医者
もう太陽は地平すれすれまで沈んでいるのだろう。
森の中は長い影が降りてきていて薄暗い。
木々の合間から覗く光は紅く、無数のロウソクが灯っているようだ。
そんな中、灯りも点かない古びた家は、遠い太陽を背に重く暗い空気をまとって、何か言いたげに佇んでいる。
ビリーたちに案内されてなければ、廃墟…夜ごと悲鳴の聞こえる幽霊屋敷だと思うだろう。
(こんな所に医者が居て、今からその医者の治療を受けるのか…)
正直、注射以外で、こんなに医者が怖かったことはない。
「じいさん、居るかー?」
コースケがリヤカーを停め、小屋の引き戸をどんどんと叩く。
「返事ねぇな」
「どうせいじけて居留守か居眠りだろ?じいさん、怪我人だ!入るぞー」
コースケは医者の返事を待たず、慣れた様子で戸を開け、家の中に入って行った。
僕は膝の傷を刺激しないよう、慎重に荷台を降りてビリーの隣に立つ。
「ねぇビリー、ここのお医者さんってなんというか、こう…ちょっと怖い人なの?」
「いや、怖くはねぇと思うが…あぁでも、お前さんからしたら怖いかもしれんなぁ」
僕の質問に、ビリーが渋い顔をする。
「患者さんには厳しいって事?」
「んー、まぁ、そう言うのともちょいと違って…」
「不気味っつた方があってんじゃねぇ?」
家の中から戻ってきたコースケが、ビリーの言葉を補足した。
「あぁ、それだ。不気味の方がしっくりくるな」
「ま、今日は俺たちも一緒だから安心しろよ。とりあえず診察室は空いてっから中入んな」
そういってコースケは、僕の背中を軽く押して家の中へと誘導する。
「で、コースケ。じいさん居たのか?」
「あぁ、居たいた。今日の落ち込み方もまた怖ぇぞ?真っ暗な診察室で一人、聴診器を自分の胸に当てて何か呟いてた」
「え、怖っ…」
思わず僕の足が止まる。どんな人か知らないけど、そんな場面、想像するだけで怖い。
「ったく、今度は何で落ち込んだんだか…」
ビリーが呆れて、深い溜め息を吐いた。
家の中はコースケが灯りを点けてくれていたので、さっき外観から想像したよりは明るく、いかにも病院という雰囲気だった。
白で統一された壁や天井はシミ一つなく、床も照明を反射するほど磨かれていたし、受付の机や椅子、棚の本もキレイに並べられ、いつ誰が来てもいいようにきちんと整えられている。
お陰で少しだけ僕の不安も和らいだ。
が。
診察室の扉を前にすると、その雰囲気は一変した。
扉の内側から漏れるお経を読むような声。
病院独特の、様々な薬品が混ざった臭い。
診察室内はまだ灯りが点いてないらしく、中が薄暗いようだ。
けど、きっと診察室に窓があるのだろう。
外の赤い夕陽が扉の隙間から漏れていて、中の不気味さを更に引き立てている。
(…ここに入るの⁉)
僕は傷の痛みも忘れて頬を引きつらせ、全身に冷や汗をかいた。
そんな場の空気を打ち破るように、コースケが陽気な声を上げる。
「はい、次の方ー。外傷で来院のソラ君、診察室にお入りくださーい。『はーい♪』」
そして勢いよく診察室の扉を開けると、尻込みする僕を診察室へと押し込んだ。
「おら、いい加減、灯り点けるぞー」
コースケが灯りを点けると、目の前にはどこにでもある『典型的な診察室』があった。
入って左に診察デスク、右には診察台。
突き当りは流し付きの作業スペースになっていて、流しの上には大きな窓がある。
そんな割と見慣れた光景に一つだけ違和感があるとすれば、医者だ。
椅子に浅く腰かける猫背の医者は、目と目が顔の輪郭近くまで極端に離れ、鼻は穴しか分からないくらい低くて、全体に凹凸のないのっぺりとした顔をしている。
肌の色も妙に青黒く、その猫背の姿勢も相まって、まるで医者の方が病人のようだ。
