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運命のマスティマ  作者: 鏡 香夜
(5) Christmastide クリスマス・シーズン
86/112

76.エマ

 ボスには良識とかないんだろうか。

 悲惨な道中だった。

 何より風を切って走るバイクに乗るような格好ではないことが災いした。体が凍りつくかと思った。

 それに「俺が行くところが道だ」のような運転。道路から脇にそれて、自然を踏み分けて進むバイクの乗り心地の最低なこと。

 環境破壊だと思う。お尻が痛いし。

 その上、腰に手を回さなきゃいけないなんて。

 なるべく浅く触れていたら、両手を取られて引き寄せられた。

 どきんと心臓がはねる。これはきっと不整脈だ。この人といると心労が絶えないから。

 だいたい、こんなの、すがりついているみたいで格好悪いし。

 といいながら、悔しいことに、寒さと運転の荒さから来る恐怖で、ずっと彼にしがみついたままだった。


「降りろ」

 ボスの声ではっとする。

 気が付くとバイクは止っていた。すぐ脇には葉のないナラの木。

 ここは何処だろう。結構な時間走っていたのだと思うけど。ずっと怖い、寒い、痛いの三重苦に悩まされていたので、正確には分からない。

「離せ」

 振り返ったボスが苛立った口調で言う。私が未だ彼の背にしがみついていたからだ。慌てて離してバイクから降りる。

 寒さと恐怖の名残から、こわばる体のせいでロボットみたいな動きになってしまう。すっかり冷え切った手足は感覚が遠い。

 体の震えが止らない。息を吐きかけ、手をこすり合わせながら、辺りを見回す。一体何処に連れてこられたんだろう。

 一番傍には木造の家屋。近くといっても十メートルは離れている。車の轍から出来上がった土の道が間を分けている。

 周りの丘には白い柵。ここはきっと牧場だ。羊や牛の姿は見当たらないけど。小屋のような建物もあった。動物達はその中にいるんだろう。

 辺りを見回していると、後ろから走ってくる足音が近付いてきた。

 すかさずボスが私の腕を取って、そちらへ押しやる。お陰で足音の主と鉢合わせになった。

「いらっしゃい。久しぶりね、ディー」

 両腕を開いたその人は、くすんだ金髪を一結びにした女性だった。四十代くらいで、細い体をグレーのダウンジャケットに包んでいる。スポーティなストレッチ素材のパンツ姿だ。

 満面の笑顔。ボスへと向けられた温かな視線。

 彼にそんな風に接することだけでも驚きなのに、ディーなんて呼び方……。ボスの名前はディヴィッドだから、頭文字のDなんだろうけど、聞いているこっちの方がドキドキする。

