表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
運命のマスティマ  作者: 鏡 香夜
(5) Christmastide クリスマス・シーズン
90/112

80.カウントダウン

 キッチンへ向かおうとする途中、思いっきりボスと目が合ってしまった。

 彼はソファから立ち上がる。こちらへ近寄ってくる。

 まさか、アビゲイル、ボスにまで私と同じことを言ったわけじゃ……。

 固まる私の前に彼は手を伸ばしてきた。

「返せ」

「あっ……そうか。そうですよね」

 たどたどしい返事をしながら、握り締めていた携帯を渡した。

 ボスはそれをジーンズのポケットに滑り込ませると、ソファに戻った。

 コリー犬のマックスが彼を待っていた。最大の難事を切り抜けたと分かっているようだ。

 前足に乗せていた頭を上げて尻尾をぱたぱたしている。撫でてと声が聞こえてきそうだ。だが、ボスはそのままソファに腰を沈めただけだった。

 私は息をつく。意識しすぎだ。いくら酔っていたにせよ、アビゲイルがボスに言うわけがない。

 頭を切り替えて料理のことに集中しないと。コックの仕事は食事が終わるまで続くのだから。別のことを考えている余裕なんてないのだ。

 片手を当てた頭を振りながら、はっとする。アビゲイルに大事なことを伝え忘れた。四駆と車庫を壊したこと。

 だけど、電話をかけなおすのも気が進まない。彼女は休暇中だし、酔っていたし。城に帰ってから報告しても遅くはないだろう。

 私はキッチンに戻って料理を再開した。とたんにボスのこともアビゲイルの言葉も、頭の隅に追いやられた。仕事というものは貴重なものなのだと改めて実感した。


 お酒は料理には欠かせないものだ。

 食材の臭みを消したり、柔らかくしたり、風味を増したり。切っても切れない存在。

 飲料としてのアルコールについて言うなら、私自身、得意な方ではない。日本人である祖母の遺伝のようだ。自覚があるので飲み過ぎないようにしている。ワインでもグラス一杯に足らず、すぐに顔が赤くなるのだ。

 水を飲んでいたら、「これ以上飲んじゃ駄目」と白ワインと勘違いされて、取り上げられたこともあった。それほど早くに酔い覚ましを飲んでるなんて想像つかなかったらしい。

 そんな私だが、今日は酔っ払いたい気分だ。

 料理自体の出来は良かった。薪ストーブの傍で囲んだテーブル。ボスからのお小言もなかったし、ジェフリー、エマ夫婦にも満足してもらえたようだ。

 問題なのは夕食が終わってしまったことだ。後片付けも後からすることになっていた。つまり、コックの仕事は一時中断。

 テーブルには空になった皿と栓の開いたワインやビール瓶。ボスはワイン専門。ジェフはビールを次々に空け、エマはビール、それからワインと両方味わっていた。

 ここで重要なのは素面に一番近いのは、ワインをちびちび飲んでいた私だということだ。

 お酒の力を借りて、頭に浮かぶ物を追い出せたらどんなに楽だろう。私の視線はボスと壁に掛けられた時計を行き来している。あと三十分もない。年が明けるまで。

 アビゲイルの言葉が蘇る。年明けの瞬間は誰とでもキスしていい? そりゃ、ジェフとエマは夫婦だからいい。

 じゃあ私とボスがって? そんなこと考えられない。

 きっと殴られるに決まっている。「何のつもりだ、お前」って。

 意識をすっ飛ばしてしまいたい。お酒に頼ったら間違いなくそうなりそうなので、冗談じゃすまないけど。きっと眠っちゃうだろうな。今までで一番多いパターンだし。

 でも、そんなことになったら……。

「俺に恥かかせやがって」って、蹴りを入れられるだろうか。

 どっちにしたって結果は同じ。暴力を振るわれるんじゃたまらない。

 ボスに目をやると、コリー犬のマックスに芸を仕込んでいるところだった。鼻の上にクッキーを乗せて、よしと言うまで我慢させている。涎をだらだら垂らしながらも耐えている姿はけなげの一言だ。

 視線に気付いたボスは、何見てんだと睨みつけてくる。私は慌てて下を向いた。

 どうしたらいいんだろう。時計よ、止れ。祈ったって何も変わらない。

 秒針のカチカチという音が耳について、いっそう焦る。ちらちらと彼の方へ目が行ってしまう。心は乱れるばかりなのに、針は正確に時を刻み続けている。

 そうして、長針と短針がいよいよ重なった。

「ハッピー・ニューイヤー」

 エマとジェフは言い交わし、キスした。

 とうとう来た。私、どうしたらいいの? 恐る恐るボスへと向いた。そこへ飛び込んできた光景。

「あっ」と声を上げてしまった。

 ボスの唇をマックスが舐めていた。嬉しげに尻尾を振り回しながら。

 どうやら、クッキーの我慢大会に勝利してテンションが上がっているようだ。

 邪魔臭そうにボスは顔を押しやっている。

 なんだか、ひとりあぶれた気分だ。別にボスとキスしたかったわけじゃないし、そのつもりもなかったけど。

「ひどい子ね、マックス。ごめんなさいね、ミシェル」

 エマに返す言葉も出てこない。誤解を解こうと説明する気も起きない。

「あの子はオスだから大丈夫よ」

 いや、そんな問題でもないし。

 妙に落ち込んだ気分に陥る私を抱きしめ、エマは両頬にキスをくれた。

「ハッピー・ニューイヤー。あなたと年を越せて嬉しいわ」

 彼女の言葉にじんとなって不意に涙が出そうになる。

「私もです、エマ」

 まるで家族みたいだ。イタリアにいる母と祖母に思いを馳せる。

 彼女の頬にキスを返しながら、抱きしめる。一人でなく彼らと年を越せたことを嬉しく思った。

 ……て、あれ? もし、ボスが私をここに連れてきてくれなかったら、城の自分の部屋で、一人きりの年越しになってた。それにエマだって、手首を傷めたままじゃ料理だって辛かっただろう。

 もしかして、ボスはそれを考えて……?

「いい嬢ちゃんじゃないか」

 ビールのせいで赤らんだ顔のジェフがボスの肩をぽんと叩いた。

 ボスは何も答えず、睨みつける。すると驚いたことに彼は破願した。雰囲気が一変、陽気な笑顔を浮かべている。

「結婚の際には知らせろよ」

「冗談じゃねえ」

 ボスはこれ以上ないほどに顔をしかめて言った。

「まあ、照れ屋さんねぇ」

 エマの言葉に、今度は彼女を見据えた。

 豪快な笑い声が上がる。声の主はジェフだった。彼はボスの背中を掌で連打している。

 ボスの表情は苦虫でも噛み潰したようだ。それでもじっとソファに留まっている。マスティマではありえない光景だ。

 笑いが止らない様子のジェフを辟易した表情で見やっている。寄ってきたエマに頭を触られて、彼女を睨みつけるが、効果はなかった。

 昔からの知り合い同士。加えて怖いもの無しの酔っ払いだ。マスティマのボスであることなんて彼らには関係ないわけだし。

 二人に挟まれたボスは、なんだか別人のように見えた。

次回予告:年始の朝、お酒の影響力を考えさせられるミシェル。牧場を後にする際、ボスが彼女を連れてきた理由を尋ねてみるのだが……。

第81話「年明けて」


お話を気に入っていただけましたら、下の「小説家になろう 勝手にランキング」の文字をぽちっとお願いします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