疑惑と希望
騒ぎがひと段落した放課後。ハルトが校門の近くでフェンのリードを持ち替えていると、背後から静かな声がした。
「……その子の名前、フェンって言うんだね」
振り返ると、そこにはクラスで一番大人しい女子生徒、**美波**が立っていた。彼女はいつも俯きがちで、クラスの輪に入っているのをあまり見ない。
「あ、うん。まあ、そんな感じ」 「いい名前だね。……北欧神話のフェンリルから?」 「まあ、そうかも」
ハルトは適当に濁して立ち去ろうとしたが、美波の次の言葉に心臓が跳ね上がった。
「『エテュレ・オンライン』……やってたでしょう?」
ハルトの足が止まった。フェンも、その黄金の瞳を細めて美波を見つめる。
「……なんのこと?」 「隠さなくていいよ。私も、最後まであの世界にいたから。……銀色の毛並みに、金色の目。そして、主人の言葉を待たずに、まるで意志があるみたいに動く一匹狼。……あっちの世界で有名だった『はぐれテイマー』の相棒、フェンリルそのものじゃない」
美波は一歩歩み寄り、確信に満ちた目でフェンを見つめた。
「でも、おかしいよね。あのゲームは去年の夏に終わった。データは全部消えたはず。なのに、どうして現実にその子が……フェンがいるの?」
『ハルト……。この女、ただの観客ではなかったようだな』 フェンの思念が脳内に響く。彼もまた、美波の視線の鋭さに、かつての戦友かライバルに近い何かを感じ取っていた。
「それは……ただの偶然だよ。たまたま似てる犬を見つけて、名前をつけただけで……」 「嘘だよ。だって、さっきケンタのロボットを直したとき、フェンが左足でリズムを刻んでた」
美波は一歩踏み出し、フェンの目の前でしゃがみ込んだ。
「あの子がスキルを発動する前の癖。……ねえ、フェン。私を覚えてない? 聖教ギルドの端っこで、いつもあなたの戦い方を見ていた……」
美波がそっと手を差し出す。フェンはその手を拒むことなく、クンクンと匂いを嗅いだ。 その瞬間、フェンの喉が「グルル……」と小さく震える。
『……ハルト。思い出した。サービス終了の五分前、はじまりの丘のふもとで、俺たちをじっと見ていた回復職の小娘だ』
ハルトは絶句した。 父さんとの約束、「目立つな、正体を隠せ」。それはスパイや政府から守るためだけではなく、同じ「喪失感」を抱えたプレイヤーたちから身を守るためでもあったのだ。
「ハルトくん。……あなた、何をしたの? どうやって、この子を『こっち』へ連れてきたの?」
美波の瞳には、疑念よりも、切実な「希望」が宿っていた。 彼女もまた、失った相棒を想い、この数ヶ月を空虚に過ごしてきた一人だったのだ。




