第36話 VSマスカレード(2)
わたしと八千重ちゃんは目配せを交わし、いつでも動けるよう全身に力を込める。
避けられない戦闘を予期していただけに――続くイスカちゃんの言葉は予想外だった。
「でもまぁ、バレちゃったなら仕方ないね。ここで二人の口封じをしても時間の問題みたいだし、あたしは桜仙花学園を出ていくよ」
「……え?」
気の抜けた声が、わたしと八千重ちゃんのどちらから発せられたのか分からなかった。
イスカちゃんは狐面をその場に投げ捨て、腰掛けていたステージから下りて伸びを一つ。
「陰謀ってのは疑われた時点でご破算なんだよ。離宮を捨てるのはちょっと惜しいけど、膠着状態のここにこだわる必要もないしね。転校先で離宮以上のお嬢様事変を起こして、今度こそあたしは最強のお嬢様になる。日本全国を探せば、いくつか目ぼしい候補は見付かるでしょ」
そのまま大講堂の出口に向かうイスカちゃんの足が、狐面を真っ二つに踏み砕いたが、イスカちゃんは気にも留めていない。
このままイスカちゃんが大講堂を出れば、彼女とわたしの運命は永遠に交わることはないだろう。
正直言って、こんな異常なイスカちゃんとはこれ以上関わりたくない。
何か言ったら今度こそ戦うことになるかもしれない。
何もしなければイスカちゃんは離宮から出て行くんだ。
離宮の外で彼女が何を企もうと、わたしの知ったところじゃない。
わたしには関係ない。
そんなことを考えかけたわたしの脳裏に、イスカちゃんとの思い出が蘇る。
我知らず、わたしは口を開いていた。
「はっきり言うよ。イスカちゃんは、いろんなことを勘違いしてる」
イスカちゃんは足を止め、不快そうにこちらを見返した。
別人のように冷たい目に尻込みしかけながらも、わたしは気力を奮い立たせて立ち向かう。
「最強のお嬢様っていうのは、ただ腕っぷしが強いだけの女の子じゃない。紅華や輝知会長が賞賛されたのは、ただ暴力に暴力で打ち勝ったからじゃない。弱い立場の人を思いやって、見返りを求めず地道に献身して、誇りを忘れず優雅に振る舞って……そうして少しずつ得た信頼こそが、最強のお嬢様っていう勲章の本質なんだよ。紅華に入った時期とか、喧嘩で勝ったとか負けたとか、そんなの大した問題じゃないんだよ」
このままイスカちゃんを見過ごせば、傷付く人がたくさん出てくる。
離宮の外のお嬢様だけじゃなくて、イスカちゃん自身もだ。
我が身可愛さに見て見ぬ振りして、それでわたしは胸を張って最強のお嬢様を名乗れるの?
――そんなわけ、ないでしょ!
お嬢様の端くれとしての誇りを胸に、わたしはその言葉を突き付けた。
「目を覚ましてよ。このままだとイスカちゃんは、最強どころかお嬢様にすらなれない。仮初の見栄のために周りの人を踏みにじる、醜悪なモンスターになっちゃうんだよ!」
わたしごときの言葉でイスカちゃんが思い留まる可能性は低いかもしれない。
それでも、ここで言うべきことを言わなければ、わたしは一生後悔すると思った。
ウテナちゃんとの決別を、八千重ちゃんが今でも心残りにしているように。
案の定というべきか、イスカちゃんは退屈そうに首を回し、わたしの精一杯の想いを一蹴する。
「認識の相違だね。陽香ちゃんが言っているのはポジショントークの綺麗事だよ。事変後世代のあたしたちが、地道に勉強と筋トレと人助けに励んだところで、一体どれだけの人があたしたちを輝知会長と同格以上のお嬢様だと認めてくれるの? 事変を戦い抜いた輝知会長が、そうでないあたしたちを対等と認めてくれるって本気で思ってるの? 先輩の引き立て役や後輩のアイドルとして消費されるだけなんてあたしは御免だよ。あたしが求める本物の勲章は、本物の死闘の果てにしか獲得できないんだよ」
どこまでも乾いた言葉を返され、わたしは唇を噛んだ。
ここまで議論が平行線では、もはや説得の余地などない。
イスカちゃんは完全に歪んだ思い込みの世界に閉じこもってしまっている。
やはりわたしでは何もできないのか――そう諦めかけた矢先、八千重ちゃんの口から思いがけない言葉が飛び出した。
「では認識の相違など存在しない、歴然とした事実を適示しましょう。一ノ瀬さんは、そもそもご自分の力を過大評価されておりますよ」
「は?」
イスカちゃんが反射的に発した声は、これまでと大きく異なる響きを伴っていた。
立ち尽くすイスカちゃんに、八千重ちゃんは薄く笑い、わざとらしい抑揚を込めた声で言った。
「理解できませんでしたか? 一ノ瀬さんは、弱いと言っているのです。お嬢様事変を人為的に起こして英雄を気取りたがっているようですが、頭が悪いからその計画は十中八九成功しない。万一成功したとしても、力が弱いから英雄視されることはない。どう転んでもあなたは要らぬ恥をかくだけ、だから大人しくしていた方が身のためだと、そう申し上げているのです」
体を小刻みに震わせるイスカちゃんは、明らかに平静を欠いている。
挑発めいた真似に乗っかるのは不本意だけど、生じた心の隙を逃すまいと、わたしは必死の思いでイスカちゃんに訴えかけた。
「八千重ちゃんの言い方はちょっときついけど……でも、わたしも同じ意見だよ。今のイスカちゃんは、地道な努力を嫌がって一発逆転で成り上がろうとしてるだけだよ。ぶっちゃけ悪質な情報商材とか闇バイトを真に受けて応募しちゃう残念な人たちと同類だよ!」
「陽香さん、さすがにそれはぶっちゃけすぎかと……」
「えっ?」
八千重ちゃんに窘められて困惑しかけたわたしの耳朶を、けたたましい振動が打った。
イスカちゃんが右足で力任せに床を踏みつけた音だった。
顔を俯けるイスカちゃんの表情は窺い知れないけど、とめどなく震える声が、抱く感情の程を如実に表している。
「……あのさ、なんか勘違いしてない? まさかとは思うけど、これまであたしが一度でも二人の前で全力を見せたと思ってるの?」
イスカちゃんは徐に顔を上げ、残忍な笑みを湛えて尋ねた。
「そこまで言うなら試してみる? こう見えてもあたし、結構強いんだよ」




