愚の王の癇癪
フリージスの城の中心部にある、王の執務室。そこにリンとキラルは居た。
キラルの父親であり、フリージスの王であるカルダス王に、縁談の成立の報告に来たのだ。
最初は、二人とも長く厳しい説教が飛んでくるかと身構えていたが、実際はとてもあっさりとしたものだった。
王は始終笑顔で、二人を素直に祝福し、さらには無条件での結婚を許可し、キラルの身の振り方も本人の希望のままにしてよいと言ったのだ。
ガルニア帝国から、元の領土を全て奪回したとはいえ、フリージスに比べれば、ミリューニアはまだまだ小国の部類に入る。本来なら、古い歴史と実績を持つフリージスより優位な立場に立つことなど、まずできはしない。
「本当に、よろしいのですか?無条件婚約で…」
「なんだい。不満かね?リン殿」
「いや…。意外というか、なんというか……」
「ん?そうかい?あ、それはそうと、条件ではないが、頼みがある」
「頼み、ですか?」
「キラル、“アレ”を見せてやりなさい」
「…“アレ”ですか?わかりました」
そう言って、キラルは退室した。
「リン殿、ガルニア帝国の王子を知っているかい…?」
「会ったことはありません。しかし、噂はよく聞きますね」
「リン殿…。君はもう、キラルの夫か妻、どちらかになるんだ。それが決まった時点で、君は我々の…家族の一員だ。敬語はよしなさい」
「…カルダス王。わかった。止めよう。全く、キラルの父親なだけはある。親しくなるのに手始めにタメ口を求めるなんて、貴方とキラル以外に見たことがない」
「そうかい?一番手っ取り早いと思うのだが…。それで、王子についてはどこまで知っている?」
「稀代の馬鹿で、とんでもなく我が儘だということを知ってる」
「大正解だ、リン殿」
「父様、持ってきました…!」
ちょうどいいタイミングでキラルが戻ってきた。
その手には、木箱が抱えられていた。
それを受け取ると、王は中身を執務机にぶちまけた。木箱から出てきたのは、沢山の手紙やら書類やらだった。それらにはキマイラの印で封印が施されている。
「キマイラの印…。帝国の国印…か……。それにしても、すごい数だな……」
「リン。これらは全て、わたし宛てで届いた物なんです。しかも、マルク王子から直々の…」
「三通程開けたんだが、どれも、脅迫じみた恋文ばかりだ。届き始めたのは2・3年前だったかな」
「ええ。たしか、そのくらいだったかと…」
「失礼…」
リンは山ほどある手紙から、一つ手に取った。
いつも携帯している折りたたみ式のペーパーナイフで手早く開ける。
中には紙が三枚あった。三枚とも、きっちり丁寧に折りたたまれている。しかし、リンはそれが逆に不気味に感じた。
そっと開くと、夥しい数の文字が、目に飛びこんできた。
リンは眩暈を覚えたが、読み進めた。
簡潔にまとめると、一枚目には自分の身の回りで起きたことが、二枚目にはキラルへの賛美がびっしりと書かれていた。そして三枚目には、びっしりと、結婚を迫る文が書かれていた。 読み終えたと同時に、リンは手紙を握りつぶして、そのまま、魔法で燃やし尽くした。
「あっ…と……。」
「気にしなくてもいい。むしろ、礼を言おう。すっきりした」
「…なら、いっか。しかし、なんとまあ…気味の悪い……」
リンは心底嫌だというように、散らばっている手紙を木箱に戻して蓋をした。
王はそれを端にやって、リンとキラルを交互に見てから、リンに言った。
「…という訳で、申し訳ないが、リン殿。マルク王子を牽制するためにも、『フリージスとミリューニアの王室が政略結婚する』という事実だけ、公表させてくれないかい?」
「どうぞ。“中立国フリージスとミリューニア王国の王室が、政略結婚の約束を交わした”という内容なら…ね?」
「ふむ…やはり、明確にすると危険かい?」
「恐らくは、だけど。できるだけ濁しておいたほうが、無難だろう…」
リンは腕を組んで、溜め息混じりに言った。王は満足げに笑い、「では、そうさせてもらおう」と言って、紙を取り出した。
「情報の信憑性を高めるために、私の方でも、公式発表をしよう」
「うむ、そうしてくれると助かる」
「けれど、これで果たして、マルク王子は退いて下さるでしょうか?父様、リン」
「キラル、心配はいらないさ。もし迫ってくるとしても、私の方にくるだろうから」
「…え?」
「【中立国家群不可侵協定】がある」
【中立国家群不可侵協定】――【この大陸に存在する全ての国家は、中立国家群に組する国へ、いかなる理由があろうと、侵攻することを禁ずる。】という内容の協定だ。
いくらガレリア帝国といえど、この協定を侵せば、国としての地位が下がる。社会的に殺されたも同然となる。
それがある限り、フリージスは、まず攻め込まれることは無い。
