第37話 VSマスカレード(3)
《盟約の教会・上層 円卓の間》
湯逸夢二は、目の前で繰り広げられる光景に目を丸くし、驚嘆の声を零した。
「うはー、さすがは紅華の会長ですねぇー……」
聖母マリアの油絵の前で、富良コシュカが膝を付き、激しく息を切らしている。
円卓の上に立ち、冷徹な瞳で彼女を見下ろすのは、輝知瑞月。
幾多の攻防により制服は埃っぽく汚れ、額にも多少の汗は滲んでいるが、全身に纏う戦意の炎はむしろより強く燃え盛っている。
対するコシュカの瞳にも、闘志こそ残っているが、戦局の優劣は誰の目にも明白だ。
二人の戦闘を観察していた佐羽足譜吟は、肩を竦めて評価を下した。
「副総代レベルじゃ話にならねぇか。当然っちゃ当然だが、瑞月の奴、二年の平穏でも腕はなまってねぇようだな」
ドアの右に立つ夢二が、横目で譜吟を見、興味本位の口調で問う。
「団長でも負けちゃいますかー?」
「あのなぁ夢二、それがテメェのアタマに言う台詞かよ」
譜吟は瑞月を値踏みするように凝視し、スッと目を細めた。
「負けるわけねぇだろ」
拳脚入り乱れる激しい攻防にもかかわらず、瑞月もコシュカも血の一滴すら流していない。
瑞月がそのように戦いを進めていたことは、コシュカが一番よく理解できている。
コシュカは呼吸の合間を縫い、誰にともなく悔しげな言葉を零す。
「まだ……これほどの力の差が……」
頃合いを見て、譜吟は両手を二度打ち鳴らし、コシュカに言い放った。
「コシュカ、その辺にしとけ。腕試しはもう充分だろ」
「腕試し?」
譜吟から飛び出た単語を、夢二が不思議そうに繰り返した。
円卓から下りた瑞月は、コシュカに向かって歩みながら、淀みない口調で語り掛ける。
「コシュカ、あなたの目的は桜仙花学園の調査や紅華の拘束ではなく、単に私の力を試す口実がほしかっただけでしょう? 総代の指示か、あなた個人の判断かは図りかねますが、何にせよお嬢様協定を弄ぶのは感心しませんわね」
コシュカの眼前に立つと、瑞月は胸に手を当て、鮮烈な眼差しで彼女を射すくめて言った。
「私の力を推し量りたいのであれば、正々堂々正面からお越しなさい。このような小細工を弄さずとも、私は逃げも隠れもいたしません。総代にもそのようにお伝えなさい」
瑞月の言葉にも、コシュカはしばらく応じるどころか、歯を食いしばるばかり。
ややあってコシュカは、床を拳で殴りつけ、絶叫した。
「なぜです!」
円卓の間を超え、地上まで響き渡りそうなほどの声量だった。
視線で射殺せそうなほどに瑞月を睨み上げ、コシュカは声を限りに問い詰めた。
「それほどの力をお持ちになりながら、なぜ輝知様は総代と袂を分かったのですか! お二人が力を合わせれば、離宮を……いえ、この世の全てを意のままにできたはずでしょう!」
コシュカの問い掛けを、眼光を、瑞月は無言で受け止める。
それはさながら、反響するコシュカの声を、彼女自身に聞かせるような沈黙だった。
静寂が満ちると同時に、瑞月は口を開いた。
「全てを意のままになんて、できるわけがないでしょう」
聞き分けのない幼子を諭すような、厳然とした声音だった。
コシュカを見下ろす瑞月の目には、哀れみとも軽蔑ともつかない色が宿っている。
「思い上がりも大概になさい。あの凄惨なお嬢様事変も、現在世界中で繰り広げられている悲劇も、突き詰めればその『他人を思い通りにしたい』という恥ずべき傲慢によって招かれているのですよ。平穏な世界の構築に必要なものは、尊重と住み分け……今の離宮を見れば自明の理でしょう」
「そんな世界は紛い物ではありませんかッ!」
コシュカは再三叫び、円卓に左手を叩き付けた反動で立ち上がった。
血走った目を見開き、コシュカは声高に瑞月を詰る。
「ワタシはありきたりな一般論ではなく、あなた様の本心を問うているのですよ! 少なくともワタシは、たとえ再び離宮の平穏が崩れたとしても見たかった! 総代と輝知様が築く新世界を……!」
「実に自己中心的で稚拙な考えですわね。このようなことを申し上げるのは心苦しいのですが、今のコシュカでは私はおろか、高遠さんや弥勒寺さんにすら遠く及びませんよ」
