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運命のマスティマ  作者: 鏡 香夜
(5) Christmastide クリスマス・シーズン
87/112

77.黒い獣

 前言撤回。それは小屋というには大きな造りのものだった。

 入り口から奥へと伸びる細長い木造の建築物。脇に並ぶ木窓は寒風を防ぐべく全て閉まっている。

 近付いていくと、建物の横に白い柵のサークルがいくつかあるのが見えてきた。何かと思ったら、馬を放牧するためのものだった。

 円の中で馬着を着けた一頭の栗毛の馬がこちらを見ている。

 足の先はソックスを履いた様に白く、顔には鼻筋に沿って白い線が入っている。綺麗な馬だ。潤んだ黒い瞳に釘付けになる。

 私はその子の前にすっ飛んで行った。

「はじめまして」と挨拶しながら、伸ばされた首に触れる。

 じっと受け入れてくれたので、今度は撫でてみた。すべすべとした絹みたいな肌触りだ。

 甘えるように顔を擦りつけられる。力が強いので、踏ん張ってないとすっ飛ばされそうだ。鼻先はしっとりと柔らかで、これまた気持ちがいい。

 ブルルと鼻を鳴らし、掌をペロペロ舐めるさまは可愛くて仕方ない。

 マスティマ・ドッグには近づくことも許されなくて、満たされなかった私の心が癒やされていく。

 いななきが聞こえてきた。目の前の子が鳴いたのではない。呼応する鳴き声がさらに聞こえる。建物の中からだ。

 これはきっと厩舎だ。まず間違いなく。大きさから言ってたくさんの馬がいるに違いない。

 私は栗毛の子に別れを告げると、両開きの大きな引き戸に手をかけ、開いた。


 重いだろうという予想に反し、扉はレールの上を浮くように滑った。

 やっぱりだ。通路を挟んで両脇に並ぶ馬房ばぼう。少なく見積もっても二十はある。私の心は躍った。

 青毛、芦毛、鹿毛の馬。もしかしたらポニーも何処かにいるかもしれない。これは皆会ってみないと気がすまない。

 通路に踏み出した私は、視線の先に人を見つけ、少しだけ冷静になった。本来の目的を思い出す。そう、ボスを探してここに来たんだっけ。

 それはジーンズにナイロンの上着を着た少年で、通路の藁を箒で掃いていた。歩み寄る私に気づいて顔を上げる。高校生くらいに見える。

 そばかすの顔に爽やかな笑みが浮かんだ。挨拶の声が聞こえてくるかと思ったとき。

「そいつを止めろ」

 通路の奥から低くて掠れた男の声が飛んできた。それに続いてリズムある鋭い音。真っ黒い姿の怪物が恐ろしいほどの勢いで突っ込んできた。

 荒々しい息遣い。筋肉の塊のような体。太い首。まさにそう呼ぶにふさわしい姿。

 目の前の少年が、果敢にその前で手を広げ、行く手を遮る。

 それは雄たけびを上げた。振り乱れた鬣、体と同じ黒い蹄。

 これは馬だとやっと認識できたとき、それはぐっと立ち上がった。目の前の人を目がけて前足を振り下ろす。

 避けるのが少し遅く、肩を掠った。上着がシュッと擦れた音を立てる。少年はよろけて後ろ手を付いて倒れこんだ。

 馬はさらに彼に迫る。

 私は飛び出して、彼の腕を引っ張り、引き寄せようとした。だが、すでに遅かった。

 悲鳴が上がる。

 大きなペンチのような歯が肩に食い込んでいた。首を起し、少年の体を引き上げようとしている。白目をむいた目が私を睨みつけた。

 馬って草食で、おとなしい生き物じゃなかったっけ。唖然とする私の耳に飛び込んできた声。

「上等じゃねえか」

 馬の空気を吐き出す悲鳴に似た音が重なった。

 私も馬と同じような声を小さく上げてしまう。

 ボスだ。飛び上がった彼が馬の尻にドロップキックを決めたところだった。

 少年から口を離した馬はすかさず後ろ足を蹴り出す。それを避けたボスは次に横腹に回し蹴りを叩き込んだ。

 馬は通路で暴れ回る。横の馬房の柵に蹄が当たり、ぐにゃりと曲がった。壁のレンガが砕け散る。

 騒ぎは伝播し、馬たちが取り乱す。こんな狭い場所で暴れるなんて大迷惑だ。私は少年を助け起して、距離をとった。

 ボスの黒い革手袋をはめた手が、宙をさ迷う手綱をぐっと掴む。同時に馬の動きがぴたりとやんだ。

 今の今まで全く気付かなかったが、その馬は頭絡どころか鞍までつけていた。装備も全部黒だったので、馬体の色に馴染んでしまっていたのだろう。

 今はじっと像のように静止したままだ。口元の泡と荒い息がなければ、さっきの出来事が幻ようだ。

 ボスはグレーの乗馬ズボンと革のロングブーツ姿だった。いつの間に着替えたんだろう。

「挨拶は済んだか、ディー」

 先程、止めろと聞こえて来たのと同じ、低くて掠れた声が近づいて来た。

 馬の後ろの方から、ゴマ塩を思わせる頭とあご髭の中年の男が現れる。紺色の中綿入りのジャケットとズボンを身に着けた人。手には一メートル以上ある長い追い鞭を持っている。

 表情は硬くて厳しい。マフィアのボスだったブルーノさんと親しかったこともあって、そっち系の人たちも知っているが、その道の人だといっても十分通りそうだ。

 ボスは馬の首にぽんと手を置く。

「はしゃぎすぎだ」

 その馬はびくっと体を震わせたが、それだけだった。いつの間にか息もおさまっている。

 いくらボスでも動物に対しては普通だと思っていた。マスティマ・ドッグへの対応を見た限りは。だけど、立ち回りを見て確信する。この人は人間でも動物でも関係ないのだ。

 手綱を引いて横を通り過ぎていく。私なんていないも同然。

 続いて中年の男の人も歩いてくる。彼は、座り込んで肩を押さえて唸っている少年の方へかがみこんだ。

 衣服をずらして、傷をさらす。私のいる場所からも見えた。痛そうだ。紫色に鬱血して腫れあがっている。

「辛うじて五人目にならずに済んだな」

 彼はそう言いながら腰を伸ばす。

「エマに言って手当てしてもらえ。今日はもう帰っていいぞ」

 申し訳なさそうに俯いた少年の肩をぽんと叩く。

「代わりがいるからな」

 男の人が私を振り返り、少年もまた顔を上げた。

 代わりって私のこと?

 二人の視線にさらされて、もはや傍観者ではいられないことを悟った。

次回予告:ボス対ヘル・アット・ドーンという名の黒馬。その対決は場所を変えても続いて……。

第78話「地獄の夜明け」


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