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運命のマスティマ  作者: 鏡 香夜
(6) Daily work 1 マスティマの日常1
99/112

89.希望のしおり

 戻ってこいとのボスの言葉に従う。

 けれど、足は鎖でも付いたように重かった。穴を掘って自分を埋めたい気分。

 顔に熱が集まり、体が震える。この場から逃げられるものなら逃げ出したい。だけど、ボスを目の前にそれは無謀だ。

 だとするなら、どうやって弁解するかを考えるだけ。

 読んでしまったのは寝ぼけてたで済むだろうが、あんなとんでもない本を持っていた理由は何と言おう。

 拾いました? 貰いました? 私のです?

 拾いましたでは、落とし主を探される可能性がある。

 かと言って、真実である貰い物なんて話したとしても、くれた野郎は誰だってことになる。

 なんにしろ善意のプレゼントだ。恩を仇で返すことだけは避けなければ。

 とはいえ、ものがものたけに、これは私物ですなんてことは口が裂けても言いたくない。

 そうなると、尋ねられてもそれとなくかわすしかない。それとなくというところが至極苦手な分野。でも、やるしかない。

 覚悟を決めた私の前に、差し出されたのは業務用のホッチキスで止められた冊子。

 真新しい紙にインクの匂いが残っている。

 これを読めと彼は言う。

 本の出所を聞かれなくてホッとはしたけど、いろんな意味でへとへとだ。だけど、勘弁してくれる望みはなきに等しい。

 観念して目を落とした冊子の表紙。そこに記されていた文字に釘付けになる。

 ロウ・コウエン著『薬膳のしおり』。

 ロウ・コウエンは中国料理のお師匠の名前だ。でも、彼にこんな著書があったなんて知らない。

 それにどうやって、何のつもりで、ボスがこれを?

 答えを求めて彼を見ても「読め」と繰り返すだけ。もちろん、私もすぐにでも読みたい。

 この思いは奇跡の合致。私はページを繰り、刷られた師匠の言葉を口にし始めた。


 新たな魔法の本を発見。

 そうと分かるまで大変だったけど。

 ところどころ訳が変な上、食材の名前も変。

 大根のところがタイコになっていたり、岩塩のところがガンシオになってたりした。

 想像力と知識を総動員してなんとか補完。

 おかげで、もともとぐったりだったのが、さらにへろへろになった。

 けれど、なんにしてもコウエン師匠の本を読めるなんて幸せの一言に尽きる。

 手ほどきしてくれた師匠の、まるで仙人のような姿が目に浮かぶ。

 白髪のひっつめ頭に長くて白い眉。私より小柄な体格だけどパワフルで、いつも裸足で裏山を歩き回っていた。食材に関しては、知らないものはないのではないかと思うほど詳しかった。

 そんな師匠の本だ。

 務めに関わらず、ずっと読んでいたい。

 だけど、残念なことにボスの部屋からは持ち出し禁止を言い渡された。次のお務めの時の楽しみにしておこう。

 眠ったボスを背に部屋を後にする。

 ああ、なんだか今日はいい夢見れそう。実際には、あと二時間ほどしか休めないのだけれど。

 この調子なら、次の夜からのボスと私の安眠は約束されたも同然だ。コウエン師匠本のお陰だ。師匠、感謝します。

 希望は心の太陽。まさにそのとおりで、溜まった疲れも一気に消えていくような気がした。

次回予告:ボスに酷使される技術情報部。隊員たちのモチベーション維持法にミシェルは驚くばかりで……。

第90話「魔法の飲み物」


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