第38話 VSマスカレード(4)
《桜仙花学園 大講堂》
額の汗を拭ったわたしは、八千重ちゃんとアイコンタクトを交わし、再三イスカちゃんに向かって駆け出した。
わたしの拳の連撃を、イスカちゃんは難なく叩き落とし、合間にカウンターを仕掛けてくる。
回避の猶予はまさに一瞬。過集中で目玉が破裂しそうな錯覚さえしてくる。
言うだけのことはある。イスカちゃん、正直めちゃくちゃ強い……だけど。
視界の端に八千重ちゃんを捉え、わたしは勝機を見出した。
二人相手にここまで渡り合うイスカちゃんでも、二方向からの同時攻撃には対応できまい。
しかしイスカちゃんは、手のひらを閃かせてわたしの襟を掴むと、飛び掛かろうとした八千重ちゃんの前にわたしを突き出した。
わたしを盾にされ、八千重ちゃんの攻撃が止まる。
イスカちゃんはそのままわたしを突き飛ばし、八千重ちゃんにぶつけた。
わたしたちが足元をよろめかせたところで、イスカちゃんが反撃に転じる。
狙われたのは、より大きくバランスを崩した八千重ちゃん。
不安定な体勢の八千重ちゃんの脇腹に、イスカちゃんは足の甲を叩き込んだ。
蹴飛ばされた八千重ちゃんが、長椅子にしたたかに打ち付けられる。
「ぐっ……!」
八千重ちゃんは呻き声を上げて立ち上がろうとしたものの、途中で膝を付く。
どうやら腰の辺りを強打して動けずにいるようだ。
「すみません、下手を打ってしまいました……」
「ごめん、こっちも迂闊だった! 八千重ちゃん、ウテナちゃんと戦ったダメージも残ってるんでしょ? あとはわたしが何とかするから!」
無念そうな八千重ちゃんをそう気遣い、わたしは一人イスカちゃんと対峙する。
イスカちゃんは口元を歪め、嘲笑を込めて問い掛けてくる。
「へぇ、『何とかする』ねぇ。二人掛かりでこのザマなのに、陽香ちゃん一人で相手になると思ってんの?」
答えに窮し、わたしは歯噛みする。
教会からの脱出やライムちゃんとの戦闘で消耗しているのはわたしも同じ。
対するイスカちゃんには、まだろくすっぽ有効打を与えられていない。
同じ紅華の新入りなのに、ここまで力の差が懸け離れているなんて。
わたしが抱いた疑問は、苦悶の表情を浮かべる八千重ちゃんに代弁された。
「一ノ瀬さんは、一体いつの間にこれほどの力を……」
「だからさー、さっき言ったでしょ? あたしたち【マスカレード】は匿名でやり取りしていて、同じ考えを持つお嬢様も離宮にたくさんいるって。その中には当然、同級生や下級生だけじゃなくて《《上級生》》もいるんだよ」
物覚えの悪い子供に言い聞かせるように、イスカちゃんは先の台詞を諳んじた。
しばしわたしはイスカちゃんの言葉の意図を計りかねていたが、やがてその恐るべき意味に気付いて息を呑んだ。
わたしの反応を見て、イスカちゃんは得意げに嗤う。
「そう。あたしはね、紅華に入る前からお嬢様武芸を会得していたんだよ。マスカレードの仲間から必要な資料を横流ししてもらってね。弥勒寺さんや陽香ちゃんが、紅華に入るために馬鹿正直に筋トレをしている間、あたしはずっとお嬢様武芸を物にするために努力していたんだよ」
言葉を切ったイスカちゃんは、体勢を低くして脚を撓め、一足飛びにわたしの懐に潜り込んだ。
髪が触れるほどの間近で、イスカちゃんの目がわたしを射抜く。
「お前たちとはスタート地点から違うんだよ。分かったかな、弱者ども?」
言いながらイスカちゃんは、ガードしようとしたわたしの腕を掴んだ。
そのまま腕を大きく一回ししてから投げ飛ばし、わたしを大講堂の床に転がしてしまう。
全身の痛みですぐに立ち上がれないわたしの前で、イスカちゃんは指を曲げ伸ばしし、愉悦の表情を湛えた。
「輝知会長や他校の幹部級とやり合うにはまだ経験値不足だと思っていたけど、紅華二人相手にこれなら案外追い抜ける日も遠くないかもね。っていうかもう追い付いてたりして? 今日のお嬢様会談の襲撃、あたしも参加すればよかったかな」