「珍しい。あなたが女の子を連れてくるなんて」

 笑顔のまま、彼女は私に目を落とす。私よりもかなり背が高い。ずっと二人の間にいたが、身長差から障害にはなっていなかったのだ。

「まあ、可愛い子ねぇ」

 言った傍から、近づいてきて抱きしめる。驚いて固まっている私に構わす、頭を撫でてくる。鬘が取れてしまうんじゃないかと不安になるくらいに。

「いらっしゃい。会えて嬉しいわ」

 両頬にキスまでくれた。

 マスティマではこんな親愛の示し方なんてしないものだから、どう対処するのか忘れてしまっていた。私にできたのは固まっていることだけ。

 助けを求めてボスへと視線を移すが、彼は私たちに背を向けるところだった。

「あら、彼女の紹介はしてくれないの?」

 彼女の言葉にぎょっとしたのは私だけではなかったようだ。ボスはぴたりと足を止めた。

「そう見えるか?」

 背中を向けたまま、僅かに首を返して彼女をねめつける。

「そいつはコックだ。どうせ暇人だ。こき使ってくれ」

 言葉を置き去りにして歩いていく。

 私の体に寒さとは別の震えが走った。

 どうせ暇人? そりゃ、暇をもてあましていたのは確かだけど、それはボスのために城に残ることになったからで。

 その上、こき使えって。私はボスの奴隷じゃないっていうの。

「悪魔みたいな目つきして。口が悪いのは相変わらずねぇ」

 激しく同意しながら、女性の言葉に付け足してしまいそうになる。「悪魔みたいなのは目つきだけじゃないです」と。

「ほっぺが氷みたいよ。さあ、うちに入りなさい。温かい飲み物を用意するから」

 彼女は笑顔で再び私の頬に触れると、そう言った。この時初めて、彼女の右手首に巻かれた包帯に気づく。

 私の手を両手で包み込んでさすりながら、彼女は家へと連れて行ってくれた。


 扉を開けると別世界。

 薪ストーブからの温もりが伝わって来る。ストーブのそばの椅子に私を座らせると、温まるまで着ておきなさいと自分のダウンジャケットを貸してくれた。そして、彼女はカウンター奥のキッチンに入っていった。

 ストーブに手をかざしながら、辺りを見回す。丸太作りのログハウス。むき出しの梁が頭の上にある。

 目を引くのは木製の棚だ。一面にトロフィーが置かれている。

 それから壁には額に入った写真が数枚飾られていた。馬に跨った男の人や牧場の柵の傍に佇む馬の写真。退色が起こっていて年月の経ったものだと分かる。

 それを見上げていると彼女が寄ってきた。

「ホットミルクよ」

 包帯をしている方とは別の手で、マグカップを前のテーブルに置いてくれた。

「大丈夫ですか?」

 横の椅子に腰掛けた彼女が右手首をさすっているのに気付いて、そう尋ねる。彼女は包帯に手を滑らせながら、にっこりと笑った。

「ああ、これ? 大丈夫。治りかけだから。捻挫なのよ。転んだときに変な風に手を付いちゃって」

「冷めないうちにどうぞ」との言葉に応じて、礼を言ってからマグカップを手に取る。

 温かさが心地よい。しばらく手のひらで味わってから、口をつけた。体の芯まで染み渡る。

「私エマよ。あなた、お名前は?」

「ミシェルです」

「名前も可愛いのねぇ。ディーの好みって感じ?」

 彼女の言葉にミルクを飲み込みそこなう。もう少しで、口どころか鼻から飛び出るところだった。胸を叩きながら、むせる私に「あらあら」と手を伸ばして背中をさすってくれる。

「あの人は私のボスです。それだけです」

 苦しいけど、咳が止らないうちにそう言いきった。こういうことは少しでも早くはっきりさせておかないと。

 彼女はくすくすと笑った。

「そうね。そういうことにしておきましょうね」

 そういうことにしておきましょうねって……。この人、何処まで本気なんだろう。私をからかってるんだろうか。

「だいたい、彼は否定しなかったし」

 彼女かと尋ねたときのことを言っているようだ。だけど、あれはこれ以上ないNOだと思う。

「それに、誰かを連れてくるなんて。十年以上の付き合いだけど、一度もなかったのよ」

 そんなに前から? それにしてはボス、愛想のひとかけらもなかったけど。まあ、あの人が昔からの知り合いだからって、いきなり笑顔でハグなんてのも想像つかない。

 そういえば、どこに消えたんだろう。歩いていったのは、この家とは別の方向だったし。

「もしかして、私たちやここのこと、何も聞いていないの?」

 不自然な沈黙に気付いたようだ。私は彼女の問いに頷くしかなかった。

「いきなり連れてこられて。バイクに乗らないと轢くぞって脅されたんです」

 その前の車をぶつけた失敗談は伏せておこう。説明がややこしくなりそうだし。

 彼女は「あの子らしい」とまた笑った。

「子供の頃から愛嬌のある方ではなかったけど、私たちにとっては愛すべき弟子よ」

 また私たちと複数形で言った。それに弟子って一体。

 頭の中を飛び交うクエッションマークは増えていくばかりだ。

「外に小屋があったでしょう。そこに行ってみなさい。話すより見た方が早いと思うから」

 そう言うなり席を立った彼女は、私の装備を整えてくれた。厚いソックスに内側にボアの付いたブーツ。上着はダウンジャケットをそのまま借りて。これなら、外の寒さも大丈夫だ。

 私は家から出ると、言われた場所へと歩いていった。

次回予告:ボスの馴染みの牧場で、動物との触れ合いを楽しむミシェル。そこに飛び込んで来たのは凶暴な獣で……。

第77話「黒い獣」


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