「それに、私の国…ミリューニア王国は難攻不落の土地にある国。攻めるにも、攻められんだろうさ」
「攻められない…?」
「ん。手つかずの大自然がある。おかげで、外交がしにくいことこのうえないけどな…」
「そうなんですか…。でも、見てみたいです!」
「そうか?なら、いつか招こう。そうだな…、秋の豊作祭の頃はどうだろう?」
「はいっ、是非とも!!フフ…、楽しみにしてますね!!」
そう言って、リンとキラルは笑い合った。それを見た王も、ひっそりと笑い、「これからが楽しみだ…」と呟いた。
それから一週間後。大陸全土に、中立国フリージスとミリューニア王国の間で王室同士の政略結婚の仮契約がなされたことが、大陸全土に知れ渡ったのだった。
☆☆☆
「これはっ…、一体っ…、どういうことだあああぁぁっ……!!??」
「マ、マルク様!?落ち着いて下さいませ!!」
「何故だ!何故なんだ…!!何故、あんな小国の王子なんかにいぃぃっ!」
メイドの言葉を無視し、マルクは暴れ続ける。
その右手には、フリージスとミリューニアの王室同士の政略結婚の約束を交わしたことを記した、それぞれの国印が押された書状が2枚握られていた。
ガレリア帝国の城の中心部にある、マルクの部屋はもう、グチャグチャになっていた。
花瓶が割れ、絵画は破け、豪華な椅子は脚がへし折れて、ドアには穴がポッカリとできて外れている。
一通り暴れまわると、マルクはメイドを追い出して、2枚の書状をランプの火の中へ千切って入れた。
「あんなにも、アピールしたのに!手紙だって沢山送った、プレゼントも!舞踏会にだって何度も招待した…!来なかったけれどさ……。でも、少なくとも、ミリューニアの王子より、姫のために努力しているはずだ!俺は!なのに…何故っ!」
マルクはベッド脇の机に飾られている写真たてを手に取った。
中の写真は、家来に命令し、当時はあまり普及されてなかった、写真機を使い撮ってきてもらったキラルの写真だった。
約2年程前に撮られたそれは、銀と翡翠で作られた写真たてに入れられている。
マルクがそれに見蕩れていると、背後から声がかかった。
「マルク様。貴方様宛てに、メッセージクリスタルが届いております」
「なに?誰から?」
「それが…、“朱の協力者”としか、書かれていないのです。検閲を通ったということは、危険性は無いはずですが……。いかがなさいますか?」
先程のメイドとは違うメイドが、両手にすっぽりと入る大きさの包みを持ち、外れた扉の外で立っていた。
マルクは顎に手をあて、数秒考えて、「受け取ろう」と言った。
包みを渡したメイドが去ったあと、外れた扉を入り口にそっと立てかけてから、マルク包みを開けた。
包みの中身は拳程ある、メッセージクリスタルだった。
近年、エネルギーの塊であるクリスタルは、人の手で改良され、様々な用途に使われるようになった。ガレリアでは主に兵器や通信手段として。ミリューニアでは、燃料や通信手段、魔力の根源などとしてといったように使われている。
マルクはメッセージクリスタルを、燭台に似た専用の装置に設置すると、クリスタルが輝きだした。やがて、深紅のローブを纏って、顔を半分隠した半透明の男が浮かび上がる。
『初めまして…。ガレリアの若君。信用してくださったことに感謝します』
「なんなんだ、お前」
『“朱の協力者”です』
「名を名乗れ」
『今は名を明かせませぬ。しかし国ならば明かせます。私はミリューニア王国の家臣の一人です』
「何故コンタクトを取ってきた?こんなことまでして…。お前の国の王の差し金か…?」
『いいえ。私個人で起こした行動にございます。我々はね、あの王はいらぬと考えているのですよ。それに、キラル王女も貴方にこそ相応しいと…!』
――ピクリ。
「今、なんと…?」
『キラル王女は、貴方にこそ相応しいと言いました。何か…間違いでも?』
「いーや!お前の言葉は一字一句正しい!そうだ…キラル王女はこの俺にこそ相応しいんだ…!!」
『全くです。そこで、提案がございます、若君』
「何だ…?」
『共に、憎きミリューニアの王を引きずり降ろしませんか?』
深紅のローブを纏った男は楽しげに言った。マルクもまた、楽しげに目を細め、ニヤリとして聞いた。
「できるのか?」
『無論です。同志はまだまだ数少ないですが、とっておきの“爆弾”がございます故。破壊力は抜群。あっという間に奴の息の根を止めれましょう…』
「本当だな…?」
『神に誓います』
「面白い!乗ろう!ふふ…“爆弾”と呼ぶ程だ、大変面白いモノなのだろう?えーと…」
『貴方と私は、もう盟友も同然。名を明かしましょう。私の名は、アーウィン…。先代の王の頃からの家臣の一人、です』