82.戻ってくる日常
年が明けると、次第にマスティマの城にも活気が出てきた。
廊下ですれ違う人も少しずつ増えてくる。
二日目の夜にはレイバンとグレイが帰ってきた。
休みだったはずなのに、レイバンはバテバテだった。
聞けば、愛犬マリアを人質ならぬ犬質に取られ、グレイの実家で彼の兄弟達の遊び相手にされたらしい。
繁盛期の遊園地にある乗り物並みの人気。子供たちに群がられてせがまれるたび、抱っこしたり、肩車したり、馬になったり、ノンストップの大活躍だったという。
人数を聞いて同情する。グレイは五人兄弟。年の離れた弟と妹は合わせて三人。そりゃ、バテるはずだ。
やつれた感が否めないレイバンは哀れな風体。
三日目の午後、帰ってきたのはアビゲイル一家。
娘のプリシラは上機嫌。祖母作だという、日本の怪獣映画ゴッドジラーのワッペンを得意げに見せてくれた。
恐ろしくリアルなおばあちゃんの力作。彼女はキュートだと繰り返していたが、その辺の感覚は私には理解できない。
四日目の朝、最後のお帰りはジャザナイア隊長。口笛を吹きつつ、片手の革のジャケットをぶんぶん振り回しながら、ロビーを歩いていたという。彼女と楽しい休暇だったんじゃないかという噂が立っていたが、真偽の程は不明だ。
五日目になると、城は何事もなかったかのような、いつもの様子。
アビゲイルから、年明けの瞬間のことを尋ねられるのではないかと冷や冷やしたが、取り越し苦労だった。やっぱり酔った勢いの話題だったのかとほっと息をつく。
別に何もなかったのだから、そのとおりに話せば良いだけのこと。だけど、あんまり口にしたくはない。
「犬に先越されちゃいました」って、色んな意味でなんだか恥ずかしい。
四駆と車庫の壁を壊したことは、大げさなことにはならずに済んだ。修理の費用は毎年組まれる特別予算である修繕費、実態は『ボスの破壊による補修・修繕費』で落ちることになった。
「年度末になると足りなくなるから、今のうちで良かったんじゃない?」
アビゲイルは軽く笑って言う。
慣れというのは怖いものだ。
城の中で地響きがしようが、爆発音が聞こえようが、いつものこと。もっとも私は未だにびくついてしまうが。
隊員たちは「ボスが暴れてる」で終わってしまう。騒ぎや助けを求める声だって「また」になる。
そんなマスティマの城だったが、それでも無視できない悲鳴を聞きつけた。
それはある朝のこと。
任務が終わっての部隊が帰着予定が、午前九時頃で、ボスの朝食は不要だと連絡が来ていた。
そろそろ着いている頃だと壁の時計で確認する。
今朝は、城の中で勤務する人たちの分だけを準備すれば良いので楽ちんだ。
ちなみに今朝のメニューは、オムレツとサラダとトースト、コーヒー。
セルフで、トースターでパンを焼いてもらっている間に、オムレツを一気に仕上げる。
ナイフを入れると黄味がとろけ出る加減。トッピングの追加にも答える。一番人気はチーズ。
もっとも、ぱりかたオムレツ派の人もいて、要望通りに焼き目がつくくらいに、しっかり火を通す。
言葉で好みの加減を伝えるのは難しい。だからこそ、正解を当てるとほんとうに嬉しくなってしまう。
最近では、料理メモにボスのことだけでなく、隊員たちの好みも書き入れることが増えてきた。
メモを見直して思う。こうして皆の期待に応えられることは幸せなことだ。自然と笑顔になる。
ふと戸口から見える窓の向こうに目が行く。
厚い雲の隙間から斜めに光が差し込んでいる。神秘的でまるでベールのよう。天使のはしごだ。清々しい気分になる。
廊下に出て窓に近寄った。荘厳にも見える美しい光景に見とれていると、何かが上から降ってきた。
今のって人じゃなかっただろうか? 屋上から誰か落ちた?
悲鳴は続いている。目の前にはロープが釣り下がっていた。
窓に額をくっつけて見下ろすと、足首を縛られた隊員が、地面すれすれのところで、のた打ち回っていた。
こんなことを誰がするって、答えは決まっている。
彼を助けることができるかは分からないが、現場を見てしまった以上、見ぬふりもできない。
私は屋上を目指して駆け出した。
途中の廊下の突き当たり、会議室近くでボスの姿を見かけた。立ち止まってグレイと何か言葉を交わしている黒いコートの背中。
任務から帰ってきて早々、隊員をあんな目に合わせるなんて酷い上司だ。
じっと見ていると、ボスが振り向いてこっちを見返した。有無を言わさぬ迫力ある視線。
一瞬思考が止まり、足も止まりそうになってはっとする。
ボスがここにいるということは、あの吊るされた人は解放されているはずだ。無事かそうでないかは現場に行ってみないと分からない。
確かめて、必要ならアビゲイルを呼ばないと。
ボスの視線を振り切り、角を曲がって屋上へと向かった。
次回予告:ボスにいたぶられる隊員をなんとか助けようとするミシェル。けれど、現場に踏み込んでみたら、想像とは違っていて…。
第83話「予想外のできごと」
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