第19話 仮面の襲撃者(2)
どこからか鐘の音が聞こえる十八時、つまり最終下校時刻の三十分後に、紅華の見回り当番は完了する。
火虎先輩は、不審者の事情聴取と強制送還で別行動を取っている。
そのためわたしは弥勒寺さんと二人きりで学園への帰路に就いていたのだが、その道中、長らく無言だった弥勒寺さんが唐突に口火を切った。
「あまり浮かれすぎないことですね、高遠さん」
「え?」
出し抜けの忠告の意味が分からずにいるわたしに、弥勒寺さんは続けて言った。
「今回、わたくしたちは何もしておりませんのよ。全ては火虎様のお手柄で、わたくしたちはただ突っ立っていただけです」
どうやらわたしが通報者のお嬢様たちにちやほやされていたのを見て、弥勒寺さんは気を悪くしていたらしい。
とはいえ、この件に関してはわたしにも言い分がある。
「分かってるよ。けど、たとえ突っ立ってるだけでも、それでお嬢様が安心できたならいいことじゃん。そのことを感謝してくれたなら、その気持ちには答えるべきじゃん」
わたしだって、何も考えず賞賛を享受していたわけではない。
紅華の信頼とお嬢様たちの安心のためには、今思い返してもあの対応がベストだった。
わたしにとっても今後の訓練の励みにもなると思っている。
弥勒寺さんの反論はなかったが、それでも心の蟠りは解けないのか、その表情は険しい。
「そもそも火虎様は過保護すぎるのです。あの程度の男、わたくし一人でも撃退できましたわ」
弥勒寺さんの愚痴めいた独り言が、わたしには妙に引っ掛かった。
桜仙花学園のお嬢様は、みんな寛容で優しい。
それは人に優しくするメリットも然ることながら、自分の能力と家柄に絶対的な自信があるからだ。
それなのに、能力も家柄もずば抜けているはずの弥勒寺さんは、やけにいつも気が立っているように思えてならない。
「ねぇ、弥勒寺さんは何が不満なの? 何をそんなに焦ってるの?」
わたしが踏み込んだ問いかけをすると、弥勒寺さんは足を止め――
「わたくしは! いつまでも見習い気分ではいられないのです!」
肺の底から絞り出すような大声で、そう言った。
冷静沈着な弥勒寺さんらしからぬ感情的な声が閑静な道路に響き、わたしは目を丸くした。
弥勒寺さんは爪が食い込みそうなほどに拳を握り、さらなる大声で言い募る。
「この世の中で究極的に信じられるのは自分だけ……なればこそ自分に絶対的な力がなければ、何も守ることはできない! 身の安全も、精神の安寧も、そして友情さえも! ゆえにわたくしは自他ともに認める最強のお嬢様にならねばならないのです! そうなって初めて、わたくしはようやく《《二年前のあの悲劇》》に決着を付けることができるのです!」
弥勒寺さんが言い終えると、耳鳴りめいた静寂がその場に漂った。
呼吸を荒くする弥勒寺さんを前に、わたしは彼女から飛び出た単語を復唱する。
「友情……二年前の悲劇……?」
弥勒寺さんは我に返ったように咳払いをし、落ち着いた声に戻って付け加えた。
「失礼、少々平静を欠きました。要するにわたくしは、憧れや肩書き欲しさに紅華に入会したわけではないのです。一刻も早く最強のお嬢様になるべく頭角を表したいのに、今のような手ぬるい指導方針ではそれすら難しい。そんな現状にいささか釈然としなかっただけです」
わたしは以前、弥勒寺さんが火虎先輩に『実力は紅華にも引けを取らない』と啖呵を切っていたことを思い出した。
どうやら弥勒寺さんは、わたしたち一年生と自身が同列扱いされていることに業腹なようだ。
その理由の一端に思い当たる節があり、わたしは弥勒寺さんにおずおずと尋ねた。
「あのさ、弥勒寺さん……ひょっとして、わたしのせいで変にプレッシャー感じてたりする? 庶民のわたしとの差が思ったよりも開かないから、余計に焦ってるとか……」
「なっ、何を的外れな! 以前わたくしが申したことをお忘れですか! 高遠さんの存在など、わたくしにとっては些末な……」
弥勒寺さんが心外そうに反論を試みた、その時。
不自然な足音が聞こえ、わたしと弥勒寺さんは同時に振り返った。
広く人気のない歩道の中央、そこに狐の面を被った何者かが立ち、わたしたちをじっと見つめている。
狐面は闇に溶けるような長袖の黒ジャージを着ており、わたしより一回り小さい上背だ。
恐らく女子であることは察せられるものの、分かるのはそこまで。
彼我の距離は十メートル弱だが、何となく危うい雰囲気だ。
じり、と半歩後ずさりし、わたしは狐面の不審者に尋ねる。
「な……何か、ご用ですか?」
「…………」
狐面はその問いかけに答えることなく、わたしたちに一歩近付く。
どう考えても友好的な接近ではない。
「仮面を被り、問いかけに無言……明らかに不埒者ですわね」
同じ結論を導き出した弥勒寺さんは、目を鋭く細めて狐面を睨んだ。
深く腰を落とし、戦闘態勢に入る。
「警告です。それ以上我々に近付けば反撃いたしますわ」
弥勒寺さんの警告を受けても、狐面にはまるで意に介さない。
一歩、また一歩と進める足捌きは、幽霊のように体重を感じさせない。
ただならぬ予感を抱き、わたしは慌てて弥勒寺さんに言った。
「待って、弥勒寺さん! この人、何か変な感じが――」
「無視とはいい度胸ですわね、後悔なさい!」
わたしの呼びかけも虚しく、弥勒寺さんは先手を打つべく地を蹴った。
一度の踏み込みで狐面の懐に入り込み、そのまま胸元を掴もうとする。
弥勒寺さんの目にも留まらぬ速攻を、狐面は体を後ろに倒してかわした。
そのままバク転の要領で地面に手を付き、弥勒寺さんの伸ばした右腕を思いっきり蹴り上げる。
「ぐっ……!?」
「弥勒寺さん!?」
弥勒寺さんの表情が一気に険しくなり、わたしは息を呑む。
狐面の身のこなしは軽やかだが、音から察するに今の蹴りはかなり重い一撃だった。
弥勒寺さんは腕を押さえ、狐面をハッタと睨む。
「この、狼藉者……!」
「弥勒寺さん、ダメ! 逃げるよ!」
わたしが必死に呼びかけても、弥勒寺さんは頑なに退こうとしない。
ダメージを受けた右腕を引き、左半身で構えを取る。
体格差を活かし、手足のリーチで狐面に攻撃を仕掛ける。
それでも狐面はゆらゆらと左右に体重移動するだけで、いとも簡単に弥勒寺さんの攻撃を往なしてしまう。
掴みどころのないその動きたるや、まるで本物の亡霊だ。
業を煮やした弥勒寺さんが大きく踏み込んだ瞬間、狐面は深く体を鎮め、掌底を弥勒寺さんの胸に叩き込んだ。
カウンターを決められ、弥勒寺さんの顔がひどく歪む。
「がっ……」
弥勒寺さんは両膝を付き、地に蹲った。
掌底が肺に直撃してしまったのか、空気を掻き集めるような激しい咳と息を繰り返している。