「………傷、診せなさい」
医者は俯いてぼそぼそと話すのであまり聞き取れなかったが、僕は言われたことを勘で判断して右膝と左手の甲を差し出した。
「こことここです、転んで擦りむきました」
「………はぁ~っ」
傷を確認した医者は深い溜め息を吐いた。
「傷ってのはさ、擦り傷だってほっとくと感染症に感染する可能性があるんだよね。
ブドウ球菌やレンサ菌、破傷風菌とか。
そういうの自然に治るって言う人もいるけど、治らなかった時どうするんだろうね。
傷口が熱もって膿んで腫れあがって、それで全身に菌が回っちゃって。
そうなってからやっと診察に来て、『なんとかして~』って言うんだよね。
でもその頃には菌がすっごい増えてて、重症化しちゃったり、菌によっては人にうつっちゃう症状が出ちゃったりもするんだよね。
そういう人って本当、何考えてんだろうね」
医者はぶつぶつ言いながら僕を見る。
でも、この至近距離なのに、
(この人、さっきから全然目が合わない…)
医者はじっと僕の顎の辺りを見るばかり。
この近さで少しも目が合わないのは怖い。
「えっと…あの、ご、ごめんなさい…?」
「ダメだぞー、ソラ。謝るなー」
「そうだぞ、そんなんで謝らなくていいぞ」
「じいさん、ガキ相手にねちっこいぞー」
「擦り傷くらいで嫌味ったらしいったらねぇ」
「なんか知らんが、それ八つ当たりだろー」
「いいから黙って手ぇ動かせよ」
「そうだ、そうだー」
コースケとビリーが僕の後ろから、代わる代わる野次を入れる。
コースケなんていつの間にか、紙を丸めて作ったメガホンまで持っていた。
「大体、ソラは怪我してすぐ来てんじゃねぇか。お前、医者なら傷みりゃわかるだろ?」
「他のヤツに迷惑かけられたからって、ソラに当たるのは良くねぇぞー」
医者は二人の野次を無視し、黙って僕の傷を洗浄瓶で洗い流してくれている。
「こら、黙ってねぇでソラに謝れ」
「いい年して情けないぞー、じいさんー。
頭下がんねぇくらい軽くなったのかー?」
「………黙って手を動かせと言ったのはそっちだ!」
突然、さっきまでとは別人のように強い口調になって、医者が二人を睨みつけた。
「お、やっと正気に戻ったな」
「………うるさい!」
医者が正気に戻ったのは、ちょうど僕の傷口に軟膏を塗り、ガーゼと包帯で傷の保護まで済ませ、治療が終わった時だっだ。
「で、何をそんなに落ち込んでたんだよ?最近は病院も暇で、楽だったんじゃねぇの?」
治療が終わり片付けがはじまった頃、コースケが診察台に腰かけて医者に尋ねた。
「………」
「あー悪かった、さっきは言い過ぎたー。
だから黙るなよー」
「まぁ言いにくい事を言えとは言わねぇが、あんたの場合、周りが迷惑被るからなぁ」
「そうだぞー、皆に当たるのは止めろよー」
「………」
「ダメだ、だんまりだ」
コースケが診察台に倒れ込んだ。
二人が医者を心配しつつも、つい責めてしまうのがちょっと分かる。
実際、医者に当たられて僕は怖かった。
けど、治療をしてもらった身としては、この状況が少々気まずい。
僕は今はタイミングじゃない気がしつつも、話の流れを切って、医者にお礼を伝えた。
「あ、あの。治療ありがとうございました」
「………おう」
「それで…僕、お金とか持ってなくて。代わりに何かお手伝い出来る事があれば…」
この僕の言葉に、医者より先にコースケが反応する。
「…あれ?ソラ聞いてないのか?金は」
「………が、…なく……」
が、そのコースケの言葉を遮って、医者が聞き取りにくい声で何か呟いた。
「え?」
「なんだって?」
「………リンが、居なくなったんだ」




