第3話 討伐
翌日、街の広場に人だかりができていた。
領主・壬生の布告だ。壇上に立つ壬生は、王都仕込みの仕立ての良い外套をまとい、民衆を見下ろしている。整った顔立ちに、計算された微笑み。その口から出る言葉は、いつだって滑らかだった。
「諸君、この冬の苦難は、我らの試練である」
壬生の声が広場に響く。よく通る、朗々とした声だ。この男の恐ろしさは暴力ではなく、言葉にある。正しいことを言っているように聞こえてしまう、あの滑らかさだ。
「畑の不作、井戸の枯渇。その原因は明白だ。境外に潜む異形どもの呪いにほかならない」
群衆がざわめいた。怒りの声が混じる。「やっぱりそうだ」と呟く老人。「前から怪しいと思っていた」と腕を組む男。人々は壬生の言葉に頷き、見えない敵への憎悪を膨らませていく。凪は広場の端に立ち、腕を組んで聞いていた。
「よって、我が渡瀬は討伐隊を編成する。異形の脅威を根絶し、この街に再び平穏を取り戻す」
歓声が上がった。拳を突き上げる者もいる。隣にいた女が「ようやくだ」と涙声で呟いた。果実屋の主人は黙って腕を組んでいたが、その目には複雑な色が浮かんでいた。かつて異形たちと取引をしていた商人の多くは、排斥令以降、口をつぐむようになった。異形の味方だと思われることは、この街では罪に等しかった。
壬生が壇上から降りると、群衆は興奮した声で討伐の話を始めた。誰が隊に志願するか。武器はどうする。異形どもに何百年分の報いを受けさせてやる。その声は威勢がよかったが、凪の耳には空っぽの樽を叩く音のように聞こえた。怒りの中身は恐怖だ。飢えた人間が怒りを向ける先を求めている。それだけのことだった。
凪は歓声の中で、ひとり黙っていた。
呪いなどではないことは、わかっている。畑が枯れたのは、歌耕が失われたからだ。渡瀬の土地はもともと痩せていた。異形の歌がなければ、この土地では満足な収穫など望めない。街の誰もが、本当は薄々気づいているはずだ。
だが、口にする者はいない。
飢えた人間が求めるのは、真実ではなく敵だから。
凪は自分自身にも、それを言えた。三年間、お前はこの街で何をしていた? 薬を処方し、患者を診て、夜は一人で薬棚の前に座っていた。壁の向こうのことは考えないようにして。ルゥの名前すら口にしないようにして。この街の「まとも」に、自分を押し込めていた。
討伐隊が編成される。
その事実が、凪の胸の中で鈍い音を立てた。討伐。それは境外に残る異形たちを、今度こそ完全に滅ぼすということだ。追い出すだけでは済まない。壬生の言う「根絶」とは、そういうことだ。
ルゥも、殺されるのか。
その想像が、凪の胸の奥で何かの蓋を弾き飛ばした。
凪は群衆に背を向け、広場を離れた。
店に戻り、薬棚の前に立つ。空になった引き出しが、口を開けて並んでいる。子どもの熱に浮かされた歌声が、まだ耳の奥に残っていた。
そして、あの日のルゥの瞳が。
振り返ったルゥ。何かを言おうとした唇。その声を、凪は聞かなかった。聞こうとしなかった。
三年だ。
三年間、ずっとここで立ち止まっていた。
三年間、押し込めていたもの。臆病さの下に塗り固めていたもの。それが一気に噴き出すように、凪の体を動かした。
凪は薬棚を閉めた。空になった引き出しの乾いた音が、静かな店に響いた。
コートを手に取る。
西へ向かう道を、凪は知っている。子どもの頃、ルゥと二人で何度も歩いた道だ。街の外壁に沿って雑木林を抜ければ、境外へ通じる古い排水路がある。
足が竦む。いつものように。
だが今日は、竦んだ足をそのまま前へ出した。
あの子どもの歌が、聞こえていた。
どこからか届く、途切れ途切れの旋律。その声が凪の背中を、そっと押していた。




