コースケ
「あ!おい、大丈夫か⁉」
ビリーが慌ててこちらに駆け寄ってくる。
「…痛ぁ」
転がり落ちる時、手放してしまったロープの代わりに、僕は木の根と根の隙間に手を入れて、地面まで転落するのは回避した。
けど根を掴んだ手は擦りむいたし、体もあちこち打ち付けていて、全身に鈍痛が走る。
「あちゃ~大丈夫か?降りてっとこ声かけちまったからタイミング悪かったな。ゴメンな」
リヤカーを置いて、二足歩行のトカゲが短い足で急いでこちらに向かって来る。
「あ、いや、僕が勝手に足を滑らせたので…」
(トカゲに驚いて転んだとは言えない…)
僕は木の根の上でゆっくり態勢を立て直して、もう転ばないよう慎重に地面に降りた。
降りた先は周囲を木々に囲まれていたので、ここは森の中にあるのだろう。
大小さまざまな木が立ち並んでいて、その足元には下草も高く生い茂っている。
でも、その中に、このぶどうの木のような目立った巨木はない。
(あ、そういえば、ぶどうの木…)
改めてぶどうの木を振り返ると、その全体は視界に収まりきらないほど大きい。
さっき僕たちがいた場所に続く、大きな岩壁の側面に絡みつき、空高くまで伸びている。
(こんな所を降りて来たんだ)
怪我をした手を抑えながら、僕は痛みも忘れて、ぶどうの木に見入っていた。
「あぁ怪我してんな。左手と…右膝か?」
「え?あっ!」
いつの間にか隣に居たビリーに言われて足を見ると、ボトムの右膝に血が滲んでいる。
(あ~、ぶつけただけだと思ったのに…)
「しゃあねーな、じゃあリヤカー乗れよ。医者のとこまで連れてってやるから」
「え、でも…」
「乗せてもらえ、ソラ。血ぃ出てるし、膝のほうは一度診てもらった方がいい」
「けどビリー、用事あるんでしょ?」
一緒に来いとしか言われてないけど、僕はビリーがMr.BBの件で、何かすることがあって降りて来たんだと思っていた。
だから僕もそれに付いて行くつもりだったし、怪我をしたからって、こんな所に置いて行かれてしまうのはごめんだ。
「いや、それは後でいい。それより傷の手当てが先だ。さっさと医者行くぞ」
「そうだぞ。怪我は後回しにすんな。
ちょうど医者の荷物で最後だから荷台も広々してっし、足伸ばして座れるから安心しな」
そう言ってトカゲが短い手を差し出してきた。
なんだかビリーの足を引っ張ってしまったようで悔しいけど、これ以上二人に心配をかけるのも気が引ける。
僕はトカゲの手を取った。
そして気が付いた。
(この手、皮膚は鱗だけど、指の関節や爪が…このトカゲ、手は人間なんだ)
つい凝視してしまった僕に気付いて、それでもトカゲは嫌な顔一つせず陽気に言う。
「どうだ、カッコいいだろ?全身トカゲなのに手はまだ人間してるんだぜ?
お陰で色々と便利なんだ」
「あ、はい。凄い…と思います」
トカゲが気を使ってくれたのに、僕の方は気まずくて、一人で勝手に凹んでしまう。
「そうだ。自己紹介がまだだったな。
俺はコースケ。このリヤカーであちこちに荷物配達してまわってんだ。よろしくな」
「あ、えっと、ソラです。その、あまり自分の事、覚えてなくて…よろしくお願いします」
「あー、いいんだよ、別に。会ったばっかの相手の事なんか、これから知ってくもんだろ?
最初は名前だけ分かってりゃ十分だって」
コースケはひらひら手を振ると、リヤカーの後ろに行き、荷台を下げその後ろ板を外した。
「さ、ここから乗んな。荷台は抑えとくけど、車輪が一対で不安定だから気を付けろよ?」
「ありがとうございます」
僕が側板を掴み、そっと這うように荷台の真ん中まで行って座ると、コースケが後ろ板を上げて固定した。
「んじゃ、荷台上がっから気を付けろよー」
コースケの短い手で勢いよくハンドルが持ち下げられて、荷台がぐっと前方に傾く。
僕は後ろにひっくり返りそうになるのを、側板を両手で掴んで堪えた。
進みだしたリヤカーの荷台はがたがた揺れてお尻が痛く、あまり快適とは言えなかった。
でもこういう乗り物に乗るのは、いつもと違う風景が見られて、なんだか楽しい。
僕はリヤカーに揺られながら、また空をぼーっと眺めていた。
「んで?聞きそびれちまったけど、これどういう状況?」
コースケが、傍らを歩くビリーに聞く。
「あーっ、と。全部話すのは面倒くせぇな」
「はしょるな!じじぃは話長くてなんぼだろ」
「……」
「まずあれだ。ソラはいいとして、遠吠え。
ありゃ何があったんだよ?」
「あぁ。風船野郎が来た」
リヤカーが止まった。
「は⁉」
「また魔女探しらしい。今回は何も壊さねぇって宣言してったが、信用ならねぇからな。
警戒するに越した事はねぇだろ」
「いや、信用ならねぇんだったら、もっと警戒しようぜ?
あいつが壊した橋、かれこれもう五十年以上直せてねぇんだぞ」
「あ、そんな経つか?」
「経つよ⁉これだから年寄りは!どっかで時間止まっちまってんじゃねぇの?」
「うるせぇなぁ」
コースケの声がどんどん大きくなって、ビリーが顔をしかめた。
そして煩わしそうにまた歩きはじめる。
「あー信じらんねぇ。番犬がこれじゃ、この世界の治安が終わるわー」
「遠吠えはした、そのうち魔女が動くさ。
大体、風船野郎には誰も手を出すなって言われてるだろ?俺だって巡回と監視にとどめろって言われてんだぞ」
「そりゃ、俺たちじゃなぁ…」
「俺だって噛み付いてやりてぇが、残念ながら風船野郎に関しては戦力外だ」
「あ~ぁ、お互い不甲斐ねぇなぁ」
何となく尻すぼみになり、二人の会話が途切れた頃、道の先に木造の建物が見えた。
建物は平屋で、こんな森の中にあるにしては意外と大きいが、外観は無駄な装飾を極力省いた物置小屋のようで、派手さはない。
外にはこれまた質素な倉庫のようなものも建てつけてある
「あれー、なんだ?灯り点いてねぇな」
「あのじいさん、また落ち込んでんのか」
灯りが点いてないだけなのに、二人の声に呆れたような雰囲気が滲む。
「ソラ、ちょっと医者のじいさんがいじけてっかもしれねぇけど、飲まれるなよ?」
「え、どういう事…ですか?」
「行けば分かる。が、まぁ落ち込んでるヤツに寄り添うのは大事でも、その空気に飲み込まれちゃいけねぇよってことだ。
お前、そういうのに弱そうだからなー」
会ったばかりのコースケに指摘されて、でも言い返せない。僕も、そんな気がしてる。
「いや、あのじいさんは面倒だからな。
ソラじゃなくても気を付けた方がいい。
患者治療しながら医者が落ち込んで、患者まで凹ますとか、医者としてありえねぇだろ」
「そーそー。怪我したり病気したりで落ち込んでんのはこっちなのに、そっから更に引きずり落としにくるの怖ぇよな」
(待って、僕はこれから、その人の治療を受けるってこと…?)
一抹の不安を抱える中、医者の家はもう目の前に迫っていた。




