第22話 仮面の襲撃者(5)
わたしと弥勒寺さんが無人タクシーで学校に向かう間、車内にはずっと気まずい沈黙が漂っていた。
わたしに関して言えば、沈黙の理由は、弥勒寺さんがずっと窓ガラスの外を見ているせいだ。
狐面のこととか怪我のこととかいろいろ話したいことはあるんだけど、今の弥勒寺さんは『話しかけるな』オーラを全身から放っているような気がしてならない。
わたしよりも深手を負ったわけだし、痛みでそれどころじゃないのかな。
そんな風に悶々と考え込んでいると、当の弥勒寺さんが唐突に口火を切った。
「言ってくれますのね、わたくしが弱い人だと」
一瞬何の話か戸惑いかけ、すぐにわたしは思い出した。
わたしが火虎先輩に言った台詞、『わたしは、弱い人や大切な人を守れるようになりたくて――』それが意図せぬ解釈をさせてしまったらしい。
「あっ、いや、あれはそういうことが言いたかったわけじゃなくて、言葉の綾といいますかその……」
弁解を試みたわたしを遮り、弥勒寺さんは窓の外を見たまま言った。
「本当は、何がお望みなんですか?」
「え?」
今度は本当に何の話か分からない。
キョトンとするわたしに、弥勒寺さんは苛立たしげな問いを重ねる。
「惚けないでください。わたくしはこれまで高遠さんに友好的に接してこなかった、むしろ恨まれてもおかしくない人間です。とても友達と呼べる立場ではありませんし、身を挺して助けたり、嘘をついて庇ったりなんてもってのほか。それこそ、わたくしに借りを作ることで何かしらのメリットを引き出さない限りは」
弥勒寺さんの目が、窓ガラス越しにわたしを捉える。
その口元をシニカルに吊り上げ、弥勒寺さんは言った。
「目的はお金ですか? それとも経済界の人脈を……」
「わたしが弥勒寺さんを恨むって、何で?」
「え?」
わたしがそう疑問を呈すと、今度は弥勒寺さんが素っ頓狂な声を上げた。
こちらを向いた弥勒寺さんの顔には、驚きの表情が張り付いている。
弥勒寺さんが抱く誤解を解くべく、わたしは続けて言った。
「弥勒寺さん、わたしのことが気に食わなかったはずなのに、陰口とか嫌がらせみたいなことは全然しなかったじゃん。あの厳しい言葉は純粋にわたしへの気遣いと忠告だったんでしょ? だからむしろ感謝しているんだよ。弥勒寺さんと出会えなかったら、わたしは今も桜仙花学園のレベルを履き違えたまま呑気に過ごしちゃってたと思うから」
わざわざ二人きりの時に厳しい言葉を掛けたことにも、その後の『高遠さんの存在など些末な違い』という台詞にも、そこには弥勒寺さんなりの思いやりが込められていた。
もし公衆の面前でそのように詰られていたら、わたしはすっかり委縮し、周囲への迷惑を鑑みて自主退学していたかもしれない。
桜仙花学園のお嬢様は、みんな優しい。
そして、優しい言葉だけが優しさの形じゃない。
わたしの言葉を聞いた弥勒寺さんは、意外そうに目を瞬いてから、そっと視線を背ける。
「しかしわたくしは、自分の能力を過信して、そのせいで高遠さんを危険な目に……」
「わたしは気にしてないって。それだけ弥勒寺さんが本気で最強のお嬢様になろうとしているってことでしょ? その心意気はすごく立派だし、わたしも見習わなきゃと思ってるよ」
弥勒寺さんの自責をきっぱり断ち切り、わたしは右手を差し伸べた。
「友達だからこそ厳しくしなきゃいけない時も、大事な気持ちを譲れないこともある。わたしにとっては、とっくに弥勒寺さんも大切な友達だよ」
再び窓の外に視線を移した弥勒寺さんは、しばし無言のままだった。
いきなり距離を詰め過ぎたかな、弥勒寺さんはこういう馴れ合い好きじゃなさそうだしな……などと右手を宙に浮かせたまま考えていると、やがて蚊の鳴くような声がわたしの耳に届いた。
「……八千重」
「え?」
わたしが訊き返すと、弥勒寺さんはバッと顔をこちらに向け、わたしの手を力任せに握った。
「呼び方! 苗字じゃなくて、名前で呼ぶことを許して差し上げますと言っておりますのよ! 至上の喜びと感謝なさい!」
見ればその目は真っ赤に充血している。
彼女なりに精一杯の勇気を振り絞った答えなのだろう。
わたしはその勇気に、心からの笑顔をもって応じた。
「うん、分かったよ、八千重ちゃん! わたしのことも陽香って呼んでいいから!」
呼び方が変わるだけ。そんな小さな変化も、わたしにとっては大きな進歩だ。
右手を固く握り合い、友情を確かめ合い、右手を固く握り合い、見つめ合い、右手を……あれ、なんか長くない?
と思った矢先、八千重ちゃんは握った手を強引に引き寄せ、わたしに迫った。
「それはそれとして! 借りを作りっぱなしではわたくしの気が済みませんわ! 陽香さん、何かわたくしにしてほしいことはありませんの!? どのようなご要望も弥勒寺の名に懸けて必ずや履行させていただきますので! その代わりこれで貸し借りは無しですので!」
「い、いいよ、別に見返りがほしくてやったことじゃ……」
勢いにたじろぎつつ固辞するわたしだったが、八千重ちゃんは鼻が触れそうなほど顔を近付けて凄んでくる。
「あぁん!? よもやあなた、わたくしのお返しなんていらないと仰りやがるおつもりですか!?」
「いやそういう話じゃなくて……」
このお嬢様……思ったよりめんどくさいぞ!
八千重ちゃんの性格的に、これ以上断っても逆効果かもしれない。
それなら遠慮なくと、わたしはかねてからの疑問をぶつけることにした。
「そ、それじゃあさ……その縦ロール、どうやってセットしてるのか教えてくれない?」
「……はい?」
八千重ちゃんは気勢を削がれたように目を点にし、呆けた声を上げる。
ようやく解放された手を振り、わたしは慌てて付け加えた。
「あっいや、秘密だってなら全然いいんだけど! 入学式の時からずっと気になってたんだよね、いつ見ても全然崩れてないし。お手伝いさんにやってもらってるのかなーとも思ったけど、朝練の時にポニーテールだったってことは、自分でセットしてるんだよね? やっぱり特注のヘアスプレーとかカーラーとか使ってるの?」
立て板に水の質問を浴びせられた八千重ちゃんは、しばし処理落ちしたようにフリーズしていたが、やがてその肩が不自然に痙攣し始める。
恐る恐る様子を窺うと――その顔に浮かんでいたのは、あどけない笑顔だった。
「全くあなたは、おもしれー女ですわね」




