84.色眼鏡と虚像
私の直属の上司であるアビゲイルは、医師にして総務も任されている。
マスティマの制服は黒だから、彼女の白衣姿は目立つ。ひらめく白衣は私のものとは大違い。格好いい。
弟であるジャズ隊長と同じ赤い豊かな巻き毛は、いつも邪魔にならないように整えられていた。
今日はアップスタイルだ。シャツにスカート、その上に白衣を羽織っている。美人でスタイルもいいこの人は何を着てもキマる。名実共に文句なしのデキる美女だ。
「あら、マイケル。もしかしてアレ見ちゃったの?」
振り返ったと思った一瞬で見抜かれた。私って顔に出るタイプなんだろうか。いや、きっと彼女が鋭いのだ。
「グレイが対応係なのに、何やってるのかしら」
アビゲイルは訝しげだ。
ああ、そうそう。グレイから言われてたんだっけ。
「私の体重が軽すぎたんだそうです」
私自身、意味の分からない言葉だったけど、彼女は納得したようだった。
「ご自慢のトラップが失敗なんて気まずいでしょうね。それで自分で来なかったのね」
疑問が確信に変わる。あれは、やっぱりグレイの仕業だったのか。
「彼、むくれてたでしょう?」
アビゲイルの指摘で腑に落ちた。いつになく事務的で無表情なのは、そのせいだったのかと。
あれがむくれてたなんて、なんだか可愛いところもあるんだなぁと思ってしまう。
それから、アビゲイルは、トラップにかからなかったのは良かったじゃないと言い出す。
いえ、トラップにはかかりました。見た後でですけど。
そう答えると「運が悪いわね」と返ってきた。
彼女は引き出しから取り出した茶封筒を抱えると、私に仕事に戻るよう諭した。
何が起こっているのか把握しているようだが、彼女もまた私に話す気はないようだ。
「ジャズのアレについては、ここだけの秘密ね」
私を医務室の外に押し出すと、そう念押しして去っていった。
認めたくないことだったのに、アビゲイルの言葉であっさり肯定されてしまった。
城の屋上で隊員を締め上げていた人物の正体。いつも明るくて、にこにこ笑っていて、怒ってるところなんて一度も見たことがない人。
はっきりと見てしまった。あれはジャザナイア隊長だった。
そのギャップは壮絶で、幻覚でも見らかたかと自分の目を疑ったほどだ。固まった笑顔が張り付いたままの表情で、部下をいたぶるなんて怖すぎる。
とうとうボスに感化されてしまったんだろうか。あんな風に凶暴化するなんて。
アビゲイルに口止めされたから、誰かに尋ねることもできない。
最初から知っている人なら問題ないだろうと、食堂にコーヒーを飲みに来たグレイに聞いたが、「隊長は悪くねー」の一言だけ。それ以外の質問は、のらりくらりとかわされてしまった。
胸のもやもやは晴れることはない。この先ずっと溜め込むことになるのだろうかと覚悟した矢先、答えが出た。
最初にはっきりさせておくが、やっぱりボスは関係なし。疑ってゴメンナサイ。
私の大事な情報源。食堂を利用する隊員の雑談から、明らかになった。希少な古株さん達だ。コーヒーを飲みに来た強面の二人。
「隊員が一人辞めるってさ。隊長をキレさせる奴なんて何年ぶりだ? 失態も三度続けば救いようがねーな」
「連絡係のあいつだろ? 持ち場を離れて情報が中断。命張ってるこっちの身にもなれってんだ。隊長が引き取らなかったら、ボスの制裁炸裂してたろうな。なのに、ちょっと休憩したのが悪いのかって逆切れしたらしいぜ。ほんと分かってねえ」
「向いてねーんだ。誰か死なせねーうちに辞めてよかったんじゃねーか?」
会話に聞き耳を立てつつ、近くのテーブルを布巾で拭く。お陰でこの人たちの周りのテーブルは脚までぴっかぴかになってしまった。
それにしても任務ってやっぱり大変なようだ。私はコックだから関わりがなくて想像しかできないけど。
隊長には隊を守る責務がある。上司もあんな人だし、きっと色々あるんだろう。そんなことを思わせないジャズ隊長は凄い人なのかもしれない。
任務明けの賭けカードも、仕事上のストレスを発散させるためのものなんだろうか。
もし、そうだとしたら、私にできることは……。
コックの権限を最大限に活用してもやれることは限られている。
とりあえず、この日から、ジャズ隊長のお酒のつまみは、気持ち豪華になった。
次回予告:コックに加えてもう一つ、ミシェルのやるべきこと。これはもう仕事とみなすべきかと彼女は考えるが…。
第85話「プラスアルファ」
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