、今はもう暑い。

 歩きながら、僕の隣を歩く彼女を見つめる。

 僕は涼しげな顔で立つ、自由の女神が微笑んだように見えた。

 それが照れくさくて走り出した。

 彼女が追いかけてくる。

 追いかけ、追い抜き、その背中を――

 一人で少しずつなら、二人いれば、どんなことでも変えられる。

 だって、そうでしょう。

 僕たちの頭ん中はいつまでも、春ですから。 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 畳み掛けるような表現の濁流に圧倒された気分です。 素晴らしい。 力業で最後をハッピーにまとめる実力には脱帽ですね。 [一言] ボクはこういう文章の流れを形成する能力がありませんので、素直に…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