第35話 VSマスカレード(1)
桜仙花学園、大講堂。
聖なる神殿のように立派なそこは、使用されていない時間帯はひっそりと静まり返っている。
自分の鼓動さえも聞こえそうな中、わたしはステージ前でその人物を待っていた。
大講堂のドアが重々しく開き、向こう側から遠慮がちに人影がこちらを覗く。
わたしの姿を認めると、彼女は安心したように顔を綻ばせた。
「陽香ちゃん!」
こんがりと日焼けした活発なお嬢様、一ノ瀬イスカ。
わたしの元に駆け寄ると、イスカちゃんは口早に気遣いの言葉を掛けてくれる。
「スマホ、見付かったんだね! よかった! お嬢様会談は何ともなかった? てか、いきなりこんな所に呼び出してどうしたの? 通学路の見回りを抜け出す言い訳にちょっと困っちゃったんだけど……」
「……イスカちゃん」
親身になってくれるイスカちゃんに、邪気は全く感じられない。
今日まで笑い合い、高め合ったクラスメイトのそれだ。
ひょっとしたら全部、わたしの勘違いかもしれない。
数秒間だけ、わたしはその先を言うべきか迷ったけれど。
「イスカちゃん、なんだよね。あの日、ライムちゃんにわたしと八千重ちゃんを襲わせたのは」
わたしは腹を括り、一呼吸のうちに言い切った。
イスカちゃんは時が止まったように硬直し、困り顔でたどたどしく訊き返してくる。
「……えっ、何のこと? 何で急にライムちゃん? 陽香ちゃんを襲ったのはライムちゃんだったってこと? それをあたしがさせたって……何で?」
本気で戸惑うイスカちゃんに胸が痛むが、いずれにせよこのモヤモヤを抱えたまま彼女と接することはできない。
わたしはスマホを取り出し、ゴミ箱から復元したその画像を見せた。
そこには下着姿のわたしのみならず、折しもシャワー上がりのイスカちゃんが後ろに映り込んでいる。
イスカちゃんの左胸の辺りは、よく見ると不自然に赤みがかっている。
「目的は写真だよね。わたしが更衣室で自撮りして、偶然イスカちゃんが映っちゃった時の。あの日のイスカちゃんは、メビウスのウテナちゃんと交戦したせいで傷を負っていた。だからその証拠を確実に消すために、ライムちゃんの弱みに付け込んでわたしにけしかけた。イスカちゃん、しがない公務員の娘って言ってたけど、ひょっとしてそれって警察官僚なんじゃないの?」
大半は内部進学組のお嬢様なのだから、新入生全員を調べ上げる必要はない。
わたしやライムちゃんのような外部生に絞れば、さして労せず弱みを握れそうな相手を厳選できるはず。
あの日、イスカちゃんが朝早くにジムでシャワーを浴びていたのは、ウテナちゃんの襲撃後に汗や汚れを洗い流していたから。
ライムちゃんに同じ狐面を使わせたのは、組織的な犯行と誤認させて攪乱を狙い、あわよくばウテナちゃん襲撃の罪も押し付けようと企んだのだろう。
事実、今日のお嬢様会談はその結論のせいで紛糾したようなものだ。
写真を見せられたイスカちゃんは、しばしポカンとした後、困惑と怒りが混じった声で捲し立てた。
「何の話をしてるのか全然分かんないよ。えっ、これドッキリ? あたし何か試されてる? 本気で言ってるならひどいよ! 陽香ちゃんのことは大事な友達だと思ってたのに、そんな憶測で疑われるなんて……」
「うん、正直動かぬ証拠はないよ。犯人が手紙から足が付くようなポカをするとは思えないし、戦ったウテナちゃんの証言を取ったところで、関係ない傷だって言い張られたら多分それまでだから。……でもね、わたし、ずっと引っ掛かってたことがあるんだ」
そう前置きを挟んでから、わたしはイスカちゃんの目を覗き込み、その質問をぶつけた。
「わたしたちが襲われた次の日に、イスカちゃん言ってたよね。『陽香ちゃんが襲われた理由は、入会試験でリタイアした生徒の逆恨みかもしれない』って。襲われたのはわたしと八千重ちゃんの二人だったんだから、順当に考えればターゲットは知名度が高い八千重ちゃんだって思うはず。なのにイスカちゃんは、どうして犯人の狙いがわたしだって分かったの?」
その時。
イスカちゃんの瞳から温かな光が消えたのを、わたしは確かに見た。
深呼吸を一つしたイスカちゃんは、頭を荒っぽく掻いてぼやく。
「……あー、やっぱアレ悪手だったか。ライムちゃんの襲撃とセットで内乱の火種に育てたかったけど欲はかくものじゃないね。それにしても萎えるなぁ、せっかくあたし以外に疑いが向くようにあれこれ仕込んだのに無駄骨じゃんか……」
疑念が確信に変わった瞬間だった。
胸ぐらに掴み掛かりたい気持ちを抑え、わたしは叫んだ。
「答えてよ、イスカちゃん!」
がらんどうの大講堂にわたしの声が木霊し、耳鳴りがするほどだった。
擦れた目を向けるイスカちゃんに、わたしは怒りと困惑を露に問いただす。
「目的は何なの!? 内乱って何!? 最強のお嬢様になろうって誓い合ったあの言葉は、嘘だったの!?」
「嘘じゃないよ。これは紛れもなく、あたしが最強のお嬢様になるために必要なことなの」
激情に駆られるわたしに対し、イスカちゃんの言動は平然としたものだ。
