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運命のマスティマ  作者: 鏡 香夜
(5) Christmastide クリスマス・シーズン
88/112

78.地獄の夜明け

 牧場の一角である、白い策に囲まれた砂の馬場。ボスがさっきの馬に跨っている。

 真っ黒な大きな馬。まるで遊園地のアトラクションのようだ。その場で前に後ろに跳ね、乗り手を振り落とそうとしている。とんでもない高さ、四つ足でも滑りこけそうなほどの捻りに度肝を抜かれる。

 だが、ボスのほうが上手だった。見ているこっちは冷や汗ものなのに、彼は表情一つ変えずにじっと鞍に留まっている。

「やってる、やってる」

 柵の外で見ていると、後ろから声が聞こえてきた。

 エマだ。彼女は私の隣に来ると、ボスと馬を見やって微笑んだ。

「ドーンも気合十分のようねぇ。頂上決戦でもやってる気分なんだわ」

「ドーン?」

「そう。ヘル・アット・ドーン。あの馬の名前」

 毛先に行くほど明るい色になっていく黒く長い鬣は、白々とした曙を思わせないでもない。直訳すれば、地獄の夜明けの意味。なんだか凄い名前だが、あの馬なら合ってる気がする。

「ディーかうちの人しか乗れないのよ。能力は高いんだけど気性が荒くて、四人も病院送りにしてるの。ディーが気に入ってなければ置いてないわねぇ」

 厩舎での、あの男の人の言葉に合点がいった。

「五人目にならずに済んだな」って。あれは病院送りにならなくて済んだなって意味だったのだ。

 だけど、ボスがいないと置いていない馬って。それなりの乗り手だってことだろうか。もっとも、彼の場合は人に対するのと同じように、馬にプレッシャーをかけているのだと思う。

 ひとしきり抵抗を試みた馬は、無駄だと悟ったらしい。従順に運動を始めている。

「ディーも途中でやめなきゃ、五輪出場くらいは果たしていると思うのに。勿体無いことよねぇ」

 彼女の言葉に唖然とする。

「五輪って、オリンピックのことですか?」

「四年に一度の世界の祭典ね」

 想像もしていなかった。ボスにそんな特技があったなんて。

 馬は駈足に移っていった。頭を下げ、首を屈した馬の姿は彫刻のような優美さだ。ボスは円や八の字を書いたりして、自在に操っている。

「ディー」

 やがて、馬場の中央にいた男性が呼びかける。さっきのごま塩頭の人だ。

 その傍には八十センチほどの高さのあるバーの障害物があった。

 ボスはそっちへ馬を進めていく。あれを飛ぶつもりらしい。馬の大きさから考えて楽勝だろう。

 安心して見ていた私の前で、それは起こった。

 馬は飛んだりしなかった。まるで何もそこにないように突っ込んでいったのだ。バーが前足に当たり、弾け飛んだ。

「出番だ。お嬢ちゃん」

 男の人が馬場の内側から呼びかけてくる。

 辺りを見回すが、彼の視線は明らかに私に向かっている。

「頑張って」

 エマの応援に釈然としないままに柵をくぐる。出番って言われたって、何をしたらいいか分からない。バーをかけろと言うのだろうか。だが、それはすでに男の人が脇にどけている。とりあえず、彼の傍に向う。

「そこに寝てくれ」

 彼は障害のバーをかける両脇の支柱の間を指し示す。

 それって私に障害物になれってこと? さっきのバー、五メートルは軽く吹っ飛んだように見えたけど。

 あんな大きな馬に踏まれでもしたら、大怪我になるんじゃ……。冷や汗が吹き出てくる。

 突っ立っている私を馬上から睨みつけてくるボス。

 それでなくても威圧感十分なのに怖い馬で高い位置。

 こっ、これは、白馬に乗った王子様ならぬ黒馬に乗った魔王様か。相乗効果は抜群で、そんな妄想まで芽生えた。

 男の人は黙って器具で馬場を均している。柵の向こうのエマは、にこにこ笑いながら手を振るだけだ。助け舟は来そうにない。

 私は諦めて支柱の間に横になった。

 こうなったら、ボスを信じるしか……。

 いや、あの人なら私が怪我をしたって「馬鹿だ」の一言で終わり。気にはしなさそうだ。ここで何かあったら労災になるだろうか。城から出ているから仕事じゃない?

 でも、これって部下イジメ、パワハラと違うんだろうか。裁判でも起せそうだ。そうなったら、ボスを相手に戦える弁護士を探さなくちゃ。そんな人見つかるだろうか。

 頭が現実逃避を始めている。妄想が果てしなく広がっていく。

 ボスのことを考えるのはやめよう。あの馬を信じるしかない。そう決めたものの、汗は収まらない。

 厩舎での出会いを思い出す。人の肩にのしかかろうとした上、噛み付いた馬だ。ああ、あんなのを目撃しなければ、気持ちも違っただろうに。

 なんだかまた気分が暗くなってきた。よし、こうなったらボスもあの馬も除外。男の人もエマも止めないのだ。彼らをこそ信じよう。

 でも、ちょっと待って。この二人って普通だろうか。子供の頃からボスの知り合いだったというし、違う人たちだったりしたら……。また怖い考えがぐるぐると巡り始める。

 はっとする。声にならない悲鳴を上げる。いつの間にかすぐ傍まで来ている。

 目をつぶるのも見るのも、どっちも怖い。しかも馬は横走りしているし。それを真っ直ぐにするべく、ボスの片足がどかどかと馬の腹を蹴りつけている。

 直前で正面を向いた馬は踏み切った。砂が舞い上がる。黒い腹と蹄の裏が見えた。

 馬は私の上を鹿みたいな格好で大飛びした。散った砂がばらばらと降りかかってきて、慌てて目を瞑る。

「お嬢ちゃん、どいてくれ。バーをかけるぞ」

 男の人の声に飛び起きて退避する。

 それから、バーを飛ぶたびに高さは上がっていった。ついには私の背ほどに高くなり、それでも余裕で飛び越えているように見えた。

 ある意味、凄い人だとは思っていたけど、本当の意味で凄い人だったんだなあと実感する。

 柵の外に下がって見ていると、笑顔のエマが寄ってきた。

「惚れ直した?」

 とんでもないことを尋ねてくる。

「惚れも直しもしてません」

 私の答えに彼女は楽しそうに笑い声を上げるだけだった。

次回予告:ボスと牧場の関係を知るミシェル。そして、アビゲイルからの電話は彼女を動揺させて……。

第79話「キングストン牧場」


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