第3話 離宮に咲く紅き華(3)
学生寮に向かう途中だったことを話すと、輝知会長と翠子さんが護衛を兼ねて案内してくれる運びになった。
人通りの少ないのどかな歩道を並んで歩き、輝知会長が切り出す。
「基本的なところから始めましょう。まず、ここが東京湾の一部を埋め立てて造られた経済特区であることはご存知ですか?」
「はい、そこまではもちろん」
言いながらわたしは周囲を見回した。
行き交う人も自動車も片手で数えられるほど少ないためか、アスファルトは黒光りするほどに真新しい。
街路樹は丁寧に剪定され、ビルも一戸建ても店舗も風格ある瀟洒なものばかり。さながら街そのものが高貴な雰囲気を纏っているようだ。
輝知会長の話は続く。
「企業重役に芸能人に代議士と、国内有数の実力者が集うこの地――通称【離宮】では、彼らを誘致するために税の優遇・賭博・国内未承認の治療・希少動物の飼育許可など、様々な特権が試験的に与えられています。そのおかげで税収上は独立国家を名乗れるほど豊かなのですが、ここで少々の問題が発生しました。住民全体の権力が強くなりすぎて、警察機関が機能不全に陥ったのです」
「機能不全って、それ、相当まずいのでは……?」
不穏な単語が聞こえ、わたしは引き攣った声で尋ねた。都会のお嬢様と舞い上がってたけど、とんでもない世界に紛れこんでしまったのでは?
わたしの懸念に対し、輝知会長の答えは冷静そのものだ。
「そうおかしなことでもないのですよ。多少の逸脱行為に目を瞑ってでも彼らには離宮に残ってほしいというのが行政側の本音ですし、離宮に邸宅を構えるような実力者は、身辺に護衛を配備する程度のことは造作もありませんから。財力や権力が大きい者ほど警察の恩恵は薄れる……それは一つの事実です」
理屈としては分かるけれど、至極平穏な地方出身の身としては考えられない価値観だ。都会どころか海外に来てしまった気さえする。
「ただ、大人の社会はそれで秩序が保たれても、未成年の社会はそうはいきません。親が権力を持っていることに加えて、よりセンシティブな問題に発展しかねないために、大人は軽々に手を出せない。外部に子細な状況が流れることはありませんでしたが、一時期の離宮は非常に殺伐としていたのですよ」
輝知会長は後ろ手を組んで空を仰ぎ、晴れ晴れとした面持ちで言った。
「ゆえに我々は、結論を導き出したのです。我々学生自身が自警組織を立ち上げて、秩序を守ればいいのだと」
「何で……?」
ごく自然な流れで論理が飛躍し、つい疑問が口を衝いて出てしまった。
狐に摘ままれた表情のわたしを見て、輝知会長はクスクスと笑う。そんな些細な仕草すらも麗しく見えるから不思議だ。
「結局のところ、自分の身は自分で守るしかないということですよ。権力には権力で、暴力には暴力で。もちろん、振るう力には覚悟と責任が伴うという前提ですけれどね」
輝知会長は足を止め、わたしに向き合った。
溢れ出るやんごとなきオーラに当てられ、直視すらもままならないわたしに、輝知会長は凛然と胸を張って自己紹介した。
「私は桜仙花学園の生徒会長であると同時に、自警組織【紅華】の会長を務めております。こちらの中津川翠子は副会長、頼れる私の片腕ですわ」
「恐れ入ります。ご紹介に与りました中津川と申します」
翠子さん改め中津川さんは、輝知会長の紹介を受けてわたしに一礼した。
口数が少なく表情の変化も乏しいけれど、彼女の立ち居振る舞いや言葉遣いには、確かに輝知会長の片腕に相応しい気品が伴っている。
不格好に礼を返してから、わたしは二人のやり取りを思い返して訊いた。
「それじゃあ、さっき言っていた【八咫烏】っていうのは?」
「それは他校の組織ですよ。離宮には女子校が三つあるのですが、そのうちの一つ【黎明学園】により編成された自警組織が【八咫烏】です」
輝知会長と同じくらい強いお嬢様が、これから通う桜仙花学園だけでなく、他校にもたくさん存在する。
その事実に興奮したわたしは、胸元で両手を握って声を弾ませた。
「格好いいです! か弱き乙女の平穏を守るために、輝知会長を筆頭に、離宮のお嬢様たちが力を合わせて悪に立ち向かっているんですね!」
「そう……ですね。まぁ、そんなところです」
輝知会長はそう肯定したものの、口調はどこか歯切れの悪いものだった。
中津川さんも先ほどより神妙な表情をしているように見える。
その違和感をわたしが指摘する前に、輝知会長は咳払いを一つしてから、朗々と宣言した。
「正しきことを判断するための『心』、知識を蓄え誇らしい人生を歩むための『技』、理不尽な暴力に屈さないための『体』。これら全てを兼ね備えた最強のお嬢様を目指す集い……それが我々、【紅華】です」
「最強のお嬢様……」
復唱したわたしは、震えるほどの感銘を受けた。
わたしの知らない世界。わたしが憧れる姿。
そこに続く道が今、わたしの前に広がっている。
居ても立ってもいられず、わたしは輝知会長に迫った。
「あの、わたしも紅華に入りたいです! どうすれば入れるんでしょうか!?」
「護身術のお稽古であれば、我が校の武道連盟の有志によるクラブもありますよ。不埒者から身を守るためなら、紅華に入らずともそれで充分な技術は身に付きますが」
そう断りを入れる輝知会長に、わたしは首を横に振って応じた。
「いえ、それじゃ足りないんです! わたしも最強のお嬢様になりたい! 輝知会長の隣に立っても恥ずかしくないくらいの!」
わたしのその言葉に、傍らの中津川さんがピクリと反応したように見えた。
輝知会長は口元に手を当て、上品に顔を綻ばせる。
「うふふ、嬉しいことを言ってくれますのね」
そして輝知会長は、芝居がかった仕草で右手をわたしに伸ばし、告げた。
「もちろん歓迎しますよ。我々と共に目指しましょう、最強のお嬢様を」
「はい! よろしくお願いします!」
輝知会長のしなやかな手に触れてドギマギしながら、わたしは上擦った声で精一杯の返事をした。
この出会いが、わたしをとんでもない運命に招き入れることになるなんて、夢にも思わずに。




