Mr.BB
まず、犬の名前はビリーということ。ビリーはこの地で番犬をしているということ。
そして僕はこの地に『招かれた』ということ。
「まぁざっくりいうとな。ここで暮らして欲しいなってヤツを見つけたら、試しに何日か、ここで過ごしてもらうんだ」
その為に今、僕は記憶がないということ。
「全部忘れてここでの暮らしを楽しんでほしいってんで、少しの間、記憶が曖昧になる…薬を嗅いでもらってんだ」
ただ、今回は少し違った。
「本当なら過去の出来事がぼやける程度のもんなんだが…お前さんはまだ子供だったから、ちと効きすぎちまってるみてぇだ」
それと僕の記憶のこれからのこと。
「記憶が無くなっちまって不安だろうが、何日かすると薬の効果がなくなる。
お前さんの場合は少し長めになるだろうが、それでも一週間もすれば大体のことは思い出せるはずだ。
一生続くことはねぇからそこは安心してくれ」
(…そんな。安心してくれと言われも)
「あの、今すぐ元居た場所に戻るとかって…」
僕は枯れた喉から声を絞り出した。
正直、記憶がないから、特別戻りたい理由も思いつかないんだけど、
『ここで暮らしてほしいから記憶消しました』
なんて聞かされると、やっぱり一刻も早くここから離れたいと思ってしまう。
「まぁ…そりゃ、そう思うよな」
ビリーと名乗った犬は、空を仰いだ。
「ん~どうだろうなぁ。前例は無いんだが…」
「出来れば、早く戻りたいです」
「だよなぁ。あぁ、それと敬語はいらねぇよ。
そういうの苦手でな。お前さんが嫌じゃなけりゃ、タメ口で話してくれ」
「あ、は…ぃ……うん。じゃあ、そうする」
「おう、悪いな」
そう言ってビリーは僕にニッと笑いかけた。
「おやおやおや。タメ口ですか?それはそれは大変、素敵なご提案ではあるのですが、あいにく私はタメ口が本当に下手でして…。
何せ日頃からこのような恰好をしておりますと、やはりそれなりの言葉遣いや品格と言うものが求めらてしまうのですよねぇ」
突然、真上から流れるような早口が聞こえて、僕たちは空を見上げた。
するとそこに真っ黒な傘に風を受けながら、ふわりと舞い降りてく人影があった。
「なんだ⁉さっきは居なかったぞ⁉」
ビリーが僕を守るように前に回り込んで、僕とその人影の間に立つ。
「あぁ、大丈夫ですよ?そんなに警戒なさらないでください。ほらほら、そちらの坊ちゃんとは初めましてのようですが、ビリー、貴方とはお久しぶりじゃあないですか。どうです?私のこの顔、ハリ・ツヤのある空色バルーンフェイス!見覚えございませんか?」
トットッと軽い音を立て僕たちの前に着地した人影は、黒いモーニングにシルクハットを身にまとって、紳士のような佇まいをしている。
が、その顔は真昼の空のように真っ青で、目も鼻も口も無い。顔らしき特徴といえば、本来口があるべきところに、油性ペンで書かれた髭くらいだ。
肌はまるで風船のようにつるつると…いや、これはたぶん本物の風船。薄いゴムがピンと伸びた、あの独特の透明感と張りがある。
「…あ!お前っ」
「そうですそうです、思い出していただけましたね。私がミスターブギーバルーンことMr.BBです。いやはや何年ぶりでしょう、感動の再会のあまり涙がこぼれそうです。まぁ私は風船なので涙なんて出ないんですけど」
Mr.BBは持っていた傘をすっと縦に一振りし、手品のように消した。
「さてさて。今日も今日とて愛しの魔女様を求め遠い空の果てより舞い降りたのですが、残念、こちらの坊ちゃんは人違いでしたね。実に紛らわしい。ですがここでお会いしたのも何かのご縁。坊ちゃん、貴方のお名前をお伺いしてもよろしいですか?」
「え…」
「よせ、言わなくていい!」
僕が答えるより先に、ビリーが大きな声で遮った。
「今更何のつもりかしらねぇが、お前ぇはダメだ。またあちこち壊されちゃたまらん。とっとと出て行ってくれ!」
「あぁ、その節は大変失礼いたしました。橋を壊した件ですよね。私も本当に心苦しかったのですが、あれはやむを得なかったのです。
あの橋が架かっていては、私が再びこの場所を訪れるのが難しくなってしまうものですから…私も橋を壊さざるを得なかったのですよ」
「ふざけるな、あれに何人巻き込まれたと思ってる⁉」
大袈裟な身振り手振りを交えて話すMr.BBに、ビリーは牙を向いて吠える。
「おやおや、そう悪し様に言われては心外ですね。確かに少々派手に壊してしまいましたが、少なくとも橋を壊した時点では、死者は出ていなかったと把握していますよ」
「何が悪し様だ!死ななきゃいいってもんじゃねぇ。怪我ってのはな、血が止まって骨がつながったって、それで痛みまで消えるほど簡単じゃねぇんだよ!」
「………ふむ。ならばこれは見解の相違ですね。私は橋を壊したかっただけで、けして誰かを傷つけたかった訳ではありません。巻き込まれた方が居るというのは非常に残念ですが、それは副次的な事故であって、悪意あっての事ではなかったのです。
とはいえ、私のした事にかわりありません。無関係の方々を巻き込んでしまった事については、誠に申し訳ありませんでした」
Mr.BBは両手を体の側面に付け、深々と頭を下げた。
「のらりくらりと…中身のあるヤツの台詞じゃねぇな」
「あぁビリー、私が風船だからといってそんな…まぁその通り、中身は空っぽなんですが。
それで、それは私に誠意を求めているということでしょうか?だとしたらそれを今示すのは難しいでしょう。だって私が嗚咽しながら地に伏して、力強く地面を拳で叩き土下座したところで、貴方は白々しいと思うでしょう?
えぇ、私もそう思います。そんなもの、形式じみた謝罪より、かえって誠意が足りない。
と、あればやはり謝罪は行動で示すべきでしょう。口先の謝罪に大した意味はありません。私は今後の私の振る舞いで、貴方がたに誠意を示していきたいのです」
「じゃあ一体どうやって示すってんだ」
胸に手を当て、切々と語っていたMr.BBの動きがぴたりと止まる。
「ふむ。そうですねぇ」
自分から誠意を示すと言っておいて、まだ何の考えも無かったのだろう。
Mr.BBは少し首をかしげて考え込む。
「あぁ。でしたら今回は何一つ壊さずに、魔女を探してご覧にいれましょう」
「は?」
「それならばビリー、貴方に追い出される心配もありませんね?何一つ壊す恐れのない訪問者であれば追い出す理由がありません」
「馬鹿か?それ以前に、てめぇは前の件を償ってもいねぇだろ!」
「あぁ、それは…ほら。人の世には時効というものがあるのですよ」
そう言うとMr.BBは右手を高く振り上げ一瞬で傘を取り出し、次にそれをビリーの目の前に差し向けてバンっと広げた。
「それでは、これで話はまとまりましたので長居は無用。これにて御前を失礼します。
それと、しばらくお邪魔させていただきますが、今回は何一つ壊しませんのでご安心を」
「待て‼」
ビリーが飛び出すより一歩早く、Mr.BBは軽く後ろに跳んで傘を空にかざす。
すると傘に吸い込まれるように風が集まり、Mr.BBは空高く舞い上がった。
「では、またの再会を楽しみにしています」
その台詞を残し、Mr.BBは風に流され南西の方へと消えていった。




