第21話 仮面の襲撃者(4)
狐面の黒い影が見えなくなったところで、ようやく火虎先輩は戦闘態勢を解いた。
強者同士のぶつかり合いが一段落し、わたしは半ば放心状態で息をつく。
「勝った……んですよね……?」
「逃げられただけだ。捕まえて尋問したかったが、この状況じゃ深追いはできねーな」
火虎先輩は頭を掻き、苛立たしげに吐き捨てた。
倒れたわたしたちを見下ろす火虎先輩の眼差しは、わたしたちへの気遣いどころか、非難に満ちたものだ。
「高遠、弥勒寺、なぜ逃げなかった? 言ったはずだぞ。力を過信するな、逃げることは護身の基本だと」
狐面に向けられたものと同等、或いはそれ以上の怒りが、わたしたちに向けられている。
火虎先輩は片膝を付き、わたしと視線を合わせて言った。
「紅華の訓示、言ってみろ」
「気高く、優雅に、したたかに……」
舌に染み付いた訓示をわたしが唱えると、火虎先輩は厳かな表情のまま頷く。
「そうだ。いいか、俺たちは『勝てない相手に一か八かの戦いを挑む』なんてバカな真似はしない。泥臭くあがいた結果の敗北や、顔に付いた醜い傷を、『戦士の勲章だ』なんて誇ったりはしない。引き際を弁えず己をみだりに危険に晒すのは、訓示の三つのどれでもない。自分自身のみならず、周囲をも危険や悲しみに陥れる愚者の振る舞いだ」
戒め、諭す火虎先輩の言葉が、わたしの胸深くに刻まれる。
火虎先輩は立ち上がり、腕組みしてわたしを問い詰めた。
「もう一度訊くぞ。なぜ逃げなかった? 返答次第では、お前たち二人を紅華から除名する」
わたしの視界の端で、弥勒寺さんが身動きした。
半身を起こし、掌底を受けた胸元を押さえながら口を開く。
「それは、わたくしが……」
「弥勒寺さんがあの人の不意打ちを受けて負傷して、動けなくなっていたんです。あそこでわたしが逃げたら、弥勒寺さんが一人犠牲になっていました。少しでも時間を稼ぐには、わたしが戦うしかなかったんです」
弥勒寺さんの言葉に強引に被せる形で、わたしはそう言い切った。
弥勒寺さんの困惑の気配を感じながらも、わたしは火虎先輩から目を逸らさない。
開放的な広い歩道を見回し、火虎先輩が不可解そうに呟く。
「不意打ちで行動不能……本当か? ここはそんな不意の一撃を打てるほど閉じた場所ではないはずだが」
まるっきり嘘というわけではないが、藪蛇にならないようわたしは無言に徹する。
火虎先輩はわたしに向き直り、鷹のように鋭い眼差しで射抜いた。
「まぁ、いい。だとしても高遠、お前は弥勒寺がやられた時点で逃げるべきだった。あいつの目的が何だったかは分からないが、二人まとめてやられるよりは、お前一人だけでも逃げた方がマシだったはずだ」
「わたしは弥勒寺さんの友達です!」
わたしは言下に声を張り上げた。
耳鳴りめいた残響が残るほどの声量だった。
今にも手を出しそうなほど険しい面持ちの火虎先輩に、わたしは必死に言い募る。
「わたしは、弱い人や大切な人を守れるようになりたくて、紅華に入ったんです! 無謀だったことはその通りですけど、それでもあそこで自分一人だけ逃げていたら、わたしは絶対に自分自身を許せませんでした!」
痛む体を奮い立たせて立ち上がり、わたしは胸元に右手を当てた。
憧れたお嬢様の姿に少しでも近付けるよう、堂々と背筋を伸ばし、宣言した。
「わたしはわたしの信念に従って行動しました! 紅華として、そして誇り高きお嬢様として! その結果どうなろうと、一切後悔はありません!」
わたしは寸時も目を背けることなく、まっすぐ火虎先輩と対峙する。
火虎先輩の手にかかれば、わたしなんて吹けば飛ぶようなちっぽけな存在だけど、それでも心だけは強く持ち続けて。
やがて火虎先輩は、わたしの意地に根負けしたのか、視線を背けて頭を掻いた。
「……新入り風情が、生意気を言ってくれる」
溜息交じりの呟きは、先ほどより幾分か険の取れたものだった。
安堵すべきか否か図りかねるわたしたちの前に、一台の無人タクシーが到着した。火虎先輩が呼んだものらしい。
「まぁ、お前の処遇を決めるのは俺じゃない。この件はきっちり瑞月たちと協議させてもらうよ。今夜はせいぜい養生しな」
ドアが開いたタクシーを親指で指し示すと、火虎先輩はヒラヒラと手を振り、立ち去っていった。




