流れ者
「じゃあ、ちょいと行ってくる」
「おう、こっちは任せとけ。
その代わり、おリンさんの事よろしくな?」
コースケはまだちょっと迷いがあるようで、心配そうな顔をしていたけど、そんなコースケが別行動を了承したのだから、僕はもう黙ってビリーを見送るしかない。
「あの…ビリー、気を付けてね」
「あぁ、お前さんもな」
簡単に言葉を交わすと、ビリーはすぐに走り出し、曲がりくねった道を無視して、一直線に丘を駆け下りていった。
(早い!)
「おーっ、やっぱ犬が走ると早いな!
あの足の速さは羨ましいぜ、まったく」
丈の低い草地を蹴りつけ、足跡を残して駆けていくその姿は、歳を重ね体の丸くなったビリーからは想像もつかない勇ましさだ。
(すごい…でも、まるで別の犬みたいだ)
そのスピードに僕らが見惚ている間にビリーは丘を下りきり、あっと言う間に森の中へと姿を消してしまった。
「…ビリー、もう見えなくなっちゃったね」
「んな寂しそうにすんなよ。俺が居るぜ?
ほら、気分転換、気分転換っ!俺達もさっさと白夜の太陽を見に行こうぜ」
そう言ってコースケが僕の背中を押す。
僕は結局また、コースケのリヤカーの荷台に乗せてもらうことになった。
「しかし、ビリーのおっさんと太陽見る約束してたとはな。白夜ってそんな楽しみか?」
「すごく楽しみだよ。初めて見るもん」
「へぇ〜。そりゃ良かったな」
リヤカーはリンさんの家の裏にある、一段高い丘を上っている。
今度は道のない丘なのでコースケは丘を頂上に向かって直進していたが、それでもあまり勾配を感じないほどゆるやかだ。
「けど、そんなに空が好きで自分の名前もソラだなんて…名は体を表すって言うけど、本当ぴったりな名前してんな、お前」
「あー…えっと」
ビリーと話したことを、本人が居ない時に言うのはちょっと迷ったけど、でもやっぱり、僕はコースケに全部話すことにした。
「実は『ソラ』って名前は、ビリーが付けてくれたんだ。『空が好きだからソラ』って。
僕、本当の名前を覚えてなくて…」
「あれ?お前、名前まで覚えてねぇの?」
コースケがリヤカーを止めて振り返る。
「あ、うん。自分のこととか元居た所とか、そういうの全部…まだ何も思い出せてなくて」
(明るく言ったつもりだけど、大丈夫かな)
僕はそっとコースケの顔色を伺う。
するとコースケはふむふむと一人頷いて、またリヤカーを動かし始めた。
「まぁ全部ってのは珍しいけど、『流れ者』はみんな記憶が抜けちまうもんだからなぁ。
あ。もうビリーのおっさんから、『ちゃんと記憶は戻る』ってのは聞いてんだろ?」
「あ、うん。聞いたよ。でも、そのコースケの言う『流れ者』って言うのは聞いてなくて…」
「え、そうなん?」
「コースケ、僕と初めて会った時も『流れ者』って言ってたよね?それって僕みたいにここに『招かれた人』であってる?」
「あー、えーっと…」
コースケが溜め息とともに空を仰いだ。
「なんか話が嚙み合わねぇ…いや待て。確かその時、風船野郎も来てたんだよな?
ソラ、最初から全部話してくれっか?」
「あ、うん。えーっと、最初はね…」
僕はこの世界で目が覚めてからコースケに会うまでの出来事を、順を追って話した。
「なるほどな、よく分かった。訳分かんねぇ事になってるのがよーく分かった!」
「ちょっと、何それ!」
うまく話せたか心配だったけど、コースケが軽く受け止めてくれて僕はほっとした。
「いや、色々言いたい事はあんだけどよ?まぁ、まずビリーのおっさんは悪くねぇ。
けどソラ、お前はすげぇ運が悪かったな」
「えぇっ!?」
そりゃ、こんな事になってて運が良いとは思わないけど…はっきり言われると傷付く。
「っと、まずな。『流れ者』が他所から招かれたヤツのことってのはあってる。大正解。
ここに招かれたヤツは老若男女、誰でもみ〜んな『流れ者』だ。
そんでな。ビリーはただの番犬で、本当はその流れ者を担当するヤツが別に居る」
「………え⁉違う人が担当なの⁉」
「そ。たぶん、たまたま担当が席外してる時にお前が来たんで、ビリーのおっさんが代わりにソラの相手してたんだな。
で、これもたぶんだけど。誰か戻るまで待ってるつもりが、突然、風船野郎が来ちまったもんで、それどころじゃなくなったんだな」
「あ、番犬としての仕事があるから…」
(だからあの時、ビリーは困ってたんだ)
「まぁ、ビリーのおっさんは気にすんな。
風船野郎には手を出すなって言われてっから、監視くらいしかやる事はねぇよ」
「そう、なのかな?」
僕には、コースケの真意は分からない。
僕を慰めようと言っているだけかもしれないし、全部本当の事かもしれない。
(けど、ビリーはどうだったかな)
さっき駆け出して行った後ろ姿は、『することがない』時の背中だっただろうか?
