リーベ
ここはそこそこ広い世界だけれど、住人の数はそれほど多くはない。
正確な人数は把握されていないが、おそらく全員合わせても百人ちょっとだろう。
そんな少ない人数だから、みんな互いに顔と名前くらいは知っている仲だ。
そんな中にチビの見知らぬ者が居て、その上記憶がないと言うならば、それは十中八九流れ者に違いない。
ならば、この流れ者の少女リーベを案内するのがチビの役目だ。
それが嫌だからビリ爺に任せて抜け出してきたのに…。
目の前が真っ暗と言うのは、こういう気持ちの事を言うのだろう、とチビは項垂れた。
もう溜め息も出てこないや。
あからさまに落ち込むチビの様子を、リーベはそっと見守る。
「大丈夫、ネコちゃん?」
「………ん、大丈夫。今、考え中」
そう言うチビは地面に伏せて、前足の間に顔を押し込み、頭を抱えていた。
リーベはそのチビの後頭部に思わず手を伸ばすが、チビに触れる前にそっと引っ込め、代わりにチビに声を掛ける。
「じゃあ、考え中の間にネコちゃんの名前を教えて?」
「チビ」
チビは顔を伏せたままボソボソと答える。
「チビちゃん?よろしくねチビちゃん」
リーベが笑顔で返すがチビはまだ顔が上げられない。
チビの頭の中はこれからどうリーベを案内するかでいっぱいだった。
出来ればまた誰かに任せてしまいたいところだけれど、その相手がいない。
先輩ネコ達がどこに居るか分からないし、代わりと言ってもビリー程の適材も居ない。
と言うか、そもそもこんな夜中では会える相手が限られている。
いくら白夜で辺りが明るいといったって、休息を取らないものは居ない。
みんな何だかんだ、いつもと同じくらいの時間で寝て、同じくらいの時間で起きるのだ。
このままでは朝が来るまで、チビは一人でリーベの面倒を見なければならなくなる。
どうしよう、せめて誰か知ってる人に一緒に居て欲しいんだけど…。
チビが必死に考えを巡らせていると、隣でリーベが何か歌い始めた。
童謡のような子守唄のような、ゆったりとした優しい歌だ。
チビはふっと考えが止まり、リーベを見上げて歌に聴き入る。
するとチビの視線に気づいたリーベが優しく微笑み、チビを見つめながら歌いだした。
まるでリーベが自分のために歌ってるようで、チビは少しくすぐったい気持ちになる。
結局、チビはリーベが歌い終わるまで聴ききってから、リーベに聞いた。
「今の、何の歌?」
「あ〜歌の名前は分からないけど、何となく覚えてたの。きっとたくさん歌った事があるんだと思う。良い歌でしょ?」
記憶がはっきりしていないはずなのに、リーベはにこにこと答える。
チビは不思議に思った。
今まで見てきた流れ者は大抵、記憶が無い事に不安になって、イライラしたりオロオロしたり、情緒不安定になるのだ。
そして、その不安と向き合い宥めすかして、流れ者の機嫌をとってやるのも、チビ達の役目の一部。
チビが流れ者の相手をするのを嫌がる、一番の理由はそれだった。
時に八つ当たりされながら知りもしない相手と向き合うなんて、ストレスでしかない。
なんで自分に、こんな損な役割が与えられているのか…。
けど、このリーベからは、そんな不安を全く感じない。
この子、何で笑ってるんだろう?
「ねぇ君、記憶がなくて心配じゃないの?」
こんな事を聞いてしまっては、変な刺激になって泣き出してしまうかもしれない。
そうも思ったが、チビはどうしても聞かずにいられなかった。
上目遣いにたずねるチビに、リーベは少し目を丸くして、そしてすぐに破顔する。
「ん~そうだよねぇ。普通は心配するんだと思うけど、なんでだろう?あんまり心配じゃないんだよね」
「めちゃくちゃ笑ってるじゃん」
「そう、何だか楽しいの。朝が来て目が覚めたみたいに、心の中が賑やかな感じ。
それにここ、水のせせらぎが気持ちいいし、空気は澄んでるし、とってもキレイじゃない?それもすごく楽しい」
「歌うたっちゃうくらい?」
「そう!歌っちゃうくらい!」
ずっと笑顔で話していたリーベは、ついに声を出して笑いだした。
終始ご機嫌のリーベを見て、チビの気が少し変わった。
ちょっとだけ、他の誰かと合流できるまでの間くらいなら、一緒に居てもいいかな。
「はぁ…記憶が無いなら、しばらく僕が一緒に居るよ」
「本当?」
「でもちゃんと言う事聞いてよね?勝手な事したら置いてっちゃうから」
チビはめいっぱいふんぞり返る。
「分かった。ありがとう、チビちゃん」
「あ…」
チビはふとMr.BBの事を思い出した。
「その『チビちゃん』って呼ぶのは止めてほしいな。
さっき会った変なヤツが、僕の事『チビちゃん』『チビちゃん』って呼んできて、何か嫌だったんだよね」
そう、あれは不愉快だった。
たぶんMr.BBが言うから不快だったのだと思うのだが、それでも『チビちゃん』と呼ばれると、あの不快感を思い出してしまう。
「そう?じゃあ何て呼ぼう…『チビ君』がいい?それとも呼び捨ての方がいい?」
リーベに提案されてチビは改めて自分の呼ばれ方を考えてみた。
そういえば僕、大体いつも一番年下だから、呼び捨てされてばっかりだな。
でも『チビ君』は、なんか呼ばれ慣れてなくてしっくりこない。
かといって、他の呼ばれ方なんて想像もできないし…。
「………呼び捨て、で」
無難なところに収まってしまうのは不本意だが、チビには結局呼び捨て以外の選択肢が思い浮かばなかった。
「ふふっ、分かった。じゃあチビって呼ぶね」
チビの思わぬ長考に、リーベから思わず笑い声がこぼれた。
リーベとの話が少し落ち着いたところで、チビはようやく泉の水を飲んだ。
元々、ここには水を飲むために来たのに、目的を果たすまでに随分と時間がかかってしまった。
もう喉は乾ききってからからで、口にした泉の冷たい水は頭が痛いほど沁みた。
でもそれ以上の清涼感がある。
ここに来る前から続いていたもやもやした思いが、すぅーっと洗い流されて行くような気持ちよさだ。
あぁ、やっと気持ちがすっきりしたぁ。
隣ではリーベも両手で泉の水をすくって飲んでいる。
ただ泉の水はリーベにも冷たすぎたようで、水を飲んだリーベは目をぎゅっと閉じてこめかみを抑えた。
やっと笑顔以外の表情を見せたリーベをチビはにやにやと笑う。
「沁みた?」
「うん、きーんって沁みる~」
「でしょ?でもこれが一番効くんだよね」
「え、何に効くの?」
「え?」
「え?」
………。
「えっと…たぶん、気持ち?脳みそ?」
苦し紛れにチビは適当なことを言うが、リーベはそれを真に受けた。
「え、じゃあ私の記憶も戻るかな?」
「あー…」
チビは再び自分の役目を思い出した。
でも今度はそれほど負担じゃない。
チビはリーベを見つめて言った。
「そこんとこ、今から説明するから。
ちゃんと聞いてね?」




