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運命のマスティマ  作者: 鏡 香夜
(5) Christmastide クリスマス・シーズン
85/112

75.大晦日

 新年を迎えるまで十時間を切った。今日は大晦日だ。

 こんなに静かで暇な年末は過ごしたことがない。

 厨房と続きの食堂のテーブルに肘を付いて、ぼーっとしている私。

 廊下を行きかう人もいないし、食堂を訪れる人もいない。日に何度もコーヒーを飲みに来るグレイもいないから、コーヒーメーカーさえもお休みだ。

 一昨日出て行ったレイバンも戻ってこないし。

 今、城にいるのは最低限の人員。時間割りで近郊に家のある隊員たちが対応してると聞いている。

 実質、城に残っているのは私とボスだけ。あの人のためにいるようなものだ。日に三度の食事のために。

 なんだか寂しい。こんな年末なんて。

 ボスは家族の元に帰らないんだろうか。そうしてくれれば、きっと私もイタリアに帰れるだろうに。

 らしくなく、もんもんと考えてしまうのも時間が有り余っているせいだ。

 テーブルに腕を投げ出して、溜め息をつく。

 ボスの昼食が終わったばかり。私も残り物で済ませた。夕食まで何しよう。明日の御飯の下ごしらえまでしておこうか。でも、そんなことしたら、さらに仕事がなくなってしまう。

 ここにいても仕方ないし、一度部屋に戻ろう。

 私はのろのろと立ち上がり、自分の部屋に向った。

 

 あくびが出る。退屈だ。

 ベッド上で、ヘッドボードに背中を預けて座り、興味もないテレビを見ている。

 今やっているのは天気予報だ。元旦は穏やかな気候とか言っているが、城に篭っている私には関わりがないと屈折した気分に浸る。

 なんだか眠くなってきた。目蓋が重くなってくる。うとうとしかかったところに電話が鳴った。

 仕方ない。出るとするか。しまりのない気分で受話器を取る。

「二十分後、ロビーに来い。女の格好でな。スカートなんか履いてくるなよ」

 聞こえてきたのはボスの声だ。そう気付いて確認する暇もなく、電話はぷつりと切れた。

 これじゃイタ電みたいじゃないか。そんなふざけた電話は無視……なんて、できるわけもない。上司命令だ。

 私は急いで支度に取りかかった。

 

 スカートはダメだといわれたので、悩んだ挙句、ジーパンにTシャツ、ショート丈のテーラードジャケットに決めた。

 いつもの通り、鬘も装着して、メイクも済ませる。

 この鬘もそうだが、女性ものの衣服は専らアビゲイルが用意してくれる。マスティマには彼女の他に女はいないことになっているからだ。荷物の出入りには、抜き打ちでディケンズ本社のチェックが入るので、危ない橋は渡るなと言われている。

 彼女が持ってくるのはスカートやワンピースで、パンツ類は一切ない。

 なので、これは私物だ。アビゲイルに釘を刺される前に、実家から送ってもらった女物のジーパン。本社のチェックも運良く通り抜けたらしい。しかし、こんな風に役に立つとは思わなかった。

 私はロビーを見渡す。誰もいないと広く感じる。天井もこんなに高かっただろうか。

 いつもなら、ここには必ず誰かがいる。端のソファでグレイが昼寝していることもあるし。

 静か過ぎる。皆早く帰ってきてくれないだろうか。これじゃ本当に幽霊屋敷みたいだ。しんみりする私の後ろから足音が近づいてきた。

 ボスだ。

 なんだってこんな所に、しかもこんな格好で呼び出されなければいけないのか、ちゃんと理由を説明してもらわないと。

 そう思いながら振り返る。

 だが、姿を目にして、考えていた言葉が吹っ飛んだ。

 いつもと違う格好。マスティマの制服である黒いロングコート姿じゃない。

 チョコレート色のレザーのジップアップジャケットに、はいているのは濃紺のジーンズだ。この人にはカジュアルなイメージはないのに。

「そんな格好で行く気か?」

 ボスは眉をひそめながら言った。

 低い声に我に返る。行くって何処へ? 疑問に答えがないまま、放り投げられたものを反射的に受け取った。

 掌に乗っていたのは鍵。

「行くぞ」

 ボスは私を放って玄関目指して歩き出す。なんだか分からないが、付いていくしかない。

 私は彼の背中を追いかけた。

 

