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運命のマスティマ  作者: 鏡 香夜
(2) Probation 仮契約
9/112

9.ボスの夕食

 さて、そろそろボスの夕食の準備に取りかからなければ。

 十個の皿とカップを洗い終え、調理器具も片付けた私は考え込む。

 それから、皆の分もだ。少なくとも十人分は用意したほうが良さそうだ。

 まずは何を作るかだ。最初だから得意なものを作るのが無難なんだろうな。

 やっぱりイタリア料理にしようか。一番年季が入っているし、自分なりのアレンジもききやすいし。

 食材を見て回りながらメモを取る。

 牛肉もある。それを使った料理をメインにして。

 お酒も必要だろう。ちょうどイタリアワインがダンボールの中に入っていたし。

 一時間程かかってなんとかまとまった。あとはもうこれで作るしかない。決めてしまえば早いものだ。

 下ごしらえを終えた後、ボスの食堂との間を何度か行き来してみる。道を間違えました、迷って遅れました、なんて許されるわけがない。運搬用のワゴンと食器を持ち出して、厨房に置いておく。

 鍋に火を入れて、壁に掛けられた時計を見上げ、息を吐く。

 あと二時間。長いようで短い。いや、短いようで長いのだろうか。

 私はテスト前の学生のように落ち着かない気分でその時を待っていた。


 午後八時を十分前にして、料理を皿に載せる。

 そして、ワゴンを押して廊下へ出て、ボスの食堂へと向かう。

 扉の前で腕時計を確認する。三分前だ。ノックをして部屋に入ると、奥の正面の席に人が座っているのが見えた。

 落ち着かずに見渡すと、壁際に立つアビゲイルと目が合う。さすがに白衣は着ておらず、スカートにマスティマの制服であろう黒い上着を身に着けていた。こちらにウィンクをくれる。

 彼女の存在に勇気をもらって、私は部屋の中を進んだ。

 テーブルの横にワゴンを止め、食事の準備を始める。皿の配置は頭に入っていたし、置き方だって自信があった。だてに子供の頃からウェイトレスをやってはいない。

 だが、私の手は皿を持ったまま、完全に止まってしまった。

 アビゲイルを振り返る。彼女は何事かと近寄ってきた。

「ボスは……後でいらっしゃるんですか?」

 問いかけに彼女はまるで要領を得ないという顔をしていた。

「この人、ボディガードの人ですよね?」

 念押ししてみる。彼女は目を見開いて私を見つめた。

「早くしろ」

 ボスの席に着いた人が低い声で凄む。上着を脱いでちゃっかりボスの場所にいるなんて、ずうずうしい。

 この黒髪の人はボディガードだ。廊下ですれ違ったライフルを持っていた人。どんなに怖がらせても、ボスのために作った料理を渡したりするもんですか。

「ちょっと、マイケル」

 彼女は壁際に私を引っ張る。

「彼がマスティマのボスよ。何言ってるの?」

「え? あのジャザナイア隊長の横にいた人じゃ……」

「あれは部隊が捕縛した犯罪者よ」

 彼女の答えに一気に血の気が引く。どうも私はとんでもない勘違いをしていたらしい。

 にしても、あんな温和そうな犯罪者なんて反則だ。どう見ても椅子に座っているこの人のほうが悪者に見える。

 今も彼は恐ろしい目つきで私を睨みつけている。全身の血が凍りつきそうだ。

「いつまで待たせる気だ?」

 冷たい刃のような声。含まれる怒りの度合いが増した気がする。

 私は慌てて準備を続けた。ボスの視線をかわすようにして。グラスを返しかけること一回。それだけで済んだのは奇跡だ。

 彼はナイフとフォークをとる前にスープ皿に触れた。黒い革手袋をつけたままで。

 もともと上がり気味の眉がさらに吊りあがる。彼が眉を寄せたせいだ。

 それから、いきなり牛フィレ肉のソテーに手を付けた彼は一口だけで、ナイフもフォークも置いてしまった。

「おいお前、こんな不味いものを俺に食わせる気か?」

 迫力のある声にあの目つき。人を威嚇するには効果抜群だ。おまけに苛立っているのが分かる。

 しかし、不味いと言われるとは。味見はちゃんとしたし、そこまでの味ではないと思う。

 だが、相手はマスティマのボスで、もちろん私のボスでもある。

 私は言葉もなく、手の付けられていない料理を見下ろすだけだった。

「アビゲイル、いつもの店に電話しろ。今から行く」

 彼の言葉にアビゲイルは肩をすくめ、上着のポケットから携帯電話をとった。

 ボスは席を立とうとしていた。

 そんな。こんな風に最初の食事が終わってしまうなんて。私はテーブルに歩み寄り、ボスの傍に立った。

「何処がいけなかったんでしょうか?」

 アビゲイルがあっけにとられて、私たちを見つめている。

「ああ?」

 ボスは立ち上がり、私を見下ろした。かなりの身長差になる。怖いけど、今さら後には引けない。

 私は恐怖を押し殺し、彼を見上げた。

「自分で考えろ」

 次の瞬間、何が起こったのか分からなかった。

 頭に温かいものが降り注いだ。その後に続く硬い感触。顔を滑り落ち、胸を伝わって、絨毯に広がるそれを目にするまでは。

 私の料理だ。彼は私の頭にスープ皿を投げつけたのだ。

 思わず力が抜ける。膝を崩して座り込む私の横を、上着を羽織ったボスが通り抜けていった。

 頭を下げると皿も落ちてきた。

 ボスが扉を閉めるのと皿が床に落ちるのは同時だった。

 茫然と座り込む私にアビゲイルが声をかける。

「私がボスをちゃんと紹介しなかったから。ごめんなさいね、マイケル」

 違います、アビゲイル。確認しなかった私が悪いんです。

 心の中で思うも言葉として出てこない。ただ、私にできたことは床を片付けることだけ。

 体を動かしていないと涙が出てきそうだった。悪寒を感じているように震えが走る。

 アビゲイルの慰めの言葉に何も返すことが出来ないまま、私は片付けを終えると、ワゴンを押してボスの食堂を後にした。

次回予告:ボスの仕打ちにショックを受けるミシェル。食堂で待っていたグレイは、彼女に過去の料理人たちが残したメモを見せるのだが……。

第10話「料理人の覚悟」


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