第7話 泣き顔と旅の提案
ひとしきり泣いたあと、互いに瞼が腫れているのを見て、どちらからともなく笑い出した。
いい大人と伝説の竜が、こんな辺鄙な森の中で泣きはらして――いったい何をしているのか。
「ねぇ、そういえば私たち、まだまともに自己紹介もしてなかったわね。……私は不知火愛。番じゃなくて、アイって呼んで。あなたの名前もちゃんと聞かせてよ」
愛がそう言うと、オズウェルは「そういえばそうだったね」と小さく笑いながら、頭を下げて愛の目線に合わせる。
『僕はオズウェル。元は人間で、今は竜。……あのね、アイは僕のこと、全然意識してくれてないみたいだけど、本当に番だってわからない?』
「そうねぇ……さっきも言ったけど、誰かを愛したい気持ちは強かったわ。でも、それがあなたかどうかは、まだわからないの」
『そっかぁ……』
落ち込んだオズウェルの身体に、愛はそっと手を伸ばし、優しく触れた。
「でも、しばらく一緒にいたら、わかるかもしれないわ」
前世のことはひとまず置いておくとして、今の二人はまだ、知り合ったばかりの関係にすぎない。
世界の仕組みも、この先どうなるのかもわからないまま、ただオズウェルの言う「番」という感覚に流されるように現状を受け入れるのは、少し違う気がした。
何が好きで、何が嫌いなのか――しばらくは互いを探り合う時間が必要だろう。
見知らぬ土地で、誰よりも心を傾けてくれる相手に頼ること自体は悪いことではない。けれど、それが一方的になってしまえば駄目だ。
それでは、これまでの自分の人生を、そしてオズウェルの想いをも蔑ろにしてしまう。
愛は、恵まれた環境に甘えることなく努力し、自分を最大限に生かして歩んできた。
この世界でも、そうありたいと思う。
多かれ少なかれ、オズウェルの力を借りることにはなるだろう。だが、ただ寄りかかるのではなく――彼が歩んできた長い道を知り、そして理解したい。
「だからね、これから一緒に旅をしましょ?」
『旅……?』
「そう。だって、いつまでもここには居られないわ。私は人間だから――たぶん。……まぁ、それは後で考えるとしても、お腹は空くし、人としての最低限の生活はしたいもの。ここじゃそれは無理そうだから、人のいる場所へ行きたいの」
先ほどの拳の威力を思い出し、愛は自分が本当に人間なのか少し不安になる。
これだけ常識外れの出来事に巻き込まれているのだから、人間をやめていてもおかしくない――そんな考えが頭をよぎった。
だが、今それを掘り下げていても話は進まない。とりあえず後回しにして、愛は自分の希望をオズウェルに伝えることにした。
『あぁ、そうだよね。僕は世界に漂ってる魔力がご飯みたいなものだから、食べなくても生きていけるし、排せつとかもないんだ。そういう感覚、すっかり忘れてたよ。君が来る前までは、ここでずっと寝てたからね……。街、かぁ。うーん、僕が知ってた頃とは、だいぶ変わってるかもしれないな』
オズウェルが森に引きこもってから、どれほどの時が経ったのか――本人にもわからない。
けれど、その身体にこびりついた土や、うっすらと生えた苔の様子を見る限り、相当な年月が流れているのは確かだった。
もう元の世界に戻れないのなら、愛はこの世界で生きていくしかない。
何も知らない土地に放り出されて、不安がないといえば嘘になる。けれど、目の前には頼りになりそうな竜がいる。
確かに、長い間眠っていたせいか世情にはかなり疎そうではあるが、それでも――一人と一頭なら、きっと何とかやっていける気がした。
そんな考えを巡らせていたとき、ふと一つの疑問が頭をよぎる。
「そういえば、私の前世で付きまとってた神様たちはどうなったの? 封印されたんだから、もう二度と私の前には現れないのよね? ……これが物語だったら、封印が何かの拍子に解けてまた狙われる、みたいな展開になるけど、それだけは勘弁してほしいわ」
そう、そういうのは“あるある”なのだ。
だが愛としては、そんな波乱万丈な展開などまっぴらごめんだった。平和に、穏やかに、のんびりと暮らしたい。
愛の心配に、オズウェルは面白そうに笑いながら首を横に振った。
『あぁ、それは安心していいよ。君が別の世界に流れ着いたのを確認した後、僕と他の神様たちで徹底的にボコボコにして、神格をむしり取って羽虫にしてから、無限回廊に放り込んでおいたんだ。もう未来永劫、出てこられないよ。まあ、彼らを信仰してた連中が多少は残ってるけど、信仰心で魔術を編もうにも、大元がいなきゃ何もできないからね』
一人の女を手に入れるために世界を滅ぼしかけたのだ。
それくらいの報いは当然だろう。
前世の記憶がない愛でさえ、聞いていて胸がすっとするほどだった。
「ふぅん、そういうものなのね。じゃあ、私たちがあちこち旅しても大丈夫ってことね! ……でも、オズウェルの姿はさすがに目立つわよね。どうしましょうか」
一緒に旅に出ようと言ったものの、問題がひとつあった。
――オズウェルの見た目である。
彼の姿はまるで映画に出てくる西洋のドラゴンそのものだった。
体長は旅客機の中型機ほどもあり、全身を覆う鱗は漆黒。
ねじれた二本の角が頭から伸び、その巨体は見る者に畏怖を抱かせる。
この森の木々があまりにも高かったせいで、ここにいる間はさほど違和感を覚えなかった。
だが、愛と比べるなら、まるで蟻と猫ほどの差がある。
人間たちに狙われているという以上、この姿のままでは街に入ることなど到底不可能だ。
かといって、このまま森に置いていくわけにもいかない。
どうしたものかと考えあぐねていると、オズウェルが胸を張り、自信満々に言った。
『それなら問題ないよ』
そう言うなり、彼は静かに目を閉じた。
次の瞬間、眩い光がオズウェルの全身から迸る。
光に包まれると同時に、強風が吹き荒れ、周囲の草木がざわめく。
愛は思わず目を閉じ、風が収まるのを待つ。
そして――そっと瞼を開いた。
そこに立っていたのは、一人の美しい男性だった。
漆黒の長い髪が風に揺れ、金の虹彩が入った深紅の瞳が、静かに愛を見つめている。
「これなら、君と一緒に旅に出れるよね? 」
ずっと頭の中に響くように聞こえていた音が、男の口から直に紡がれる。
そうして、愛はようやく目の前の男性が竜のオズウェルなのだと理解することができた。




