出会い
まぶたの内側まで届く柔らかい明るさで、僕は目が覚めた。
そしてぼんやりと霞む焦点を合わせて、はじめに見えたのは、色の薄い空だった。
雲が殆んどなく空は明るいけど、これが朝焼けなのか夕焼けなのかはっきりしない。
はっきりしないのは僕の頭もだ。寝起きは良い方なのに、今は頭がぼーっとしてる。
まるで、まだ夢を見ているような…。
夢といえば、さっきまで夢を見ていた気がするけど、どんな夢だったか思い出せない。
このままもう一度寝たら、またさっきの夢の続きをみられるだろうか?
そんなことを考えながら空を眺めていると、視界の右端で何かが動いた気がした。
僕は頭だけ右に向けて、それを確認する。
するとそれは犬だった。
少し離れた所に大きな木が生えていて、その根元に黒い犬がうずくまっている。
木陰にいるので分かりにくいけど、どうやら犬は僕を見ていたらしく、僕がそちらに顔を向けると犬と目が合った。
犬は僕と目が合うと体を起こして
「よぉ。目ぇ覚めたか?」
と、僕に話しかけてきた。
(………話し、かけてきた?)
「え…犬が、喋った」
まだボーっとしていた僕は、思った事がそのまま口に出てしまい、慌てて口を塞いだ。
(失礼なことを言ったかもしれない、いや言った。初対面の相手に言っていいことじゃない。
いや、でも犬がしゃべっ…いやダメだ。相手が犬でも、言葉を話せる相手にわざわざ『話せるんだ』なんて、あまり良い気がしない)
(それに、まだ一言しか聞いていないけど、あのしわがれ声は、いかにもお爺さんだ。
だとしたら年長者相手に敬語じゃなかったことも失礼かもしれない)
(え…でも、あれ?お年寄りの犬って何歳くらい?もしかして年は僕と同じくらい?
いや違う、今はそういう話じゃない!)
一気に押し寄せた感情のお陰で、ぼーっとしていた僕の頭ははっきりと回りだす。
僕は慌てて体を起こして謝った。
「あの、突然失礼なこと言ってすみません」
そう言って、頭も下げようとしたけど、自分でもわかるくらい動作がぎこちない。
軽く上半身を起こしただけなのに、体のあちこちが硬くて、思うように動かなかった。
これじゃ熱を出して何日も寝たきりになった時みたいだ。
この固い地面の上で、いったい何時間寝てたんだろう。
そんな僕を見て、犬がふっと苦笑いする。
「構わねぇよ。犬がしゃべれば誰だってびっくりするさ。
それより大丈夫か?痛いとことかねぇか?」
犬は起き上がって軽く背中を伸ばし、ゆっくりと僕の方へ歩き出した。
「あ、えっと…」
僕は自分の体を確認した。やっぱり全身が強張っている。
どこも怪我をしているところはなかったけど、全身の関節が曲げると音がしそうなほど硬くて、筋肉痛のような鈍い痛みもある。
思わず呻き声が漏れそうになるのをぐっと堪えて、僕は少し体をほぐした。
「うん。ちょっと筋肉痛っぽいですけど、大丈夫。怪我はしてないです」
「そうか?まぁ、ちと辛いだろうが、怪我してねぇんなら大丈夫だろ」
犬は僕のすぐ隣で座った。
こうして明るいところで見ると、この犬はシェパード犬みたいに黒に焦げ茶が入っている。
鼻や手足の先に少し白い毛が混ざっているのは高齢だからだろうか。
全体的に皮膚がたるみ、昔鋭かったであろう目元も、近くで見ると随分と優しげだ。
(…それにしても。
僕は何でこんなところで寝てたんだろう?)
曖昧な記憶を探ってみたけど、頭の中にモヤがかかって記憶がはっきりしない。
もうとっくに目は覚めているのに…今までにない変な感じに僕は首を捻った。
「ん?やっぱどっか痛ぇか?」
考え込む僕に、犬が心配そうに声をかける。
「あ、いや大丈夫です。
ただなんか、頭の中がぼんやりしてるというか…どうもスッキリしなくて」
「あ…そうか。
じゃあ、なんか思い出せねぇとか、あるか?」
「…え?」
「頭ん中がぼんやりしてんのは、思い出せねぇことがあるからじゃねぇかな」
犬の一言に、すっと背中が寒くなるような不安を感じた。
(いや、思い出せないってそんな…あ、なんで今ここに居るか思い出せないんだった。
でも寝起きでボーっとするなんてよくある)
(そういえば夢を見ていたような気が…
けど、夢を覚えてないのだってよくある)
(なら、寝る前は何してたっけ?
…何を?…何処で?
…誰、と?
あれ、僕の家族って誰がいた…?
そもそも、僕は………?)
「あ…まって、ヤバい。覚えてない、かも」
「…」
犬が小さく息を吐く気配がした。
「どのへんから思い出せねぇかわかるか?」
「え…っと?」
「なら、そうだな。お前さんの名前や年は?」
「………いや、ダメ。思い出せない」
足元に、突然大きな穴が開いたような気分だった。
心臓の音が鼓膜に響く。その感覚がとても気持ち悪い。
すぐそこにある木が、視界の隅で遠退いたり近づいたりして、視界が揺れる。
呼吸も早くなり、息をするのも追いつかない。
そのせいか頭がくらくらしてきた。
すると、あっと小さく声を上げて、犬が立ち上がった。
「あぁ、よし、もういいから落ち着け。
まずは息吐いてみろ。ゆっくりでいいから、ちゃんと吐いてから吸うんだ。できるな?」
そう言うと犬は僕の横に寄り添って、お手本を示すように長くゆっくり息を吐いた。
僕は言われるがまま、犬に合わせてゆっくりと息を吐く。
上手く吐ききれず途中で咽こんでしまうと、犬はそっと背中をさすって支えてくれた。
「よし、じゃあ今度は吸ってみろ。ゆっくりな」
……そんなことを何度か繰り返し、僕は何とか呼吸を整えた。
「どうだ、ちょっとは落ち着いたか?」
両膝の間に頭を突っ伏して、ぐったり座り込む僕を覗き込み、犬が優しく声をかける。
でも息がやっと整ったばかりの僕は、まだ声を出す気力がなく、代わりに小さく頷いた。
「んー、まだダメっぽいか。まぁ無理すんな。
今、順を追って説明すっから、お前さんは音着くまではとりあえず、聞き流しとけばいい」
そう言うと犬は、今、僕に何が起こっているか順を追って話し始めた。