今度の瑞月の顔には、明確な軽蔑の表情が宿っていた。
コシュカは歯を剥き出しにして怒りを表すも、震える唇が言葉を成すことはない。
破れかぶれのコシュカが、新たな戦いの火蓋を切るかと思われたその時、不意に円卓の間の扉が開いた。
「そんな世界は紛い物……そのご意見には賛同しますよ、富良様」
それは誰の耳にも聞き馴染みのない声だった。
瑞月が声の方に目を遣ると、入り口には四人の黒ずくめの集団が立っていた。
誰もが一様に狐の面を被っており、正体は窺い知れない。
異様な出で立ちに、瑞月は警戒心を露に忠告する。
「何者です? 盟約の教会は、会談中は何人たりとも立ち入り禁止ですよ」
「そう身構えないでいただきたい、輝知様。我々はあなたに、素敵な提案を持ち掛けに来たのですから」
狐面の一人は手で瑞月を制し、背後にいた者に手で合図した。
新たな二人の狐面に両肩を支えられる形で現れたのは、蓮野ウテナだった。
服は埃と血で汚れ、気絶しているのか目を閉じてぐったりと身を預けている。
「ウテナ……!?」
「告解の間で抵抗されたので、失礼ながら無力化させていただきました。これほど手ごたえがないとは、闇堕ちお嬢様の巣窟と言われたメビウスも凋落したものですね」
緊迫した声を上げるコシュカに、狐面は嘲弄の滲む声で言った。
続けて狐面は、瑞月と譜吟に顔を向ける。
「輝知様、佐羽足様、これはまたとない好機ですよ。桜仙花・黎明の二校と我々【マスカレード】が手を組み、今度こそ聖イリアを屈服させるのです」
瑞月と譜吟は、横目で視線を交わらせた。
その一瞬で互いの目に含みがないことを確認し、瑞月が問い返す。
「手を組んで聖イリアを屈服させる……? なぜそのようなことを?」
「訊かずともお分かりでしょう? あなた方は口先では『尊重と住み分け』などと嘯きながらも、本心では闇堕ちお嬢様の巣窟たる聖イリアなど、離宮からいなくなればいいと思っている。追放が無理でも、自警組織メビウスを解体し、二校の監視下に置けば事実上無力化できる。我々はその手助けをしたいのですよ」
皆まで聞かず、瑞月と譜吟が同時に動いた。
瑞月は刀の血払いのように腕を一振りし、譜吟は首を大儀そうに鳴らし、剣呑な声で質問を重ねる。
「訊きたいのはそういうことではありませんわ」
「ああ、何でテメェらみてぇな雑魚とオレたちが手を組まなきゃならねーんだって訊いてんだよ」
「残念ながら、皆様に選択の余地などないのですよ」
狐面の視線が、瑞月の背後のコシュカに向けられた。
続けて気絶したウテナを一瞥し、狐面は誰にともなく語り掛ける。
「輝知様は戦闘で消耗しているご様子。そして我々はメビウスのメンバーをほぼ無傷で制圧した。これが何を意味するかお分かりでしょう? 紅華と八咫烏が我々と敵対すれば、我々はメビウスの側に付く。桜仙花と黎明にとってそれは最悪の展開であるはず。ゆえに結論は一つしか残されていないのですよ」
瑞月が背後を見遣ると、殺気立った様子のコシュカと目が合った。
万全とは言えずともコシュカの戦意、そして瑞月への敵対心は健在。
謎の狐面六人と、このような閉所で挟み撃ちにされるのは、確かに好ましくない状況だ。
狐面の目的が何にせよ、いつコシュカに背中から襲われるか分からない以上、今はコシュカの無力化を図るのが最も得策。
メビウスのために余計なリスクを受け入れる必要はない。
狐面との交渉なり敵対なりは、その後からゆっくり考えればいい。
「……要するに、そうさせるのが狙いということですわね」
瑞月は小声で結論を呟くと、コシュカから視線を背けて狐面に向き直った。
コシュカに無防備な背中を晒し、自分たちと相対した瑞月に、狐面は挑発めいた言葉を浴びせる。
「どうなさったのです? 迷うことなど何もないでしょう? よもや、闇堕ちお嬢様のメビウスに情でも湧いたのですか?」
瑞月は何も言わない。ただ、戦闘の構えすら取らず、冷たい目で狐面と相対するばかり。
瑞月の背後で、コシュカが物音を立てたと同時に、狐面たちは勝ち誇った声を上げて瑞月に殺到した。
「その甘さが命取りだと言うのです! ならば我々はお望み通り、メビウスとともにあなた方を打倒するまでですよ!」




