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運命のマスティマ  作者: 鏡 香夜
(6) Daily work 1 マスティマの日常1
98/112

88.ポテンシャル

 望みを託していたが、『お気楽フレンチ』は玉砕した。

 ボスに投げられて、今は私の後ろの床に放置されている。

 残るは二冊。わずかではあるが、いけそうな気配はしていたので、もしかしたら大逆転があるかもしれない。

 サイドテーブルに置いてある時計を確認すると、もう二時を回っている。

 ベッドの中のボスはまだ眠くなさそうだ。

 私の方が持つだろうか。すでに頭の回転が落ちてきているのが分かる。まぶたが重くなってきていることも。

『おうちでフレンチ』を手に取る。

 口を開いていれば、眠気も退いてくれるかもしれない。

 期待して本のページをめくった。


 歩きながら眠れる人の存在は知っていたが、朗読しながら本気で眠れる人もいるということを自ら体験してしまった。

 頭に食らった衝撃で目が覚める。

 どうやらボスが私の頭を本の角でぶったらしい。痛さよりも眠りを邪魔されたことに腹が立った。だけど、それも一瞬で睡魔に引きずられる。

 ボスの前で眠るとは、なんて大胆不敵な私。意思の力を総動員して瞼をこじ開けながら、次の本を手に取る。

 泣いても笑ってもこれが最後。これで駄目なんて、もう考えたくない。

 霞んで見えにくい文字を追って、口を開く。挿絵なんて目に入らない。機械のように言葉を繰り出すだけ。

 それがどれくらい続いたか。気がつくと、本の重さが数倍に増していた。ぼんやりとしていた視界がはっきりとする。本に掛かっているのはボスの手か。

 二回瞬きして、正面を向いた私はようやく現実を知った。

 ボスの顔があったのは私の傍。それもキスでもしようかという近さ。

「お前、俺を誘ってんのか」

 息まで感じそうだ。

 頭の中をいろんな言葉が駆け巡ったが、実際私ができたのは息を呑むことだけだった。同時に後ろ向きのまま、立つことも忘れてダッシュする。

 四脚の椅子は当然そんな運動についていけるわけがなく、下がったのは数十センチだけ。

 椅子と共に後ろに倒れる私に、あろうことかお供がついてきた。それはベッドサイドに置かれていたライトスタンド。それもポールの一部がクリスタルという見るからに高級そうなもの。

 コードが椅子の足に引っかかっていたらしい。このまま倒れたら壊れちゃう。

 そう思うものの、体が動かなかった。この反射神経の利かなさ。きっと寝不足のせいだ。もうなるようにしかならないと衝撃に備えて目をつぶる。

 だけど、痛い思いをすることはなく、スタンドが壊れることもなかった。

 椅子は空中で止まっていた。ボスが片手で椅子の背を支えていたからだ。彼のもう一方の手にはスタンドの軸が握られていた。

 何だ、この格好。ダンスのタンゴの決めポーズのよう。私は座ってるけど。

「あ……ありがとうございます」

 焦って口にしたせいか、声が上ずってしまった。彼は不愉快そうに目を細める。

 それでも椅子はちゃんと戻してくれた。

 ボスはスタンドの調整に取り掛かった。無事でよかった。絶対私じゃ買えないような代物だ。

 なんでこんなことになったんだっけと考えて、思い出す。「俺を誘ってんのか」って、ボスの言葉がよみがえる。

 どういうこと? それ以前の記憶がない。すごく眠かったとしか覚えていない。状況がつかめなくなり、混乱しかけた私の膝の上に落とされたのは本。

 それも『ハレンチな人妻』なんて、とんでもないタイトル。

 は? これを朗読しろってこと?

「こんなの読めません」

 我ながら真っ当なセリフだと思う。ところが、返ってきたのは「読んだだろうが」という答えだった。

 ベッドに腰掛けたボスを見返す。この人は冗談なんか言う人ではない。ということは……。

 振り返った私の背後の床には『お気楽フレンチ』と『おうちでフレンチ』。であれば、この部屋のどこかに三冊目の『ひと手間フレンチ』があるはずだ。

 だけど、それらしきものはない。床もサイドテーブルにも、ベッドの下まで見たけど、どこにもなかった。

『ひと手間フレンチ』と『ハレンチな人妻』。言葉をいじれば 微妙に似てなくもないかも。……っていうか、そんな問題じゃない。

 どこで入れ替わったかと考えれば、思いつくところはひとつだけ。私の部屋の玄関近く。本の入った紙袋を倒してしまったときだ。写真とか漫画とかあったけど、小説本まで入っていたのか。

 サイズが同じだったために、気づかずに持ってきてしまったらしい。

 恐る恐る開いてみて仰天する。

『声が出ちゃう』……どんな? とか。『吸わないで』……どこを? とか。

 とても十八歳未満には見せられない内容。

 こんな本を声に出して読んでしまうなんて、破廉恥なのは人妻じゃなくて私だ。

 いたたまれなくなり、本を片手に立ち上って、そそくさと立ち去る。恥ずかしすぎる。会わせる顔なんてない。

 私の足を止めたのは、ボスの声。

「逃げるな。俺を誘うつもりじゃなければな」

 そう言われて、立ち止まるしかなかった。

次回予告:問題ある本をボスに読んでしまったミシェル。逃げ出したい彼女の前に差し出されたのは……。

第89話「希望のしおり」


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