「お嬢様会談の襲撃!?」
わたしと八千重ちゃんは、同時に驚愕の声を上げた。
わたしたちの反応を愉しむように、イスカちゃんは勿体を付けて唇を舐める。
「あたしがマスカレードのコミュニティにリークしたんだよ。『次の臨時お嬢様会談には、紅華三花弁じゃなくて新入りが参加する』って。そしたらメビウスも同じように新入りが参加するってタレコミがあって、血気盛んなメンバーが離宮騒乱のチャンスとばかりに名乗りを上げてね。さすがに時期尚早と思ってあたしは見送ったんだけど、こんなチャンスがあと何度あるか分からないってのもその通りだしね」
お嬢様会談の前、教室で会談の出席について話した内容を、イスカちゃんはそのまま流していたのだ。
わたしが言葉を失う間にも、イスカちゃんは饒舌に語り続ける。
「だから陽香ちゃんに大講堂に呼び出された時はびっくりしたよ。スマホを壊させたはずってのはもちろん、マスカレードの襲撃のことも知らない様子だったから。会談を途中退席したってことは、ひょっとして入れ違ったのかな? もうちょっと長くいれば面白いものが見られたかもしれないのに、もったいないことしたね」
「離宮騒乱って、何をするつもりなの!?」
「さあね。気になるなら戻って確かめれば? 暴漢や格闘家相手なら無敵の輝知会長でも、お嬢様武芸の使い手たちに策を弄されたら負けちゃうかもしれないよ」
わたしの詰問に対し、イスカちゃんは肩を竦めて飄々と混ぜ返すばかり。
不安に駆られるわたしの前で、イスカちゃんは悠然と踵を返す。
「ま、その間にあたしはおいとまさせてもらうけどね。陽香ちゃんたちも力の差は理解できただろうし、もう充分でしょ。ここからはお互いにやりたいことをやるってことで」
去り行くイスカちゃんの背後から、不意の一撃を浴びせれば、或いは多少のダメージを負わせることはできたかもしれない。
それを理解した上で、わたしは息を大きく吸い込み、イスカちゃんを呼び止めた。
「待ってよ。逃げるの?」
足を止めたイスカちゃんは、すぐには振り返らなかった。
後ろ姿で分かるほど露骨な溜息を吐いてから、うんざりした目をわたしに向ける。
「分かんないなぁ。何でそこまであたしを引き留めるの? 離宮を出て行くあたしにとっては、紅華もマスカレードも、本当にもうどうでもいいんだよ」
「そんな身勝手は許さないよ。イスカちゃんには話してもらわなきゃいけないこと、償ってもらわなきゃならないことがたくさんある。ここで逃がすわけにはいかない」
「逃がす? 勘違いしないでほしいんだけど、あたしが去って助かるのは陽香ちゃんの方なんだよ。火虎先輩にも散々言われたじゃん、『勝てない相手と戦うな』って。忘れたの?」
イスカちゃんの忠告を聞いたわたしは、口角を上げ、敢えて挑発的に言い返した。
「じゃあ大丈夫だね。わたし、イスカちゃんに負ける気が全然しないもん」
イスカちゃんの眉が、ピクリと痙攣した。
不敵な笑みを湛えたまま、わたしはイスカちゃんに畳みかける。
「安心したよ。イスカちゃんがこの程度なら、たとえ何十人のマスカレードと戦うことになっても、輝知会長は絶対に負けない」
「……その減らず口、いい加減イライラしてきたかな。いいよ、徹底的にやられないと分かんないってなら、あたしはそれでも――」
イスカちゃんは焦れったそうに頭を掻き、大股でわたしの方に戻ってきた。
数歩目を強く踏みしめたイスカちゃんは、思いっきり床を蹴り、超高速でわたしに迫る。
彼我の距離が手を伸ばせば届くほど詰められたその時――
「陽香ちゃんに手を出すなッ!」
声とともに、黒い影がわたしたちの真横から飛び出し、イスカちゃんに直撃した。
受け身もままならない速度で吹っ飛ばされたイスカちゃんは、大講堂の床に叩きつけられ、そのまま数回転して俯せに転がる。
突然の乱入者の正体を認め、わたしは目を見開いた。
「ライムちゃん!?」