 着いたのは城の西側。マスティマ・ドッグの犬舎の傍にある大きな車庫だ。

 彼は車庫の前に止っている一台の車の扉を開くと乗り込んだ。大型の白い四輪駆動車だ。

 私は掌の鍵を見下ろして察する。まさか、これって……。

「運転しろ」

 助手席からボスの声が飛ぶ。やっぱりそういうことか。

 妙な汗が一気に噴き出した。私の声は悲鳴に近い。

「無理ですよ。車なんて運転したことありません」

「こんなのオモチャだ」

 焦る私にボスの言葉が追い討ちをかける。

「早くしろ」

 なんで私が。私はコックなのに。寝かしつけ役まで押し付けられて、その上運転手まで?

 色々な思いが頭の中を駆け巡る。だけど、現実には勝てなかった。こちらを睨みつけているボスには。

 マスティマの制服を着ていなくてもボスはボス。迫力だって変わらない。

 仕方なく運転席に座る。安全第一。まずはシートベルトだ。すると、ペダルにぜんぜん足が届かない。慌ててベルトを外す。

 じっとこちらを見ているボスに、何故か何度も謝りながらシートの位置を動かす私。すでに半ばパニック状態。

「ブレーキとクラッチを踏んで、キーを回す。ギアをローに入れて、ハンドブレーキを下げる。アクセルに踏み変えて半クラッチで発進。簡単だろうが」

 一応順序だてて説明はしてくれた。だけど、まったく頭に入ってこない。

 母の車の助手席が私の指定席だったから、やりかたは分かる。器具の名称も。余計なのは、助手席から襲い掛かる、この凄まじいプレッシャーだ。

 えっと、最初はブレーキとクラッチだっけ……。

 記憶を手繰り寄せながら、恐る恐るペダルを踏む。

「なに下見てんだ」

 ボスの一喝。足元を覗き込んだのがいけなかったらしい。

 だって足の感覚だけじゃ、どのペダルがクラッチ、ブレーキでアクセルか自信がないし。っていうか、こんな不安な私によくぞ運転させる気になると思う。

 ボスは私の次の行動を待っている。気もそぞろになる。

 ギアをローにして、アクセル踏んで半クラッチ。

「おい」

 ボスの声とどちらが早かったか。

 車は急発進した。それも後ろ向きに。

 ギアを入れ間違えた。そう気付く暇もなかった。あったのは、なんで後ろにという疑問だけだ。次に襲ったのは衝撃。車庫の壁に激突して止まった。

 ボスは後ろを見、それから私を見据えた。

「むちうちにでもする気か」

 くすぶった怒りが立ちのぼるのが見えるようだ。

 私はひとしきり謝ってから、逃げるように車を降りた。ぶつけた場所を確認に行く。

 車が傷ついた上に、凹んでいる。車庫の波板の外壁も割れて、基礎の鉄骨が見えていた。これはアビゲイルに報告しないと。給料天引きは覚悟の上で。

 一年の締めの日にこんなことになるなんて、気分が沈む。もう出かけるなんて気分にならない。だが、ボスの意思は変わらなかった。

 彼は車庫から大型の黒いバイクを持ち出してきた。跨り、私に声をかける。

「乗れ」

 これにボスと二人乗り? それこそ恐怖だ。固まる私に「轢くぞ」とエンジンをかけながら、彼は言う。

 二者択一なら選ぶのは一つしかない。私はしぶしぶ彼の後ろに跨った。

次回予告:バイクで連れていかれたのはミシェルの知らない場所。彼女はそこでボスと古い知り合いだという女性に出会う……。

第76話「エマ」


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