83.予想外のできごと
屋上は警備の人間しか上がれないことになっている。今まで私も行ったことはない。
扉へと続く階段の前には、赤い色のバイロンが並べて置かれていた。よく工事中の道路にある三角錐のプラスチックの器具だ。
明らかに入るなという意味。でも、今は紛れもない非常事態。
バイロンの間を抜けて、階段を駆け上がり、屋上へと続く扉を開けた。
飛び込んできたのは隊員が一人こちらに駆けてくる姿。さっき吊られていた人だ。かわいそうに悲壮感に満ちた表情だ。
その足が突然止まった。宙を飛んで体に落ちてきた縄の輪が締まったからだ。縄は背後に続いている。
彼はばったりと前に倒れて、蓑虫みたいにもがきながらもずるずると後ろに引きずられた。
縄を手にした人が手繰り寄せている。
「話は終わってねぇぞ」
その声、姿に唖然とした。
「ボスじゃない……」
混乱して後ろに下がる。音もなく閉まる扉を目の前にして「ミック」と声をかけられた。
マスティマで私をこんな風に呼ぶ人は一人しかいない。
階段を昇ってくる足音に振り返ろうとすると、急に足元がぐらついた。
あっという間に天井が近くなり、大の字に貼り付けられる。
衝撃よりは驚きに「おおっ」と声が漏れる。女の子らしく「きゃっ」と出ないのが幸い。
だけど、その事実に「おっさんか」と心の中で自分突っ込みして、凹んだ気分になった。
体を天井に留めているのはネットだ。どうやら罠にはまってしまったらしい。
「面白れーことになってんなー」
下から聞こえてきたのはグレイの声。
こっちは全然面白くないのに。
天井に貼り付けになって、見上げられているこっちの身にもなってほしい。
「ちょっと待ってろ」とは聞こえてきたけど、なにをしているのかは分からなかった。
ネットのせいで頭を動かすのは真横が精一杯。見下ろすこともできない。
「なにが原因だ? タイムラグが……」
ぶつぶつ言いながら、ごそごそやってる。
「計算は間違ってねーなー。これか? いや、これか?」
二回目の「これか」で、グレイが何かを引っ張った。
私を天井に貼り付けているネットがさらにきつくなる。しかも、その締め付けは次第に増していく。
「お前、体重何キロだ?」
こんな状況で聞くことだろうか。それに女子に体重聞くなんて失礼だと思う。
だけど、一応ここでは私は男で通ってるし、彼は先輩だし。答えておこう。
「えっと……、四十三キロくらい?」
「自分の体重がなんで疑問形なんだ。くらいじゃ意味ねーし。正確なやつじゃねーと」
最近計ってないし、覚えてもない。
それより、ネットがきつくて苦しい。どんどん天井に押し付けられていく。頬にダイヤの形が刻まれそうだ。先に下ろしてほしい。
「グレイ、早く……」
言葉はそこで途切れた。
私の唇の傍にいきなりナイフが突き刺さったからだ。空を切る風も感じた。ネットも一部がキレイに切断されている。
少し間違えれば顔をざっくりだ。茫然としていると、扉が開いて屋上から出てきた人がいた。
「アビーに言って、手続きしてやれ」
その人のいつもと違うどんよりとした声。
「疲れた」と大きな溜め息をついて、階段を下りて行った。
私が天井から下されたのは、遠ざかる足音が完全に消えてからだった。
「怪我はねーな」
グレイは一言確認で済まして「アビーを呼んで来い」と言った。
え? トラップのこととか、投げ縄やってた溜め息の人とか、なにか説明は……?
「お前の体重が軽すぎたってアビーに伝言」
グレイはポケットサイズのパッド型コンピューターの端末に、数字を打ち込みながら言った。教えてくれるつもりはないらしい。
仕方ない。アビゲイルを呼んでくるか。
伝言の意味はいまいち分からないけど、屋上の人は放置したままだし、どっちにしても彼女が必要なのは間違いない。
そう思って、医務室へと足を向けたとき、グレイが「おい」と声をかける。
なにか説明してくれる気になったのかと思いきや。
「お前、も少し太ったほうがいーぞ」と一言。
それが今必要な話題なのかと疑問に思ったが、彼は、すぐまたパッドに目を落としてしまった。
私は医務室へと向かった。
次回予告:隊員を痛めつけていたのはボスじゃない? 困惑するミシェルは経緯を知ることになるが…。
第84話「色眼鏡と虚像」
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