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運命のマスティマ  作者: 鏡 香夜
(6) Daily work 1 マスティマの日常1
95/112

85.プラスアルファ

 コックの仕事と聞いて、思い浮かべるのはどんなものだろう。

 メニューを考え、素材選びをして、調理、皿に乗せて口に入るまで。普通そんなところだろう。

 マスティマでの仕事はさらに広がりを見せる。

 配膳や片付けも私の役目だ。それに文句はない。食に関するものなら、なんであっても仕事のうちだと思っているし、厨房にこもって黙々と作り続けるだけなんて性に合わない。

 食べてくれる相手との接点があるほうが嗜好を知ることもできる。工夫することができる。料理の幅も広がるからだ。

 実は私の仕事はコックだけでない。正確に言うと。

 最初はコックだけだったのだが、後から別の仕事が追加されたのだ。

 それは……ボスを寝かし付ける役。

 何故そんな役回りになったのか、話せば長くなるので割愛しよう。分かったのは、不眠症である彼を眠らせる能力が私にはあること。F分のゆらぎを持つ声だというのだ。

 そんな私の必須アイテムは本。

 読み聞かせていると、ボスは眠くなってくるらしい。

 こんなこと、どう考えてもコックの仕事なんかじゃない。だけど、マスティマに入る第一条件は男であることなのに誤魔化してしまった私としては、大きな弱みだ。ボスは私を首にする力を持っている。逆らえば、マスティマから去らなければならなくなるのは明らか。

 お腹をすかせた隊員たちを残して出て行くなんて考えられない。

 私が来るまで、乱暴なボスのせいでコックが居つかず、インスタントやファストフードで食事を済ませていた彼ら。そんなもので、本来の力なんて出せるはずがない。

 私の我慢で収まるなら安いものだ。

 忍耐力の限界に挑戦の夜の仕事は一週間に二日。

 マスティマで知っているのは、ボスとアビゲイルだけだ。彼女が女物の洋服や化粧品などを調達してくれる。

 深夜にボスの部屋に居座るコック、それも男だと不自然だろうという理由で、女の姿であることを余儀なくされている。

 私はもともと女だし、女装とは言わないはず。だけど、マスティマでは男で通っているから、やっぱり女装というのだろうか。

 短い髪を隠すための鬘。地毛と同じような茶に金が混じった色だけど、もともとのくせ毛とは質が違うストレート。長さは肩を覆うくらい。

 服は男装を始める前から縁が遠いワンピースやスカートが多い。それに未だ馴染めないハイヒール。

 アビゲイル直伝の化粧は、ようやく慣れてきた。化けるとはよく言ったもので別人だ。男装なんてしていない頃の私と比べても。

 女の姿の私は、不本意なことにボスの愛人だと周囲からは見られているようだ。

 はっきり言って、私と彼との間はそんな関係ではない。

 夜、二人っきりの密室空間、それも寝室だけど、そういう雰囲気とはまるで違う。

 寝つきが悪い彼を前に、早く眠ってくれと祈りながら、椅子に座って本の朗読をするだけなのだから。

『世界の料理とその起源』は、私の宝物。ボスを眠らせる魔法の本だ。

 彼の枕元で読み始めてから三ヶ月。

 寝入りまでの時間は短縮する一方。すぐに目覚めて催促され、声を枯らして朝を迎えることもあった最初の頃が夢のよう。こちらの疲労度も段違いだ。

 ありがとう、私のバイブル。本を抱きしめながら、心から感謝する。

 これさえあれば、まさに怖いものなしだ。

 だけど、災いは忘れたころにやってくる。そのことわざは本当で、ある日突然、魔法が切れた。

 

 焦る私とイライラし始めたボス。

 いくら本を読み進めても眠る気配がない。

 ベッドの中から飛んでくる突き刺すような視線。このプレッシャーのせいで落ち着かない気分になってくる。声の調子も変わってきて、不のスパイラル突入だ。

「眠くなりませんか?」

 そう聞いたら、彼は起き上がると私の本を奪い取って、床に投げ捨てた。

 慌てて拾いに駆け寄る。

 表紙は大丈夫。中の折れ皺も伸ばせば何とかなりそう。手にとって確認する。

 ボスには魔法の切れた本なんて、どうでもいい物だろうけど、料理人にとっては知的財産だ。この初版本は値打ちのある貴重なもの。

 酷い人だとベッドを見やれば空っぽ。私の腕を掴んでいた。

 なんだって言うの。待ったなしで引きずられて寝室を出た。

 突き出されたのはリビングの本棚の前。

「選んで持ってこい」

 そう言い残すと寝室に戻っていく。呆然とする私を取り残して。

 あの……私のセレクトでいいんでしょうか。ボスの趣味とか嗜好とか、味覚以外は知らないんですけど。

 それに私が選ぶってことは、全責任がのしかかる。それだけでも気が重いのに、目の前にした、立派な本棚ときたら。

 ざっとみても二百冊くらいありそうだ。高さは私の背を優に越えてるし、幅は私の広げた腕にも収まらない。

 本のジャンルもいろいろだ。医学書、歴史書、哲学書、旅行記もあれば詩集や児童文学まである。

 この本棚は、ボスの銃とワインのコレクションを収める部屋を隠すためのカモフラージュ用。だから、これほど統一感がないのだろう。

『世界の料理とその起源』の本を見つけたのもこの中。それは偶然の産物。どれが新たな魔法の本かなんて私にも分からない。

 ここでじっとしていても始まらない。なにかインスピレーションが沸いてくる確率も低い。

 とりあえず、眠くなりそうだと思われる法律の本『英国法辞典』と哲学書『人生を考える』を手に取り、寝室に戻った。

次回予告:失われた魔法の本を探して。ミシェルの苦労は報われるのだろうか?

第86話「ディスカバリー」


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