第5話 婚活理由とモテない理由
そうしてここに来る前のことを思い返していた愛は、ふとオズウェルを見上げると、おもむろにその大きな鼻先へと身を寄せ、そっと抱きついた。
『ふぇっ……!? ど、ど、どうしたの?』
突然の行動にオズウェルがうろたえる。
しかし愛は目を閉じたまま、何も言わない。
彼の身体はあまりにも大きく、抱きしめるというよりも張りついているような格好だった。
けれど、鱗に包まれた鼻先は驚くほど滑らかで、しっとりと温かく、その肌触りはなぜか懐かしい安心をもたらした。
森の空気に混じって漂うのは、土と苔の湿った香り。
それは確かに「竜の匂い」でありながら、不思議と心を落ち着かせる。
やがて愛は、ぽつりと呟いた。
「ずっと……渇いていた気がするの」
『……?』
「誰かを愛したくても、愛せなかった。――私がそういう目で見ると、なぜか相手が不幸になるの。でも、それでも誰かを恋して、愛して、幸せになりたいって……ずっと、そんな乾いた気持ちを抱えていたわ」
愛はオズウェルの胸に身を預けたまま、どこか懐かしむように小さく笑った。
「今思えば、不思議だった。どうしてあんなにも“誰かを愛すること”にこだわっていたのか。もともと情熱的な性格でもなかったはずなのに、年を重ねるごとにその想いが強くなっていったの。周りが次々と結婚していったのもあるでしょうけど……自分だけが取り残されたように感じて、焦ってしまって。好きでもない人にモテたって意味がないのに、必死に笑って、気を引こうとしてた」
『……それは、たぶん番の契約のせいだね』
オズウェルは優しく、しかし確信を込めて言葉を紡ぐ。
『愛しているからこそ、契約を結ぶんだ。離れても、お互いを見失わないように。たとえどんなに遠く離れていても――魂が、必ず引き合うように』
愛に前世の記憶はない。
けれどその魂には、かつてオズウェルと交わした契約の痕が、今も確かに刻まれている。
その契約の影響で、愛は無意識のうちに相手を探そうとしていたのだろう。
けれど彼女のいた世界に、オズウェルは存在しない。
誰を求めているのかもわからないまま、心だけが渇き、焦がれ、ただやみくもに求め続けた。
存在しない者への飢えが「渇き」となって、愛を衝き動かしていたのではないか――そう、オズウェルは静かに語った。
「……やたら結婚相手を探してた理由はわかったけど。じゃあ、異性に怖がられる理由もあるのかしら? モテないどころか、なんか逃げられるのよね」
思い返せば、婚活の前からその傾向はあった。
家族とは普通に接せられるのに、それ以外の男性とは、なぜか距離を置かれる。
理由もなく「近寄りがたい」と感じさせてしまうことが多く、初対面では決まって相手が緊張する。
しばらく話せば和むのだが、最初の印象はどうしても固く、ひどい時には小鹿のように怯える男性もいたほどだ。
『あー……そっちはね。たぶん、僕から流れた力というか、感情というか……まぁ、そのせいかなぁ、って思うんだ』
愛の話を聞きながら、オズウェルはどこか落ち着かない様子で視線を逸らし、尾をそわそわと揺らした。
「……ふーん。それで?」
愛は、オズウェルのよそよそしい態度に何か感じ取ったのか、抱きついていた体を起こし、真顔のまま続きを促した。
そう、あくまで冷静に話を聞くための“真顔”である。――他意は、ない。
『えっとね……僕の力っていうか。そもそも、ただの人間と僕とじゃ、生き物としての“格”が違うでしょ? だから僕を見た普通の人間は、大抵、目が合っただけで死を感じて、動けなくなるんだ』
「つまり?」
愛の平坦な声が、森の静寂に異様なほどよく響いた。
怒っているわけではない。だがその声には、理屈では説明できない“圧”のようなものがあり、オズウェルの心臓はキュッと縮み上がる。
『つ、つまりは……僕の力で、無意識のうちに威圧しちゃってたんだと思う』
「なるほど。……でも、それだけじゃないわよね?」
『……お、怒らない?』
「怒るようなことなの?」
恐る恐る愛を見上げるオズウェルの瞳は、どこか潤んでいた。
この竜は、巨体に似合わず随分と臆病で――そして、泣き虫だ。
しばらくモゴモゴと何かを呑み込むように言い淀んでいたが、やがて意を決したようにギュッと目を瞑り、声を張り上げた。
『この世界から君を送り出す時に……君の魂に、全力で願掛けしちゃったんだ! 変な男に捕まりませんように、誰も好きになりませんようにって!』
オズウェルの大きな声が、静かな森に響き、少し木霊してから消えていく。
驚いた鳥たちがピーチチチと甲高い声を上げ、一斉に羽ばたいて遠くへと飛び去った。
やがて――耳が痛くなるほどの静寂が訪れる。
その静けさの中で、愛は全てを理解した。
「……モテない理由は、あんたのせいかぁぁぁっ!」
『ギャンッッッ!』
愛の拳が、オズウェルの鼻っ柱に容赦なく突き刺さる。
そして、オズウェルの巨体が綺麗な曲線を描いて宙を舞うと、自身の尻尾で平地にしたその場所へと物凄い爆風と共に落ちていった。




