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運命のマスティマ  作者: 鏡 香夜
(5) Christmastide クリスマス・シーズン
82/112

72.冬休みにむけて

 アビゲイルに引き続き、ジャザナイア隊長まで城を出て行った。

 しかも年末の挨拶を残して。これはもう年が明けるまで戻ってこないと考えた方がいい。

 なんだか悪い予感が頭を掠める。だけど、まだグレイもレイバンもいる。何も心配することはない。そう自分に言い聞かせながら、寒風吹き込む窓を閉めようとする。

 そこで、まだ一人、玄関先に立っている人物に気付いた。

 私と目が合うと、にやっと笑みを浮かべる。さらさらの銀色の髪が風に揺れている。長い前髪から左目だけが覗く。チェック柄のストールで首と肩を覆い、黒のパンツに灰色のショートコートで身を包んだその姿。

 いつもの彼ではない。嫌な予感が現実味を帯びてきた。

 私は窓を閉じると、食堂から走り出た。

 ジャザナイア隊長どころか、グレイまで?

 あれは私服だった。マスティマの幹部で最年少の彼。城の中では、どんなときだって制服の黒いコートを身に着けていたのに。

 ロビーまで出ると、玄関の扉のところに大きな黒い背中が見えた。

 レイバンだ。制服のコート姿の彼にほっとする。

 その向こうでグレイが彼に話しかけていた。

「だから、お前も来いって。家族にはもう話してんだぞ。先輩の言うことが聞けねーのかよ」

「自分はボスを置いてはいけんのだ」

 頑ななレイバンの声はバリトン。体の大きさに比例して低い。彼もまたマスティマの幹部だ。

 年は三十歳はいっていると思う。グレイよりは十歳以上は上に見える風貌。浅黒い肌に短く刈った黄金色の髪、右の頬に刻まれた横一直線の傷跡。詰襟のコートが筋肉質の体を覆っている。

 対するグレイの線の細さが目立つ。

 グレイは銀髪に遮られていないアイスブルーの左目を細めた。「ふーん」と意味ありげに呟く。

 彼の背後のスペースに車が回されてきた。黒い車体のイギリス車、モーガン。クラシカルな形のオープンカーだ。

 運転してきた隊員はエンジンをかけたまま、下りてきた。グレイは手を上げてそれ応じた。

「じゃ、こいつを連れてこー」

 助手席に手を伸ばして、グレイは掴み出したものを目の前にかざす。すると、レイバンはぐぅと喉の奥で唸った。

 グレイが首根っこを掴んでいるのは小さな犬だ。茶色と黒のツートンカラーの犬。小さなドーベルマンのような姿。イングリッシュ・トイ・テリアのマリア。レイバンの愛犬だ。

 その子は不満げな唸り声を上げてはいるが、それ以上何もできずにいた。咬み付き防止用のカゴが口のところに取り付けられているからだ。あれではまともに吠えることもできない。

「マリア!」

 レイバンは叫んで、愛犬を救い出そうとする。

 だが、グレイは彼の手をすり抜けて、車に飛び乗った。

「エッフェル塔の前で返してやっから」

 そう言葉を残して、アクセルを踏み込む。傍に寄ろうとしたレイバンが車に触れることも叶わなかった。急発進した車は、門に向ってまっしぐらに走って行った。

 途中まで追いかけたレイバンだったが、さすがに足ではかなうはずもない。息を乱した彼は立ち止まり、遠くの影になってしまった車をしばらく見つめていた。

「レ……レイバン?」

 近付いた私は恐る恐る声をかける。

 我に返ったようにびくりと体を震わした彼は、ゆっくりとこちらに向き直った。それから、私の肩をぽんと叩いた。

「マイケル、頼みがある」

 それは私の恐れが現実となる瞬間だった。


 城の自室の前で待たされること約三分。

 レイバンは焦った様子で扉を押し開けて出てきた。もちろん制服姿ではない。カーキ色のミリタリージャケットにカーゴパンツ姿だ。黒色が収縮色だということが良く分かる。 

 今の彼はいつもより大きく見える。真っ黒なマスティマのコートに身を包んでいるときよりも。

「話しながら行くぞ」

 彼はジャケットのジップを引き上げながら大股で玄関を目指す。慌てて走って横に並ぶと、早口で用件を伝え始めた。

「お前には猟犬たちの夕食を用意してもらいたい。明朝からは部下に連絡をつけてやってもらうから、今晩だけ頼む」

「猟犬たちって……」

 私の理解など待っていられないというように、前を見つめたままでレイバンは言葉を続ける。

「時間は午後七時。犬舎の入り口にキッチンがある。そこの冷蔵庫に分量を書いているメモが貼ってあるから……」

「レイバン、犬がいるんですか?」

 彼の言葉を邪魔すると分かっていたが、問いを止めることはできなかった。

 だって、マスティマに来て半年経つのだ。それなのに、吠え声なんて一度だって聞いたことがない。

 いくら私が室内勤務のコックだといっても、その存在を知らずにいるなんてありえない気がする。マリアのような小さな室内犬ならともかく。

 例えどんなに微かでも大好きな犬の声を聞き逃したりするだろうか。

「とびきりの犬達だ。コードネーム猟犬。誉れ高きマスティマ・ドッグだ」

 レイバンは得意げだ。自分が管理しているのだと彼は付け加えた。

「だが、あいつらはただの犬ではない。我々と同じマスティマの一員なのだ。決して甘やかしてはならない。毅然とした態度で臨め」

 私のテンションの急上昇に気付いたようだ。ただちに釘を刺した。

 それから、彼らを扱う際の心構えと注意点を話し始める。私は、ほとんど上の空で聞いていた。

犬が、それも五頭もいるというのだ。

 番犬みたいなものだろうか。ブルーノさんちのマスティフ犬、ネロやカフェラッテのような。ちょっと強面だけど優しくて賢い犬達。父親代わりのブルーノさんの家にお邪魔して、子犬だった彼らと遊んだ。懐かしい思い出だ。

 今の私の楽しみは城のテラスでの夜空の観賞だった。だけど、また一つ私の癒しが増えそうだ。

 どんな犬達だろう。想像は膨らむ一方だ。

 レイバンが犬舎のものだという鍵を渡してくれる。場所を聞いて思い出す。

 西側の端といえば、以前アビゲイルと外出するとき車を出した車庫があった所だ。そういえば、その奥にもう一棟、建物があった。あれが犬舎だったのだろうか。

 車庫と同じような港にある倉庫みたいな作りで、とてもそんな風には見えなかったけれど。

「マリアを取り返したら、すぐに戻る。それまでボスを頼む」

 玄関前で、レイバンは部下が回してきたジープを背に私に向き直った。

 彼の言葉で、高揚していた気分が現実に冷やされる。そうだった。この人までいなくなるのだ。

「それからもう一度言っておくが、犬達の前では不審な行動は慎むのだぞ。あいつらは勘が鋭いからな」

「分かりました」

 私は自分を奮い立たせて言う。今考えるべきなのはボスのことではない。犬達のことだ。それに彼はすぐに帰ってくるはずだし。

 レイバンは車に乗り込んだものの、眉間に皺を寄せて私をじっと見つめている。短い間でも信奉するボスを預けていくのが心配なのだろう。

「いってらっしゃい。お気をつけて」

 笑顔で見送る。発進したジープを目で追いながら、もはや私の頭の中は犬達のことでいっぱいだった。

次回予告:大好きな犬と触れ合える期待に胸を膨らませるミシェル。だが、同じ犬でもマスティマの犬たちは一味違っていて……。

第73話「猟犬」


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