「それと、あともう一つ。
ビリーのおっさんも頑張ったんだろうけど、正式な担当じゃねぇから正しい段取りが分かってなかったんだろうな。
ソラ、お前への説明が所々抜けてるっぽいから、お前、今、必要以上に不安になってんじゃねぇか?」
「………。うそぉ」
(ダメだ。そろそろ泣きたい)
「あ、おい!そんな泣きそうな顔すんなよ⁉
大丈夫!大丈夫だから!な!」
コースケがまたリヤカーを止めて、僕の背中をさすってくれる。
それは本当にありがたいんだけど、その手の温かさに、僕はかえって涙が堪えられなくなった。
「あぁぁぁっ、泣ーくーなーよぉーっ」
結局僕はぼろぼろ泣いて、ようやく落ち着いたころ、コースケが顔を覗き込んできた。
「ごめんなぁ、運が悪いとか言って。そこまで不安になってるとは思わなくてよ」
「…ううん。むしろ泣いちゃってごめん。
ここに来てから色んなことありすぎて、自分に何が起きてるか分からなくて。
でも分かったら分かったで、怖くなって…」
「そりゃそうだよなぁ。大人だってびっくりすんのに、お前まだ十歳ちょっとだろ?
やってらんねぇよな」
「…あ、じゃあ僕、小・中学生くらいかな?」
「おーっと…悪い、それも少し忘れとこう」
僕はちょっと吹き出した。
コースケは真剣に言ったんだろうけど、今はコースケのノリの軽さで少し元気がでる。
「んーそんじゃあ、あれだ。こっからは俺が代わりに案内してやるよ」
「え?」
「流れ者は皆で歓迎する決まりなんだ。
特別にパーティーとかするわけじゃねぇけど、やりたい事とかとことん付き合うし、食事や寝床も全部こっちで用意してやる。
ほら、さっきも医者に治療してもらった時も金渡すとかなかっただろ?
まぁ元々ここでは金のやり取りがねぇ代わりに、後から礼に食べ物とか持ち込むんだけど…それも流れ者なら一切なし」
「だからさっき何も言われなかったんだ」
僕が医者にお礼をと言った時、コースケが何か言いかけたけど、この事だったようだ。
「そ。流れ者はいろいろ特別待遇なわけ。
記憶がねぇと不安だろうけど、誰かの払いで旅行に来たとでも思って、楽しんでけよ。
俺も全力でサポートしてやるからさ」
そう言ってコースケはにっと笑って見せた。
優しいコースケの笑顔に、僕も頷き笑顔で返した。けど、僕はそのコースケの笑顔に見覚えがある。
さっき、リンさんの家でクローゼットを開けた時だ。
その扉の内側にはたくさんの写真が貼ってあった。
ピントが合ってなかったり、正面を向いてない写真も多かったけど、そのどれもが楽し気な日常を切り抜いたような笑顔の写真。
その中にはビリーやコースケ、それにあの医者の笑顔もあった。
きっと、どれも、リンさんが大切に過ごしてきた時間の切り抜き。
それを見た時、『今、僕が無くしてしまった時間』と、『僕のいないこの世界の時間』に、僕は挟まれてしまったような気がした。
どっちにも行ける。
でもどっちにも行けてない。
今の、僕は………?
夕暮れか朝焼けかと見紛う真夜中の太陽が、今、北の空で僕を待っている。