言葉を失うわたしの背後から、三人目の声が届いた。
「一ノ瀬さんは紅華に潜り込んだスパイだったのですね」
柱の陰から姿を現したのは、弥勒寺八千重だ。
イスカちゃんを呼び出す前、わたしは教会を脱出していた八千重ちゃんに連絡し、万一の事態に備えて大講堂に控えてもらっていた。
『もしわたしの勘違いだったら、見聞きしたことは全部忘れて』……そんなお願いをした上で。
八千重ちゃんもまた、その目に攻撃的な気配を宿らせてイスカちゃんに迫る。
「第三次お嬢様事変を起こし、離宮の覇権を取るための。どこの差し金ですか? 黒幕はメビウスの総代かと思っていましたが、ウテナを襲ったということはもしや八咫烏が――」
「三十点ってとこかな。優秀な弥勒寺さんらしくないね」
八千重ちゃんの台詞を、イスカちゃんは嘲弄の滲む声で切り捨てた。
大講堂のステージに腰掛け、大儀そうに足を組む。
「第三次お嬢様事変……というか離宮内の闘争を誘発しようとしたのは合ってる。だけどそれ以外は全部筋違いもいいとこだよ。あたしは離宮でどの学校が覇権を取るかなんかに興味はないし、他校の差し金でスパイをしていたわけでもない。言ったでしょ、あたしが最強のお嬢様になるために必要なんだって」
「……どういう意味です?」
「分かんないか。陽香ちゃんはまだしも、弥勒寺さんなら共感してくれると思ったんだけどな」
八千重ちゃんの不可解そうな呟きを聞き、イスカちゃんはやるせなさそうに首を横に振った。
そして顔を上げ、どこか遠くを見る目でイスカちゃんは語り出す。
「事変中の紅華はさ、輝いていたよね。荒れ狂う暴力の波に果敢に立ち向かって、お嬢様たちの賞賛を一身に浴びて。あたしも弥勒寺さんも、紅華みたいになりたいって思って、こうして入会を果たせたんだよね。でもさ、これって本当にあたしたちが求めたものなのかな?」
顔を下げたイスカちゃんは、八千重ちゃんとわたしに視線を遣り、蔑むように鼻を鳴らす。
「今の紅華は、はっきり言ってダサいよ。ぬるい筋トレとお稽古に励んで、しょぼい犯罪を警察気取りで取り締まって、他校の自警組織と馴れ合って、か弱きお嬢様から通り一遍の歓声と感謝を受けて、優越感に浸っているだけの偶像だよ。あたしたちが憧れた最強のお嬢様はそんなんじゃないでしょ? 全身を返り血と傷まみれにしながら優雅に戦う戦姫――ううん、戦鬼でしょ?」
イスカちゃんは両手を持ち上げ、あからさまに不満を呈した。
「ずるいじゃん。あたしたちがやっと紅華に入れるようになったと思ったら、お嬢様協定が結ばれて離宮に平和が訪れてさ。そりゃ死ぬ気で体を鍛えればいつかは輝知会長より強くなれるかもしれないよ。でもね、あの闘争の時代に戦えなかったあたしたちは、本当の意味で輝知会長を超えることはできないんだよ。離宮に平和が続く限り、あたしたちは永遠に【最強のお嬢様】にはなれないんだよ」
イスカちゃんの話が一段落しても、わたしは即座にその内容を理解することができなかった。
そして、ようやく理解できても、到底呑み込むことができなかった。
順を追って話を整理したわたしは、その悍ましい目的を恐る恐る口にする。
「つまり、イスカちゃんは……自分が最強のお嬢様になるために、自作自演のお嬢様事変を起こそうとしていたってことなの!?」
引き攣った声で問うわたしに、イスカちゃんは昏い笑顔を向けるばかり。
無言の肯定を受け、八千重ちゃんは声高に糾弾した。
「あなたは狂っています! そんな我欲のために、あの凄惨な闘争をまた起こそうと画策していたのですか!?」
「狂ってなんかないよ。誰だって一度は考える、普通で一般的なありふれた欲求だよ。『生まれた時代さえもっと早ければ、私は英雄や偉人になれたのに』……っていうね」
イスカちゃんは片手を無造作に振り、皮肉っぽく答えた。
世間話のような平然とした口調が、彼女の発言の異常性をより際立たせている。
イスカちゃんはステージに腰掛けたまま、足をぶらぶらさせて言った。
「それが証拠に、あたしと同じ考えのお嬢様は結構たくさんいたよ。桜仙花だけじゃなくて黎明や聖イリアにも、ついでに離宮の外にもね。聖イリアの生徒とは一度直接会う予定だったんだけど……待ち構えていたのがメビウスのメンバーで、しかも出合い頭に攻撃してきたのにはびっくりしたよ。ひょっとして嵌められたのかな?」
看過できない新事実がさらりと提示され、八千重ちゃんは鋭く問いただす。
「誰なのです、あなたの仲間は? 桜仙花には他に何名紛れ込んでおりますの?」
「教えない。ってか、知らない。あたしたちは匿名で連絡し合っているし、リアルで会う時も必ず顔を隠すようにしてるから。何人かは学校名も偽ってるんじゃないかな? 不便は不便だけど、この状況が答えだよね」
イスカちゃんの右手には、いつの間にか見覚えのある狐のお面が握られていた。
狐面で顔半分を隠し、イスカちゃんは不敵に嗤う。
「あたしを捕まえたところで無駄なんだよ。あたしたちは【マスカレード】。誰も知らないけど、どこにでもいる。それしか話せないけど、それが全てなんだ」




