どうでしょう
初めての方は初めまして。お久しぶりの方はお久しぶりの工場長です。よろしくお願いします。
「やあやあ我こそは源九郎義経なり、いざ尋常に勝負!」
京の都のとある小路にて武士共を相手に威勢のよい声をあげる若武者が一人。
「九郎義経だと、神妙にせい!」
若武者の名を聞いて武士共はどよめく。それもそうであろう。源九郎義経と言えばかつては平家討伐の英雄であり、今は武家の棟梁たる源頼朝に対する謀反人。名声・悪名両方高き存在なのだから。
義経は武士共の動揺を見るや、微笑を見せると駆け寄って武士の一人を切り倒した。それを見て反射的に他の一人が長刀を振り下ろすが、義経はひらりと身をかわすと太刀を武士の喉に突き刺した。
武士共は驚愕するも、それゆえに立ち止まれば自らが死を迎える。かつて「五条の大橋」にて「悪僧」と呼ばれた弁慶相手に見せたと言われる敏捷さを義経はいかんなく武士共に披露していた。
騒ぎを聞きつけ応援に駆けつけた武士共も、どのように義経相手に立ち向かえばよいか戸惑いを見せる。しかし応援の長と思える顎髭を立派に生やした一人の武者が叫ぶ。
「ええい、何をしておるか! ありったけの矢を九郎殿に放てい!」
「しかし梶原殿、それでは味方も矢に射られますぞ!?」
梶原と呼ばれた武者はその言葉に激しく首を横に振る。
「味方より九郎殿の首のほうが重要ぞ! 矢に射られし者は某が頼朝殿にとりなし、恩賞として家族に土地を与えるゆえ心配いたすな!」
応援の武士共は梶原を心の底では
(冷たい奴よ……)
と侮りながらも持った矢を次々に放つ。命に逆らえばこの件を梶原から頼朝に告げられ、自分達が第二の義経になるかもしれないからだ。
例え動きの早い義経でも立て続けに多くの矢を放たれては太刀打ちできなかった。足を射られ動きが止まり、右腕を射られては太刀が止まり、代わりに太刀を持とうとした左腕もすぐさま射抜かれる。
「無念……、ここまでか……」
義経は痛みに耐えながら何とか右腕の残された力で太刀を自らの首筋に持って行き、それを未だ無傷な左拳で何度も殴りつけた。
「ごふっ……!」
義経の首と口から激しく鮮血が飛び出る。
「九郎義経の首、この鈴木孫一郎が獲る!」
鈴木と名乗る右の目尻に生まれつきである青痣の入った武者が、矢を射る手を止めるや太刀を抜いて義経に駆け寄る。梶原も後を追う。
「ややっ! この者は九郎殿ではないぞ!」
近づいた梶原が声を上げると、鈴木が振り向いて怒声を上げる。
「これは梶原殿、自らが九郎義経の首を得たいと嘘をつかれるか! 宇治川の戦の仕返しをするつもりか!?」
息子のことを出汁に揶揄された梶原は鈴木を睨みつけるとその目とは対照的に穏やかに答えた。
「某は九郎殿の顔を存じ上げているから申すのだ。この者は九郎殿ではない。九郎殿の家来にて佐藤兄弟が弟、忠信ぞ」
(我が殿……、無事に我が故郷へお戻りくだされ……)
今頃は奥州に向かっているであろう主君、義経を思い忠信は息絶えた。
「これが義経公が忠臣、佐藤兄弟が弟、忠信公の御最期にござい!!」
明治八年二月一日――、東京は日本橋近くの講釈場で講談師が手にした扇子を勢いよく演壇に叩きつけて今日の話を終えると、辺りはすすり泣く声に満ち溢れた。
だれもが憧れる英雄――源義経とその家来――、平家討伐とその後に迎えし栄光の話は笑顔を見せた観客達もその後の義経転落の話となると暗い顔になる。そして今日、英雄の一人である「忠信最期」の話に誰もが悲しんだ。明治政府の内務省に属する役人、鈴木伸宏もその一人である。彼は手にした青い手ぬぐいを何度も顔にこすり付けるようにして涙を拭いた。
「鈴木先生、そろそろお時間です」
講釈場に入った鈴木の書生は、人が多いにも関わらず鈴木を簡単に見つけた。書生に促されて鈴木は講釈場を後にし、自らが勤める役所に向かう。
鈴木は自室に入るとすぐに上司でありこの省の長でもある内務卿・大久保利通の呼び出しを受けた。それを聞いた鈴木は
(例の件だな)
と、内心思い、用意した書類を手に内務卿のいる部屋に向かう。
「やあ、鈴木君か。入りたまえ」
大久保は髭の豊かな顔を鈴木に見せると自らソファに身を沈めた。鈴木も軽く会釈をしながら大久保の向かいにあるソファに座る。
「内務卿のご指示通り、作成いたしました」
と言って鈴木が差し出したのは「苗字申請書」。この月に定められる予定の「平民苗字必須義務令」により苗字の持たない国民(平民と言う)にも苗字をつけることが義務付けられる。苗字は国民が自由に決めてよいので、鈴木が出したのは国民が「私は今日からこの苗字にします」と申請するための用紙だ。
大久保はそれを隅から隅まで眺める。その間、この寒い季節緊張のせいなのかそれとも近くにある火鉢のせいなのか、顔に浮かぶ汗を手ぬぐいで抑えながら鈴木は大久保と用紙を眺める。
「うむ……、何かが足りぬ気がするな……」
大久保は用紙から目を離すと小首を傾げた。
「は、はぁ……」
足りないものを探す大久保、再び汗をぬぐい待つ鈴木。
「そうか……、いきなり『苗字をつけろ』と言われても彼らは何を付けたらよいのか戸惑うかもしれない。何か例をここに書けばよいのか……」
大久保は鈴木の顔を見るや
「そうだ、君の苗字をここに書こう」
と紙の空欄に小さい朱筆で「鈴木」の文字を書いた。
「あ、いや……、私の苗字だけでは恐れ多い……」
鈴木は手ぬぐいで顔を拭きながら恐縮した。
「じゃあ他に何かあるかね」
汗を拭く手を止め、しばし考える鈴木。
「何か」を思いついた時、鈴木は手ぬぐいを膝の上に置いた。そして先祖譲りの特徴がある顔を、この部屋に来てから初めて大久保に堂々と見せると
「佐藤はどうでしょう」
これが後に「佐藤」と「鈴木」が「日本の多い苗字」のナンバーワン・ツーになった理由である。
……かもしれない。
ふと「なぜ日本人には『佐藤』が多いのか気になって調べるうちに思いついた話を書いてみました。